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福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。
また、(1)ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通(ニューシス)および(2)哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿 (インタビュー365)は、『滝尾英二的こころ』の掲示板などに掲載します。 『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。
人権図書館・広島青丘文庫 滝尾英二
‘09年3月5日(木曜日)13:50
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1) ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通 (ニューシス)
2) 哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿 (インタビュー365)
3) 『解放前後のソウルの住民社会史 : 動員と抵抗』 出版 (聯合ニュース)
4) 『近代日本の思想家たち』 出版 (聯合ニュース)
1)*******************************************************************************
[ニューシス 2009-03-03 11:25]
【ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通;91年ぶりに陸地への道がつながった小鹿島】
(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=003&aid=0002554847
(光州=ニュシース) ハンセン者の哀歓がこもった島、小鹿島(ソロクと)に陸地への道が100年ぶりに開通した。陸からせいぜい600m、船で5分の距離に過ぎないのに、遠く感じられた全南高興(コフン)の小鹿島に橋がつながって、単に海と陸地を連結する橋を越えて、この100年近く差別と圧迫の中に生きてきたハンセン者と陸地の人々の心を結ぶ疎通の道が開かれる契機が用意された。
3日全南道によれば、高興郡道陽邑(トヤンウプ)のノクドン港と小鹿島をつなぐ小鹿大橋が、前日から車両通行を開始した。2001年に着工した小鹿大橋は、総事業費1652億ウォンを投じて、橋梁と連結道路区間を含み総延長3460mの規模で、12の橋脚に潮流れが最も速い中央部分は、主塔2つがケーブルに互いに連結した吊り橋形態で建設された。
主塔は両手を重ねた姿を形状化したもので、陸地と小鹿島の人々の和合を象徴している。橋の開通で、ハンセン者など島の住民の陸地の外出に多いに役立つと期待される一方、観光客の増加にも一役買うと見込まれる。
現在、小鹿島には約600名の住民が住んでおり、1年30万名の観光客が訪れている。以前から島の住民がいたが、日帝強占期の1916年ハンセン者を隔離収容するために作られた国立小鹿島病院。暴圧と強権、断種、堕胎などで染められたハンセン者の過去の哀歓がつもる当地が、今この橋を通して、外界との和合と疎通の空間として新しい歴史を描いて行くことが期待される。 (ペ・サンヒョン記者)
2) **********************************************
[インタビュー 365 2009-3-4 09:05]
【哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿; 自然の四季と生のイメージ / 金 哲】
(写真あり)
http://interview365.com/client/news/view.asp?sidx=3192
写真 ▲ 四季 緑の常緑樹で化粧された天主教の聖堂
小鹿島(ソロクト)はハンセン者には哀悼のこもった島だ。日帝強占期にハンセン者を強制収容して、彼らの間には小鹿島に行けば、3度死ぬというエピソードがあった。最初ハンセン病でしに、二度目は死骸解剖で、三度目は葬儀後、下層でさらに死ぬという意味だ。旧小鹿島更生院には、それを証明する監禁室と監視室などが登録文化財に指定されていて、その昔の痛みを言葉なく証言している。
写真 ▲ ハンセン病の患者たちを収容していた監禁室
国立小鹿島病院がある小鹿島は、一般的にハンセン病感謝と家族、そして病院関係しだけが居住するところとして知られてきたが、現在は海と調和した見事な景観をみるために、年中訪問客が訪れる。島には美しい灯台とハンセン病の痛み絶叫したハン・ハウン詩人の詩碑があるなど、見るところが多く、観光地としても脚光を浴びている。
(写真)
▲ 春が最初にやって来る小鹿島の美しい遠景、
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