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「シルミ島」の作家が描いた小鹿島の悲劇 (聯合); <萬物相> ハンセン病元患者の心の傷をいやすには (朝鮮日報)の記事

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 5月16日(土)06時02分35秒
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 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する5記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 また、(1)「シルミ島」の作家が描いた小鹿島の悲劇  (聯合ニュース)、及び(2)<萬物相> ハンセン病元患者の心の傷をいやすには (朝鮮日報)の2記事お
を『滝尾英二的こころ』などの掲示板に投稿します。

                       人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                         ‘09年05月16日(土曜日)05:55

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  福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 「シルミ島」の作家が描いた小鹿島の悲劇  (聯合ニュース)
2) <萬物相> ハンセン病元患者の心の傷をいやすには (朝鮮日報)
3) <釜山> 日本色を消して、伝統様式に復元 (YTN)
4) ニューライト市場主義の起源は 「左翼」 (時事IN)
5) チョン・イヒョン氏と江國香織氏、韓日女性作家が対談 (聯合ニュース)

1) ******************************************************************************

[聯合ニュース 2009-05-14 11:17]
【「シルミ島」の作家が描いた小鹿島の悲劇; 白東虎の小説 『麦畑に月が昇れば』出版】

(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0002659421


(ソウル=聯合ニュース)コ・ミヘ記者= 映画でも製作された小説『実尾島(シルミド)』を通じて北派特殊部隊員の実体を伝えた小説家白東虎(ペク・トンホ、54)氏が、今回は日帝強占期の小鹿島(ソロクト)の隠された真実を持って帰ってきた。

長編小説『麦畑に月が昇れば』(明るい世間発行)は、日帝時代の癩病患者の集団居住地域である小鹿島で行われた生体実験についての話だ。

小説はハンセン病患者のハン・サンヒョクを中心に小鹿島の4代院長の周防が赴任した1930年代に遡って始まる。小鹿島を「癩病患者の楽園」にするという周防院長の甘言利説に多くの癩病患者が小鹿島にやってきて、屋根裏部屋に隠れて暮らしていたハン・サンヒョクも家族に黙って小鹿島行きを決心する。

癩病患者たちは、そこで人間以下の扱いを受け、強制労役に動員されても、楽園建設に対する夢を捨てない。そうしている間に、生化学兵器の開発のために創設された日本の731部隊が小鹿島での生体実験を計画し、医師オウサカを派遣して癩病患者を対象に破傷風菌と壞疽菌を研究する。

オウサカから破傷風菌の注射を打たれた癩病患者たちは、わけも分からないまま100%死亡した。日帝の小鹿島の楽園建設は、生体実験のための口実に過ぎなかったとういう作家は、これを伝えようと10年間数多くの参考文献と関連者の証言、時代的状況などを緻密に調査し分析して、この小説を執筆したという。

作家は、序文で「マルタとして殺害されて火葬されたハンセン者1万余名の遺骨は、納骨堂に安置されなかった」、「海に捨てられて、いまでも怨恨の血の涙に濡れているだろう小鹿島の悲しい霊魂たち、この一冊の小説と私の熱い涙を捧げる」と語った。

400ページ、1万1千ウォン。


2) ***********************************************

[朝鮮日報 日本語版 2009/05/14 17:07:46]
【<萬物相> ハンセン病元患者の心の傷をいやすには】

漫画 http://www.chosunonline.com/news/20090514000046


1960年代、小鹿島(全羅南道高興郡)のハンセン病患者たちは、子どもと一緒に暮らすことができなかった。子どもたちは児童保育所に預けられ、1カ月に1回だけ面会が許された。それも道路を挟んで2メートルほど離れたところで、親子がそれぞれ1列に並んで、互いに眺めることしかできなかった。「病気がうつる」というのがその理由だった。患者たちはまた、強制的に断種手術を受けさせられた。小鹿島でハンセン病患者の隔離が行われるようになったのは、日本統治時代の1916年、ここにハンセン病患者の治療を行う「慈恵医院」が開設されてからのことだ。60年代初めには、収容患者は6000人に達した。

ハンセン病の患者たちは「らい病」「ムンドゥン病」などと言われて後ろ指を指され、小鹿島へ行くときはとてつもない悲しみを味わった。筏橋駅に降り立ってもバスは乗せてくれず、50キロもの道を歩かなければならなかった。「行けども行けども黄土のでこぼこ道が続くだけ/見知らぬ人と出会っても/仲間同士だと思いうれしくなる/息が詰まるような暑さの中 足を引きずりながら歩く道/行けども行けども千里 遠い全羅道への道」。ハンセン病を患った詩人の韓何雲(ハン・ハウン)=故人=は、その受難の道を『全羅道への道』という歌にした。

ハンセン病の患者たちは62年、小鹿島の近くにある島を埋め立て、約990万平方メートル(300万坪)の干拓地を農地に変える事業に取り組み始めた。患者たちにとっての「天国」を造ろうとしたのだ。約2500人の患者たちが、スコップと鍬(くわ)だけを手に、3年間にわたって1500メートルの道を造った。ところが、完成を目前にして、近くの住民たちに追い出されてしまった。

イ・チョンジュン氏はこの話を基に、『あなたたちの天国』という小説を書いた。一方、57年には慶尚南道泗川郡(現・泗川市)で、島の開墾事業を行っていた約100人の患者たちが、近くの島の住民たちに竹槍やスコップで殴られ、約20人死亡する事件も起こった。

1963年にハンセン病の患者に対する隔離・収容政策が廃止されるまで、約2万人の患者たちが国立小鹿島病院や特定地域に送り込まれ、監禁・暴行・強制堕胎などの被害を受けた。韓昇洙(ハン・スンス)首相が今月16日、小鹿島病院の開院93周年記念式典に出席し、ハンセン病の元患者や家族たちに対し、韓国政府として初めて公式な謝罪を行う。

国会で先月、ハンセン病の元患者である林斗成(イム・ドゥソン)議員(ハンナラ党)が、隔離・収容政策によって患者たちが人生を台無しにしたことに対し謝罪を求めたのを受けてのことだ。なお、日本では2001年、当時の小泉純一郎首相が、ハンセン病患者の隔離政策について謝罪し、一人当たり800万-1400万円の補償を行った。

現在、ハンセン病の患者(元患者を含む)は約1万5000人で、その大部分が小鹿島や全国89カ所の「回復者定着村」に居住している。1年間に新たにハンセン病にかかる人は約10人程度だ。遺伝することはなく、治療薬だけを飲んでいれば、他人にうつることも99%ない。そのため、ハンセン病は「伝染病」ではなく「貧困病」と呼ばれている。政府は現在、「ハンセン病元患者に関する特別法」を制定し、被害の調査を行っている。しかし、ハンセン病の元患者たちが受けた心の傷をいやすためには、韓国社会におけるハンセン病に対する誤った偏見や、患者たちへの差別意識を完全になくしていくことが何よりも重要だ。 (キム・ドンソプ論説委員)
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