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 盧武鉉前大統領の遺書 全文; <盧前大統領逝去> 年譜など5記事を紹介いたします。   (滝尾英二)         

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 5月24日(日)22時15分54秒
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 盧武鉉前大統領の遺書 全文; <盧前大統領逝去> 年譜; <盧前大統領逝去> 遺体戻り、悲しみに暮れる地元など5記事が、福留範昭先生から届きました。私も福留範昭先生と同様、過去の清算を推進したことを尊敬しています。取りあえず、『滝尾英二的こころ Part2』など、私が関係しているホームページなどの掲示板に投稿します。

 盧武鉉前大統領の亡くなられたことをこころから悲しむとともに、故盧武鉉前大統領のご冥福をお祈りいたします。

 この記事を訳し、届けていただいた福留範昭先生、および 森川静子先生に感謝します。

          人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

 ******************************************************************************

 福留です。昨23日、盧武鉉前大統領が亡くなられました。
私は、あの飾り気のない話し方、哲学をもって政治に向かった姿勢が好きでした。そして、なによりも過去の清算を推進したことを尊敬しています。

1) 盧武鉉前大統領の遺書 全文 (聯合ニュース)
2) <盧前大統領逝去> 年譜 (聯合ニュース)
3) 盧前大統領の波瀾万丈な人生経歴 (MBS)
4) <朴トンチョン コラム> 最初で最後に、「閣下」と呼びます (プレシアン)
5) <盧前大統領逝去> 遺体戻り、悲しみに暮れる地元 (聯合ニュース)

1) ****************************************************************************

[聯合ニュース 2009-05-23 14:23]
【盧武鉉前大統領の遺書 全文】


あまりにも多くの人々に世話になった。私のために、いろいろな人が受けた苦痛はあまりにも大きい。今後受ける苦痛も推し量れない。余生も、人の荷物がなるしかない。健康が良くなく、何もすることができない。本を読むことも、文書を書くこともできない。あまり悲しむな。生と死は、ともに自然の一片ではないか。申し訳なく思うな。誰も恨むな。運命だ。火葬しろ。そして、家に近い所に非常に小さな碑石1つだけを残せ。昔からの考えだ。 (ソウル=聯合ニュース)

                              〈森川静子訳〉

2) ****************************************

[聯合ニュース 2009/05/23 11:54]
<盧前大統領逝去> 年譜

▲1946.8.6(陰暦)==慶南・金海(キメ)市進永邑本山里で出生
▲1959.2 =慶南・金海・陣営(チンヨン)テチャン小学校を卒業
▲1963.2=慶南・金海・陣営中学校を卒業
▲1966.2=釜山商高を卒業(53回)
▲1973.1=権良淑(クォン・ヤンスク)女史と結婚
▲1975.3=第17回司法試験に合格
▲1977.9=大田地方法院(裁判所)判事
▲1978.5=弁護士を開業(現、法務法人 釜山)
▲1981.10=プリム事件の弁論以後、人権弁護士としての活動を開始
▲1987.9=大宇(テウ)造船事件で拘束、弁護士業務停止の処分
▲1988.4=第13代国会議員(統一民主党、釜山東区)
▲1988.12=「第5共和国不正調査特別委員会」委員として活動、「聴聞会のスター」として脚光
▲1991.9=新民、民主の野党圏の統合を主導(統合交渉の代表)
統合民主党スポークスマン
▲1992.3=第14代総選挙に出馬(民主党、釜山東区)落選
▲1993.3=統合民主党最年少の最高委員
▲1995.6=釜山市長選挙に出馬
▲1996.4=第15代総選挙に出馬(民主党、ソウル・鍾路)落選
▲1996.11=国民統合推進会議で活動
▲1997.11=新政治国民会議副総裁
▲1998.7=15代鍾路区補欠選挙に出馬(国民会議)当選
▲2000.4=第16代総選挙に出馬(新千年民主党、釜山北・江西(カンソ)乙)落選
▲2000.8=海洋水産部長官、在任(2000.8-2001.3)
▲2001.9=釜山後援会で大統領選挙への挑戦を宣言
▲2002.4=国民参加競戦を通して、民主党大統領候補に選出
▲2002.11=国民統合21の鄭夢準(チョン・モンジュン)代表と候補を単一化
▲2002.12.19=第16代大統領に当選
▲2003.2.25=第16代大統領に就任
▲2004.3.9=ハンナラ党・民主党、弾劾訴追案を国会に提出
▲2004.3.12=国会弾劾訴追案、可決
▲2004.5.14=憲法裁判所、弾劾訴追案を棄却
▲2005.7.28=ハンナラ党主導の大連合政府構成を提案
▲2007.10.3~4=平壌で南北首脳会談を開催
▲2008.2.24=大統領の任期終了
▲2008.12.4=兄の盧建坪(ノ・コンピョン)氏拘束
▲2008.12.12=後援者の朴淵次(パク・ヨンチャ)泰光(テグァン)実業会長、拘束
▲2009.3.23=「朴淵次ゲート」の関連で、秋富吉(チュ・ブギル)前大統領府広報企画秘書官、拘束
▲2009.4.7=ホームページに「朴淵次ゲート」に関連して、「私の家でお願いして金を受け取って、使用」との謝罪文を掲示
▲2009.4.10=「朴淵次ゲート」の関連で、おい(めい)婿のヨン・チョロ氏を調査
▲2009.4.11=「朴淵次ゲート」の関連で、権良淑(クォン・ヤンスク)女史、釜山地検で調査
▲2009.4.12=ホームページに「釈明と防御が必要だ」という文を掲示。盧建昊(ノ・コンホ)氏を調査。
▲2009.4.26=検察に出席を通知
▲2009.4.30=検察、召還調査
▲2009.5.23=盧前大統領逝去

                                〈森川静子訳〉

3) ****************************************

[MBC 2009-05-23 23:01]
【盧前大統領の波瀾万丈な人生経歴】

(動画あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=214&aid=0000105508


<ニュースデスク>
▲ANC▲
盧前大統領の人生の路程は、一言で言って波瀾万丈でした。貧しい家に生まれて、大統領にまでなりましたが、結局悲劇的に生を終えてしまいました。イ・サンホ記者が振り返りました。

▲VCR▲
1946年慶尚南道金海(キムヘ)で出生した盧武鉉前大統領は、幼くして頭脳明晰で、学業成績に優れたが、家が貧しくて、大学に行くことができませんでした。

釜山商高を卒業し、三十という年齢で遅く司法試験に合格しました。1981年プリム事件の弁論をはじめに、人権弁護士に変身した盧前大統領は、87年催涙弾で死亡した大宇造船のイ・ソクキュ氏の死因を調査をして、拘束されもします。

続いて、金泳三当時の統一民主党総裁の勧誘で政界に入門した後、第5共和国の聴聞会を通して注目を浴びるようになります。

▲SYN▲ 第5共和国不正聴聞会当時
「それでは、国民の非難は誰が責任を負うのですか。本議員は解決されない疑惑が、非常に多く残っています。」

91年、3党合同に反対して離党した後、3回も続けて落選する試練を体験しもしましたが、2002年大統領選挙で変化と改革を旗じるしにして、劇的に勝利し、16代大統領に当選しました。

▲SYN▲ 大統領選 当選当時

「正直に一生懸命働く人々が成功する真の普通の人々の社会を必ず作ります。」

しかし、任期中続けて政治改革や言論改革、過去事の問題などで葛藤が絶えず、イラク戦派兵、韓米FTA推進などの実用主義政策を推進する過程で、反対勢力はもとより、支持勢力の反発に直面して、厳しいレイムダックに苦しみもしました。

退任後、故郷で農作業をするという素朴な夢を咲かせたが、本人と家族が不正疑惑で捜査を受けて、歴代大統領のうち3回目に検察に出頭する身になりました。

韓国社会の非主流出身で、一時「改革」の希望だった盧前大統領は、結局、不正疑惑の渦の中で、63歳の屈曲の多い生涯を終えました。 MBCニュース イ・サンホでした。


4) ***********************************************

[プレシアン 2009-05-23 18:26]
【「盧武鉉大統領却下、天国で平安になさって下さい」】

<朴トンチョン コラム> 最初で最後に、「閣下」と呼びます

朴トンチョン全北大教授


今日は、近所の親しい人たちと山に行ってきました。行き帰りに、大統領が苦難に遇っているけれど、打ち勝たれるだろうと笑いながら話しました。家に帰って、子供が「盧武鉉大統領が亡くなった」と言うので、えっと思って、子供に確認しました。

「盧大統領だったら、盧泰愚大統領のことだ」と言いながら、子供が観たニュースに「武鉉」の二字がないことだけを祈りました。残忍な記事を自分の目で確認しても、しばらく信じられず、今でも自分の目に、故人の涙が夢ならば良いと思います。

大変だとは分かっていましたが、そこまでとは知りませんでした。昨年8月にお伺いした時、苦しんでいる渦中でも、毅然とされていて、その程度のことだと敢えて思いました。

大統領職につかれていた時、あの侮辱と苦難にあわれても、堂々とした意志を示されていたので、いつまでも屈しないだろうと信じていました。進歩という人たちが、虚しい夢想を追おうとして、あなたを攻撃し、背を向けても、希望を大切にして、いつも私どものそばで灯になっていただけると思っていました。

ニュージーランドに滞在していた時、朴淵次(パク・ヨンチャ、泰光実業会長)醜聞報道を見ながら、どんなに大変か推察できなことはありませんでしたが、この無能なできそこないが小心で卑怯で、もう少し積極的に弁護して差し上げることができませでした。

私は、大統領が率直な日常語で話すの最も好きでした。あのような語り方はする人に嘘をつく人がいなかったので、私はあなたの正直さに対しては、一抹の疑いも抱いたことはありません。あくどい保守派はもちろん、進歩という人たちまでも、あなたに食らいつくとき、私は、彼らが何よりもあなたの正直さを恐れていると思いました。

しかし、こういう話をもう少し公開的に主張する前に、あなたは逝かれてしまったのですね。限りなく涙が流れます。日帝の高等係の刑事のような検察が煩わしいという程度だったら、簡単に打ち勝たれてことでしょう。

李明博や方相勲(バン・サンフン)[朝鮮日報代表理事]が復讐することぐらい、笑いながら乗り越えられたことでしょう。期待した人たちに失望を与えたために、最も心が痛かったことでしょう。

しかし、私は大統領のために、傷心したことはありません。今でも、大統領が感じた痛みを思えば、涙で前が見えませんが、大統領が私どものそばを離れられたために傷心しません。私どもに残されたことたちがあり、そのことのために、いつも私どもの気持ちの中に生きておられるだろうと確信するからです。

大統領を困らせたすべての人種たち指さしていちいち非難したいのですが、「恨むな」と言われた言葉に今は従います。検察が、法で人を捕まえる人間の猟犬役割をしたのではないかと思っても、今は問い詰めず、贋進歩たちの自己防御用の潔癖症が大統領にどれくらい負担になったかも今は追求せず、李明博長老がキリスト教の仮面をかぶってピラト(Pilatos)の役をする姿も、今は告発しません。

ただし、大統領が一生を捧げて念願されたとおり、民主主義が一時的な気流でなく、制度として、システムとして作動しうるように、私の残った人生を捧げます。

民主主義の制度的軸を確立するために、必要に応じて、法という名目の人間ハンティングを行って、進歩的潔癖症という名の自己保護本能を問題にし、李明博長老のピラト性を告発します。

今はせずに、今後少しずつ、大統領が今までしてこられたようにしつこく一つひとつを明らかにします。是非一度申し上げて許しを請うことががありましたが、今日明日と延ばしていて、悲報をむかえてしまいました。私がこの間書いた文章で、大統領に礼をわきまえずに言及したものを、もしも見られたとしたら、是非釈明を申し上げたかったのです。

私は、尊敬していない大統領に敬称を使うのが嫌いだ上、敬称などそれほど好きでない盧武鉉大統領の気質に沿うように、そうしたことを是非一度は直接申し上げたかったのです。

大統領が、「政治的に未熟だった」という私の評価も、大統領の成果を低く見るというよりは、残念、特に、現実を無視する進歩陣営に牛を失って牛小屋でも直せという心情で述べた言葉であることを、是非一度は弁解したかったのです。

何よりも、私が人間盧武鉉はもとりより、政治家盧武鉉もあまりにも愛し、好きだったことを是非一度は告白したかったのです。愛するという言葉を一度も言えずに、愛していたと言うしかできなくなって、涙がまた流れ、号泣を防ぐ術がありません。

このように先発たれたましたが、「生と死は一つ」という言葉で、すでに平安な姿を、私は見ます。生前に、あなたをいじめたすべての人たちは、しばらく粛然としていて、近いうちにまた誰かを探して苦しめるでしょうが、彼らのためにこれ以上心を痛めずに、今はあなたの平安だけを求められるよう願います。

生前に来世に関して、意識的にはどのような立場を取られたかに関係なく、私が信じる天国では、高い席を予備して、あなたを迎えただろうと確信します。

大統領様と同じ時代を生きられて幸せだったことを、生きている間、隣人に伝えます。盧武鉉を大統領に選んだのが、大韓民国にとって栄であったことを、貧しい文才が許する限り、広く深く知らせます。

閣下という呼称を嫌われましたが、今日は最初で、最後に閣下と呼びたいと思います。この呼称がなぜ嫌いなのかを身にしみて共感しますが、今回だけはそう呼ぶことを許してくれと面前で駄々でもこねられたら良いのですが。

李承晩、朴正煕、全斗煥はもちろん、さらに金大中大統領にも閣下の呼称は使ったことがなく、今後らどんな大統領にも閣下と呼ぶつもりは全くありませんが、生まれて最初で、最後に、閣下という言葉を呼称として使うことお許し下さい。

盧武鉉大統領却下、天国で平安になさって下さい。

2009年5月23日

ニュージーランド ハミルトンにて
朴トンチョン拝


5) *********************************

[聯合ニュース 日本語版 2009/05/23 21:10]
【<盧前大統領逝去> 遺体戻り、悲しみに暮れる地元】

(写真あり)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2009/05/23/0800000000AJP20090523001900882.HTML


(金海23日聯合ニュース) 慶尚南道・梁山市の釜山大学病院に安置されていた盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の遺体が23日午後6時30分ごろ、自宅のある金海市・ポンハ集落に戻った。盧前大統領の支援団体会員らや追悼に訪れた市民ら、地元住民らが出迎え、遺体を乗せた車がポンハ集落に到着するや、嗚咽の声が響き渡った。盧前大統領が飛び降りたという岩を遠めに見ながら、涙を流す市民の姿も見られた。

写真 ▲ 地元・ポンハ集落に戻った盧前大統領の遺体=23日、金海(聯合ニュース)


丁世均(チョン・セギュン)代表ら民主党指導部20人余りは、午後からポンハ集落を訪れており、盧前大統領の遺体の到着を待ち、涙で出迎えた。一部住民や追悼に訪れる市民が、民主党関係者らに「民主党の過ちが盧前大統領を死なせた」と強く抗議する一幕もあった。

盧前大統領の遺体は、ポンハ集落の会館に安置され、臨時の焼香所も設置された。盧前大統領の長男・建昊(ゴンホ)氏と長女・静妍(ジョンヨン)氏が遺族代表として弔問客を迎えているが、権良淑(クォン・ヤンスク)夫人の姿は見られなかった。

柳時敏(ユ・シミン)元保健福祉部長官ら、盧武鉉政権当時の閣僚と側近らや政治家が相次ぎ弔問客に訪れている。丁民主党代表は、沈痛な表情で言葉なく弔問し、金槿泰(キム・グンテ)常任顧問は「悲しく残念なこと」と短く語った。進歩新党の魯会燦(ノ・フェチャン)代表は「衝撃と悲しみの中にある国民に深く慰労をささげる。民主化以降最大の悲劇であり、2度とこうしたことがないよう捜査慣行や政治文化は深く省察しなければならない」と述べた。

写真 ▲ ポンハ集落を訪れた民主党指導部=23日、金海(聯合ニュース)

一方、集落の多目的広場駐車場に数千人の弔問客が待機しており、その後も数は増え続けている。一般弔問は現在のところ準備が整っておらず、午後10時以降に可能になる見通しだ。

政府は23日午前と午後にわたり関係官庁緊急閣僚会議を行い、盧前大統領の争議について論議したものの、形式と手順に関する結論を下すことはできなかった。国民葬とするか家族葬とするか最終決定が出なかったが、汎政府レベルで争議関連準備と支援を徹底していく方針を固めた。

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