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  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
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 小鹿島(ソロクト)、橋は開通はしたのに.…(YTN)を掲載します!                          

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 3月 9日(月)17時11分56秒
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する6記事が滝尾宛にメールで送られてきました。この記事を『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 また、「(2)小鹿島、橋は開通はしたのに.………(YTN)」<本年3月6日付けのYTN の記事>を『滝尾英二的こころ』などの掲示板に掲載します。6記事の全記事は、ご面倒でも『滝尾英二的こころPar2』の掲示板から、ご覧ください。


                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                            ‘09年03月09日(月曜日)16:55

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 全国民が志を集めてきた「日本のウトロ支援」………中途半端な政府のせいで水泡に帰すかも (国民日報)
2) 小鹿島、橋は開通はしたのに.……(YTN)
3) 日本で「慰安婦問題を知らせること」18年 梁澄子さん (聯合ニュース)
4) スローガン叫ぶ慰安婦被害のハルモニたち (ニューシス)
5) 韓日EEZ境界画定会談、9日にソウルで開催 (聯合ニュース)
6) 「保守化したのは韓国社会ではなく386世代」  (朝鮮日報)

2) ****************************************

[YTN 2009-03-08 01:49]
【小鹿島、橋は開通はしたのに……】

(動画あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=052&aid=0000241149


<アンカーコメント>
ハンセン者が集まって住んでいる全南高興(コフン)の小鹿島(ソロクト)と陸をつなぐ橋が8年ぶりに完工しました。しかし、橋には車道だけがあり、歩道がなくて、大部分車を持たないハンセン者のための橋ではないとの不満が出てきいます。金ボムファン記者が取材しました。

<リポート>
ハンセン者のくつろぎの場である小鹿島と陸地をつなぐ橋が工事開始8年後に完工しました。ハンセン者が、主に日帝によって強制的に隔離されて100余年後のことです。

<インタビュー: イ・ナムチョル、高興小鹿2里里長>
「長い間、約100余年近く閉じ込められて生活してきたのに、このように橋が作られて、どれくらい生活が便利になったのか分かりません。」

モノレールの吊り橋の小鹿大橋は、1,600余億ウォンを投じて、連結道路などを含み、3,400余mの規模で建設されました。ここノクトン港から小鹿島までは、500余mで腹なら、わずか5分程度しかかかりませんでした。

橋ができて、一日に40回余り通った船便は、4回程度に減りました。問題は、小鹿大橋が、風が強いうえに、歩道がないということです。しかし、小鹿島のハンセン者約620名のうち、車がある人は20余名程度に過ぎません。橋の欄干も低く、平均年令が74歳のハンセン者が小鹿大橋を電動カートで利用するの危険千万なことです。

<インタビュー: キム・ジョンヘン、国立小鹿島病院自治会長>
「この橋は、私たちハンセン者のために作られた橋ではないと思います。電動車で行ける道を作らなかったので、年配者たちの不便はより深刻になりました。」

また、観光客は来ているのに、お手洗いと案内所なども充分用意されていないのが実情です。小鹿島の主人であるハンセン者は、小鹿島は観光地ではなく、自分たちが治療を受ける所ということを知ってくれと訴えています。 YTN のキム・ボムファンでした。

-
 

 (1)ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通(ニューシス)、(2)哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿 (インタビュー365) 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 3月 5日(木)14時11分18秒
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。

 また、(1)ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通(ニューシス)および(2)哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿 (インタビュー365)は、『滝尾英二的こころ』の掲示板などに掲載します。 『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                              ‘09年3月5日(木曜日)13:50

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1) ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通 (ニューシス)
2) 哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿 (インタビュー365)
3) 『解放前後のソウルの住民社会史 : 動員と抵抗』 出版 (聯合ニュース)
4) 『近代日本の思想家たち』 出版 (聯合ニュース)

1)*******************************************************************************

[ニューシス 2009-03-03 11:25]
【ハンセン者、陸の人と心を繋く橋 開通;91年ぶりに陸地への道がつながった小鹿島】

(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=003&aid=0002554847


(光州=ニュシース) ハンセン者の哀歓がこもった島、小鹿島(ソロクと)に陸地への道が100年ぶりに開通した。陸からせいぜい600m、船で5分の距離に過ぎないのに、遠く感じられた全南高興(コフン)の小鹿島に橋がつながって、単に海と陸地を連結する橋を越えて、この100年近く差別と圧迫の中に生きてきたハンセン者と陸地の人々の心を結ぶ疎通の道が開かれる契機が用意された。

3日全南道によれば、高興郡道陽邑(トヤンウプ)のノクドン港と小鹿島をつなぐ小鹿大橋が、前日から車両通行を開始した。2001年に着工した小鹿大橋は、総事業費1652億ウォンを投じて、橋梁と連結道路区間を含み総延長3460mの規模で、12の橋脚に潮流れが最も速い中央部分は、主塔2つがケーブルに互いに連結した吊り橋形態で建設された。

主塔は両手を重ねた姿を形状化したもので、陸地と小鹿島の人々の和合を象徴している。橋の開通で、ハンセン者など島の住民の陸地の外出に多いに役立つと期待される一方、観光客の増加にも一役買うと見込まれる。

現在、小鹿島には約600名の住民が住んでおり、1年30万名の観光客が訪れている。以前から島の住民がいたが、日帝強占期の1916年ハンセン者を隔離収容するために作られた国立小鹿島病院。暴圧と強権、断種、堕胎などで染められたハンセン者の過去の哀歓がつもる当地が、今この橋を通して、外界との和合と疎通の空間として新しい歴史を描いて行くことが期待される。 (ペ・サンヒョン記者)


2) **********************************************

[インタビュー 365 2009-3-4 09:05]
【哀悼の島 小鹿島の常に緑の姿; 自然の四季と生のイメージ / 金 哲】

(写真あり)
http://interview365.com/client/news/view.asp?sidx=3192

写真 ▲ 四季 緑の常緑樹で化粧された天主教の聖堂


小鹿島(ソロクト)はハンセン者には哀悼のこもった島だ。日帝強占期にハンセン者を強制収容して、彼らの間には小鹿島に行けば、3度死ぬというエピソードがあった。最初ハンセン病でしに、二度目は死骸解剖で、三度目は葬儀後、下層でさらに死ぬという意味だ。旧小鹿島更生院には、それを証明する監禁室と監視室などが登録文化財に指定されていて、その昔の痛みを言葉なく証言している。

写真 ▲ ハンセン病の患者たちを収容していた監禁室

国立小鹿島病院がある小鹿島は、一般的にハンセン病感謝と家族、そして病院関係しだけが居住するところとして知られてきたが、現在は海と調和した見事な景観をみるために、年中訪問客が訪れる。島には美しい灯台とハンセン病の痛み絶叫したハン・ハウン詩人の詩碑があるなど、見るところが多く、観光地としても脚光を浴びている。

(写真)
▲ 春が最初にやって来る小鹿島の美しい遠景、
 

日帝強制徴用犠牲者の慰霊碑を建てる (釜山日報); 「90年の恨 洗い流せば」 ハンセン者の補償 決着段階 (聯合ニュース)      

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月26日(木)04時37分45秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する7記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の記事を翻訳していただいた森川静子先生、また、翻訳し届けていただいた記事を福留範昭先生に感謝します。なお(1)日帝強制徴用犠牲者慰霊碑を建てる (釜山日報); (2)「90年の恨 洗い流せば」 ハンセン者の補償 決着段階 (聯合ニュース)のふたつの記事は『滝尾英二的こころ』の掲示板にも掲載いたします。


                           人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                            ‘09年02月25日(木曜日)04:25

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 日帝強制徴用犠牲者の慰霊碑を建てる (釜山日報)
2) 「90年の恨 洗い流せば」 ハンセン者の補償 決着段階 (聯合ニュース)
3) 「独島は朝鮮領」表記の1894年仏雑誌 公開 (毎日経済)
4) 李明博 教育政策の全面転換・一斉考査を廃止せよ (ニューシス)
5) 青少年たちも、言うべきことがある (ニューシス)
6) 全教組のチョン・ジヌ委員長、無期限断食座り込みに突入 (聯合ニュース)
7) 教科書修正・建国節の波紋・過去事委統廃合…歴史の退行「総合セット」 (ハンギョレ)

1) ******************************************************************************

[釜山日報 2009-02-25 11:00]

【日帝強制徴用犠牲者の慰霊碑を建て釜山「共生の旅」-日本「幡多ゼミ」  韓日の高校生の歴史サークル 交流結実】

(地図あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=082&aid=0000208591


日帝の強制支配の時代に、日本のダム工事に強制連行されて犠牲になった韓国人の慰霊碑を建てるために、釜山と日本の高校生たちが力を合わせた。

日本の高校生の歴史サークル「幡多平和ゼミナール」(以下 幡多ゼミ)と釜山地域の高校生の歴史サークル「共生の旅」が、日本の高知県西南部の幡多市[正しくは宿毛市]の津賀ダムの建設に強制徴用されて死亡した韓国人たちの霊を賛える慰霊碑の設立を一緒に推進している。

幡多地域の高校生の会である幡多ゼミと指導教師たちは、昨年8月地域の企業と民間団体などと共に、韓国人の霊を賛える「四万十平和の塔 - 津賀ダム朝鮮人犠牲者慰霊碑」建設委員会を組織し
た。

幡多の電気会社を説得し、敷地の費用の約束を得て
来る8月9日 除幕式を行い、鎮魂祭など準備

彼らは、津賀ダムで電気を生産する電力会社を粘り強くく説得して、慰霊碑建設の敷地と費用などの支援を受けることに成功した。慰霊碑建設には、釜山地域の八つの高等学校の生徒30名で構成された歴史サークル「共生の旅」も一役買った。

このサークルは、幡多ゼミとともに、2007年津賀ダムの近くに慰霊碑建設に反対する住民約30世帯を相手に公聴会を開いて、忘れられた韓国人の犠牲者たちを積極的に知らせた。また、慰霊碑建設の必要性を粘り強く広報して、地域の住民たちと企業から寄付金を引き出すなど、慰霊碑建設に力を合わせもした。

こういう努力の末、3月中旬に碑石を運ぶのをはじめ、8月9日に慰霊碑除幕式が開かれる。除幕式には、共生の旅の学生たちも参加する。除幕式のプログラを議論するために21日釜山を訪れた幡多ゼミの指導者山下正寿(64)さんと上岡橋平(59)さんは、「以前に比べて、多くの日本人の生徒たちがこの問題に関心を持つようになった」、「地域の新聞と放送を通して、犠牲になった韓国人の存在を続けて知らせたことが効果を上げた」と語った。

山下さんは、「津賀ダムは、第2次世界大戦が終わろうとする頃、大規模な建設工事が始まって、投入された韓国人徴用労働者の大部分が殺人的な労働に耐えられず、死を迎えた」、「しかし、彼らの墓は主人を失って、歴史の中に埋められてしまい、日本人たちもまた、彼らの存在を忘れてしまった」と語った。

幡多ゼミは、これに伴い津賀ダムの工事に強制徴用されて犠牲になった韓国人の遺骨を探して、身元を確認して、さらに韓国の子孫を探して、連絡する事業を行うようになった。その結果、10名の主人を捜し出す成果を上げた。また、韓国を訪れて、墓の主人の子孫を探しもした。そのうちの1人は、韓国政府から独立有功者に認定されもした。

共生の旅は、除幕式の時、名前の分からない韓国人の霊を慰労する鎮魂クッ(巫祭)を行う計画だ。幡多ゼミとの出逢いを斡旋てきた釜山電子工業高校のカン・チョロ教師は、「慰霊碑と鎮魂クッを通して、他国で死を迎えた韓国人労働者の霊を慰労して、日本に彼らの問題を積極的に伝えたい」と語った。

幡多ゼミは、2003年には日本の高知県幡多地域の高校生と教師など20人余りが「遺骨返還旅行」というテーマで、釜山を訪問して、「共生の旅」との縁を結んだ。 (ユン・ヨジン記者)


2) ****************************************

[聯合ニュース 2009-02-25 11:35]
【「90年の恨 洗い流せば」 ハンセン者の補償 決着段階;請求者448名中 小鹿島124名など 426名が補償完了】


(高興=聯合ニュース) ソン・サンウォン記者= 小鹿島(ソロクト)のハンセン者に対する補償が終了して、全国に散らばっているハンセン者に対する補償手続きも、近い将来けりがをつくと見られている。

25日全南高興(コフン)郡の国立小鹿島(ソロクド)病院によれば、日本を相手に補償を請求した国内のハンセン者は計448名だ。このうち小鹿島に住む124名を含み、426名に対する補償手続きが完了して、国内の89の定着村に散らばっているハンセン者の大部分は、1人当り800万円の報償金を受けることになった。

彼らは、1916年小鹿島病院の前身の小鹿島慈恵医院が設立されて、隔離収容を名分に、当地に連れてこられ、日帝によって蹂躙された。建築現場に連れて行かれて強制労役を強いられ、殴打と監禁が蠱惑で、からだが痛くても、仕事を休むことができず、「子供もハンセン病にかかる」という誤った知識のために、日帝から不妊と堕胎の手術まで強要された。

1世紀近く恨(ハン)を積んだハンセン者たちは、2003年から次々に補償を請求し、2006年には日本がハンセン病補償法を改正して、この間の苦痛を一部であれ、補償されるようになった。

重家俊範駐韓日本大使が、24日日本大使としては2番目に、小鹿島病院を訪問したのも、こちらにいる患者たちに対する補償が完了した状況を知らせる「宣伝的意味」が濃厚だった。

重家大使は、ハンセン者に会って、「皆さん、こんにちは。お会いできたれしいです」と韓国語で挨拶した後、「小鹿島のハンセン者に対する補償を事実上完了することになった」、「この間ハンセン者が体験した精神的苦痛に対して、慰労の言葉を伝える」と語った。

小鹿島のハンセン者は、お金よりは日本が自らの誤りを認めたということに意味があり、いまだ補償を受けられていない22名と追加で補償を請求するハンセン者に対する持続的な関心を求めた。

小鹿島ハンセン者自治会のキムンジョンヘン(69)会長は、「ハンセン者は、今回の補償を日本が誤りを認めるという意味で受け入れ、これ以上恨を抱かなくてもいいという事実に、喜んでいる」、「日本大使が努力すると約束したので、ほかの人たちに対する補償もきっとなされると思う」と語った。
 

ハンセン者の監禁室に入る日本大使 (ニューシス); 日本政府 「小鹿島ハンセン者の補償完了」 (クッキーニュース)など

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月25日(水)08時11分48秒
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。また、(1)ハンセン者の監禁室に入る日本大使 (ニューシス)および(2)ハンセン者の監禁室に入る日本大使 (ニューシス)は、『滝尾英二的こころ』の掲示板などに掲載します。私としては、過去事実を振り返り、感無量の思いです。

 『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

                          人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                          ‘09年02月25日(水曜日)08:02

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) ハンセン者の監禁室に入る日本大使 (ニューシス)
2) 日本政府 「小鹿島ハンセン者の補償完了」 (クッキーニュース)
3) 堤岩里教会の虐殺収めた未封切り映画 発見 (ニューシス)
4) 釜山-福岡の子供たち合作の庭園登場 (聯合ニュース)

1) ******************************************************************************

[ニューシス 2009-02-24 19:05]
【ハンセン者の監禁室に入る日本大使】

(高興=ニュシース) 24日午後、重家俊範駐韓日本大使が、全南(チョ高興郡(コフングン)の国立小鹿島(ソロクト)病院を訪問し、日帝時代おハンセン者の死体を検視した検視室を見学している。重家大使は、この日、日本で小鹿島居住のハンセン者に対する補償手続きが完了したことを伝えるために訪問した。 /メン・テファン記者

(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=003&aid=0002543012

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=003&aid=0002543009


2) ****************************************

[クッキーニュース 2009-02-25 00:24]
【日本政府 「小鹿島ハンセン者の補償 完了」】


3・1記念日90周年を前にして、重家俊範駐韓日本大使は、24日日帝強占期にハンセン者が強制隔離収容された天刑の島 全南高興(コフン)の小鹿島(ソロクト)を訪れて、過去の日本政府の過ちを詫びて、小鹿島のハンセン者に対する補償が事実上完了したと明らかにした。

重家大使は、日本政府がハンセン者に精神的苦痛を与えたことに対して謝り、「今月9日、日本政府は小鹿島のハンセン者に対する補償を、事実上完了した」、「今回、124名全員に補償することができるようになった」と語った。ハンセン者に渡る補償金は、1人当り800万円。小鹿島のハンセン者が2003年日本政府を相手に被害補償を請求してから、5年後のことだ。

重家大使は、現在病院で入院治療中のハンセン病患者たちに会って、痛みを分かち、治療過程も詳細に聞いた後、小鹿島自治会の住民たちに会い、過去に行われたことに対するお詫びと慰みの言葉を語った後、ハンセン者の納骨堂を訪問し、故人たちの霊を賛えた。

小鹿島のハンセン者たちは、日本大使に、いまだ補償を受けることができない小鹿島の外側の定着村に暮らすハンセン者22名に対する補償も急ぐように要求した。

重家大使は、「現在、補償が審議されている小鹿島以外の地域のハンセン者22名に対しても、早急な補償決定がなされるようにし、心の傷まで癒されるように努力する」、「今、高齢者の方らがおられるので、早く決定する」」と約束した。

-
 

 【「ハンセン者特別法」 恨多き歳月 補償されるか(メディカルトゥデイ)                        

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月23日(月)18時42分5秒
 

 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する7記事が滝尾宛にメールで送られてきました。その記事を『滝尾英二的こころ:第二部』の掲示板に掲載します。また、「ハンセン者特別法」 恨多き歳月 補償されるか; 送葬法に代わって、生きているハンセ者の特別法 全面改正至(メディカルトゥデイ)は、『滝尾英二的こころ』の掲示板などに掲載します。
『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、滝尾宛に記事を翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。


                           人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                            ‘09年02月23日(月曜日) 18:30

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。


1)「ハンセン者特別法」 恨多き歳月 補償されるか; 送葬法に代わって、生きているハンセ者の特別法 全面改正至(メディカルトゥデイ)
2)「雑鬼よ、出て行け」 (ハンギョレ)
3) 「親日人名辞典からの除去を」 遺族訴訟棄却 (CBS)
4) 金枢機卿の強制徴集、親日論争に終止符 (マネートゥデイ)
5) <新刊>『尹東柱の詩を深く読む』 (聯合ニュース)
6) 大邱 「ろうそく集会に加算点」 解任教師の復職要求 (聯合ニュース)
7) 李明博政権発足から1年、その評価と課題 (聯合ニュース)

1)*******************************************************************************

[メディカルトゥデイ 2009-02-22 08:10:11]
【「ハンセン者特別法」 恨多き歳月 補償されるか; 送葬法に代わって、生きているハンセ者の特別法 全面改正至急】


(ユン・ジュエ記者) ハンセン者たちが社会的偏見と差別を払って正当な政府補償を要求するために、現行の「ハンセン者特別法」から改めるべきだという主張がなされている。

社会的偏見と差別によって一時は「らい病」と呼ばれた「ハンセン病」が、最近では有病率が急激に低くなり、ハンセン者の島で有名な小鹿島(ソロクト)は、今年上半期中に陸地と結ばれて、「疎通」の場が設けられる見込みだ。

ハンセン病は、神経、骨、目、その他の機関に損傷を負わせて、時に手足の感覚がなくなって、身体障害者になる可能性はあるが、死亡する場合はめずらしい。しかし、ハンセン者は日帝植民地時代に小鹿島に強制収容された後、監禁、暴行、断種(生殖機能なくすこと)などの被害を受け、いまだ社会的な偏見と差別で、2世代まで被害を被っている。

こうした中、20日国会保健福祉家族委所属の林斗成(イム・ドゥソン)議員が、「ハンセン者被害事件被害者の名誉回復および補償等に関する法律」の立法公聴会を開いた。足の踏み場もないくらいに全国から訪れたハンセン者たちは、息を殺しながら、現行のハンセン者特別法を生きているハンセン者のための法に改正すべきだと口をそろえた。

全面改正案には、▲ハンセン者被害事件の真相究明および病気に対する正しい教育と広報 ▲ハンセン者被害事件真相究明および補償審議委員会を設けて、報償金を支給するようにしている。また、▲ハンセン者被害者またはその遺族に対する生活支援金の支給 ▲遺族が民法にともなう財産相続規定によって報償金などを支給されるように権利を保障している。

ハンビット福祉協会会長として活動してきた林議員は、「永遠の社会的弱者であるハンセン者が、国会議員に当選した」とし、「ハンセン者の人権回復と福祉増進のために、ハンセン者特別法が制定され、昨年10月から施行中だが、すでに死亡したハンセン者に対する『送葬法』であり、生きているハンセン者には無用の長物だ」と、全面改正案の趣旨を説明した。

ハンセン者の多数が、基礎生活受給対象者で最低限の生計を立てているので、一括的な補償、正当な財産権の認定などの内容を改正案に含めるという。大部分が無許可の建物に住んでいて、正当な評価を受けられないケースが多いからだ。

特に今回の公聴会は、ハンセン者被害事件真相糾明委員会を廃止して、「真実・和解のための過去事整理基本法」に基づく真実・和解のための過去事整理委員会に機能を統合するという法案が発議された後に開かれ、各界の注目を浴びた。

昨年11月ハンナラ党の申志鎬(シン・ジホ)議員は、政府の中に設置されて運営中の14の過去事委員会の機能が類似しており、重複する点が多く、効率性を高める必要があるとして、過去事委員会を統廃合する法案を発議した。申議員が発議した改正案は、保健福祉家族委、行政安全委員会にそれぞれ回付されて係留中であり、関連の過去事真相究明諸団体の反発を呼んだ。過去事の真相究明において、効率性の物差しを突きつけること自体が、問題だというのだ。

政府は公にハンセン者の人権回復を約束してきたが、70~80代の高齢のハンセン者は、小鹿島以外の地域に散って住んでいながら、いまだ「陸地の中の小鹿島」の生活をしているからだ。

金ジョンピルハンセン病院長は、「日本より33年もはやくハンセン者の強制隔離に関する法規が廃止されたが、制度的な次元に過ぎず、ハンセン者に対する人権侵害問題は完全に解決されなかった」、「実際に、医学的判断によって、近隣の3次診療機関に患者を移送しようとする場合に、行政的な入院問題で、極めて多くの困難を経験している」と吐露した。

高麗大韓国社会研究所の金ソンオプ教授は、「改正案には、補償に対する国家の責任を明示し、脱落した被害事件が含まれるように、被害事件の範囲を拡大すべきだ」、「遺族と被害者家族に対する支援を新設し、被害者に対する国家報償金が一括的に支給されるようすべきだ」と提案した。

林議員が提案した全面改正案が、どのくらい実効性があるかという指摘も提起された。法務法人 ドンファのチョ・ヨンソン弁護士は、全面改正案でハンセン者に対する補償
を認めたことは、前進と評価しうるが、ハンセン被害事件およびその被害者と立証するには、現実的な困難があると指摘した。

さらに、大部分の実際の被害者が高齢で、すでに死亡したり、婚姻のためには断種が避けられなかったので、遺族がある場合もめずらしく、遺族が補償請求をしても、死亡者の被害事実を立証するのが難しいというのだ。

保健福祉家族部のイ・ドキョン疾病政策官も、解放後1963年2月まで国立小鹿島病院に入所したハンセン者に対する一括補償が妥当だという意見を述べながらも、「法案が通過した後に、報償金を支給すきだが、予算が少なく、企画財政部の通過が容易ではないだろう」と懸念した。

一方、国会議員の多数が公聴会に顔を出し、統一して、次はハンセン者に対する福祉のために努力すると約束しもした。討論が行われている中参加した朴槿恵(パク・グネ)前総裁は、公聴会の最後まで席を守って、関心を示した。

 

 クリントン長官の新・対北朝鮮アプローチ政策の背後にキッシンジャーの影(上)                      

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月18日(水)06時57分6秒
編集済
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  朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチさんから、滝尾宛にメールが届きましたので、『滝尾英二的こころ第2部=Part2』、及び『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。それにしても、<麻生政権と言えば、そうした動きが全く読めず、支持率回復の起爆剤にしようとクリントン長官と家族会の面会にばかり目が行き、外交の体をなしていない。すでに蚊帳の外に置かれているのである>。第一、「麻生政権は、中川財務・金融相のローマでの「主要7カ国財務・中央銀行総裁会議(G7)後に「もうろうとした状態で記者会見したあの醜態ぶり。その後の麻生主相の中川財務・金融相に対する「ふらふら政権」ぶりは、情けないの一言である。


  米国のトバマ政権は、日本政府に対しで、応分の(過大な?)国際支援という名の協力を要請するだろう。アフガン支援や沖縄基地等の軍事の増強、金融の要請などなど。これに果たして、麻生政権は、正しい対応が出来るだろうか。甚だ疑問といえる。

 そのように考えながら、朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチさんを読んだ。情報を届けていただいたパク・ヨンチさんに感謝します。

                 人権図書館・広島青丘文庫   滝尾英二

                   2009年2月18日(水曜日)  06:50



【クリントン長官の新・対北朝鮮アプローチ政策の背後にキッシンジャーの影(上)(河信基ブログ 2.15)】
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/37186628.html

 クリントン国務長官が米政府として初めて公式に北朝鮮との国交正常化の意向を公表したが、背後には、今年初め北京を訪れたキッシンジャー元国務長官のシナリオが見え隠れする。
 私が中国政府筋から得た情報によると、キッシンジャー元国務長官は米中国交正常化記念祝典に出席した中国トップに民間訪朝団派遣の仲介を要請し、王家瑞・中国共産党対外連絡部長が訪朝した際、北朝鮮側に伝えたという。

 その直後、ボスワース元駐韓大使ら7人がオバマ政権発足後初の民間使節団として訪朝し、金桂官外務次官や軍高官らと会談し、突っ込んだ意見交換をしている。
 それに手応えを感じたのであろう。ボスワース元大使は帰国後、駐イラク米大使に内定しているヒル国務次官補の後任として北朝鮮問題担当特使に内定され、クリントン国務長官のアジア歴訪にも同行することになった。

 アジア歴訪に先立って持たれた記者会見でクリントン長官が、北朝鮮が核廃棄を約束すれば国交正常化をすると公表したのは、そうした一連の動きと無関係ではあるまい。
 核廃絶に最後の情熱を燃やすキッシンジャー元国務長官のシナリオに沿ったものと読める。
 http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200902120011.html

 キッシンジャー元国務長官はシュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元米上院軍事委員長らと超党派的に、07年1月4日付の「ウォールストリートジャーナル」に「A World Free of Nuclear Weapons」を寄稿し、米国が核兵器廃絶のイニシアチブをとることを提言した。

 それに基づいて北朝鮮の核問題に関与してきたが、先の中国政府筋によると、今年1月中旬に北京で開催された米中国交樹立30周年記念式典にキッシンジャー元国務長官はカーター、ブッシュ元大統領らとともに参加、胡錦涛国家主席と会談し、シンポジウムで意見交換した。その機会に、中国が王部長をピョンヤンに派遣することを知って、米訪朝団を北朝鮮が受け入れるよう仲介を求めたという。

 王部長帰国後、ボスワース訪朝団が2月3日から7日まであわただしく北朝鮮を訪れたが、核・ミサイルを管轄する軍高官と意見を交わしている。

 その後も核軍縮専門家のルイス・スタンフォード大学教授一行、シガール北東アジア安保協力プログラム局長一行の訪朝が予定されているが、特に、ボスワース訪朝団にも同行したシガール局長は、クリントン元大統領かキッシンジャー元国務長官を特使として訪朝させることを雑誌に寄稿した論文で提案している。

 そうした脈絡抜きにクリントン発言の真意は理解しにくいが、日本のメディアはまだその辺が見えていない。

 クリントン長官は、就任後初外遊となる日本、インドネシア、韓国、中国歴訪を前にした13日、ニューヨークのアジア・ソサエティでの演説と電話記者会見で、「北朝鮮が本当に核兵器開発を完全かつ検証可能に廃棄する準備ができていれば、オバマ政権は両国関係を正常化し、朝鮮半島の長い休戦体制を平和条約にかえ、北朝鮮住民のエネルギーと経済的な要求を満たすために支援に乗り出す用意がある」と述べた。オバマ政権は北朝鮮核問題解決に向けた6カ国協議を支持し、わたしはこうした議論を進展させるために韓国と日本、中国と最も望ましい方策を協議する」と述べた。

 先遣隊のヒル次官補は今日ソウルに到着して韓国側と協議しているように、クリントン長官の発言は唐突なものではなく、事前に北朝鮮側とのすりあわせを経て発表されたことは間違いない。
 http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2009/02/15/0300000000AJP20090215000300882.HTML

 北朝鮮は、ボスワース元駐韓大使らに金桂官外務次官は核保有国である点を強調しながら、「オバマ政権と直接対話したい。6カ国協議は望まないが、米国との対話に必要ならできる」などと述べた。

 また、外務省報道官談話などで「関係正常化しても、米国の核の脅威が少しでも残っている限り、我々の核保有の地位は変わらない」と、核保有国として米国と対等の場で軍縮会議に臨むことを主張している。さらに、テポドン2号発射準備と見られる動きを露骨にデモしている。

 いずれも対米交渉のハードルを高める目的から出ていると見られる。

 つまり、核廃棄が先か国交正常化工が先かと、米朝はすでに水面下で熾烈な外交戦を繰り広げているのである。

 他方の麻生政権と言えば、そうした動きが全く読めず、支持率回復の起爆剤にしようとクリントン長官と家族会の面会にばかり目が行き、外交の体をなしていない。すでに蚊帳の外に置かれているのである。


※関連 ≪クリントン米国務長官「目標は北朝鮮の非核化」(聯合ニュース 2.17)≫
http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2009/02/17/0300000000AJP20090217000400882.HTML

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  私の「近現代日本歌謡曲史」(第 002回)】; フォークやニューミュージック、それに今週唄った歌謡曲です!   滝尾

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月15日(日)00時35分13秒
 
【 私の「近現代日本歌謡曲史」(第 002回)】~フォークやニューミュージック、それに今週唄った歌謡曲です!~

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                       2009年02月14日(土曜日)23:59

 今週は、病院へ通院つづきでした。火曜日は皮膚科へ行き、リンデロン・V軟膏とヒルドイドソフトという軟膏を貰いました。血行をいよくし、痛み炎症を和らげるなどの塗り薬です。

 水曜日はデイ・サービスで一日、医療組合が経営する「あすなろデイ・サービス」へ行きました。この生協心療所では、胃酸の分泌をおさえるタケプロンOD錠30を飲んでいます。

 木曜日には、高陽整形外科クリニックスでリハビリなどを受け、(入浴&肩と腰の温め&、腰部への電気かけ)、そして理容療法士からのリハビリをうけました。一時間ばかりの治療ですが、心身が軽やかになり、その後は「カラオケスタジオ・よりみち」へ行き、歌謡曲をたくさん歌いました。

 金曜日は、広島市立安佐市民病院行き、「神経科・精神科」の診断を受け、今度、新たに、手、掌、脚腰、肩など全身に「剣山」を刺すような痛み止めの「漢方薬」を処方してもらいました。欧米医学と、東洋医学は「病」のとらえ方が相違しています。


 そのことは、東大で欧米医学を学んだ光田健輔たちと、尾張本草学から学んだ小笠原登とのハンセン病に対する基本的な病感の相違、治療法などの相違となって具現化します。また、ハンセン病に関して言えば、東洋医学が「医生」により、朝鮮の場合、各地域に存在したハンセン病政策を考える場合、ソロクト(小鹿島)を含めて、「絶対隔離政策」は、日本が総督府などが推進した政策は、1945年の敗戦=朝鮮では「国光・解放」までの最後まで破綻しております。

 つまり、原告の弁護士たちが「勝訴」を意識した歴史の単純さや、図式化では、東洋医学が広く影響している朝鮮では、最初から通用しなかったのです。それは、日本と異なり、「捨民」であり、放置であり、違反者はソロクト(小鹿島)の場合も、「聖書朝鮮」の主宰者である金教臣(内村鑑三から教えをうけ、朝鮮のキリスト教(=KJ)を唱えた)の「筆禍事件」で総督府から弾圧された時、ソロクト(小鹿島)の『聖書朝鮮』の購読者は、小鹿島更生園から追放されています。

 キリスト教医療宣教師が、釜山、光州(後にヨス)、大邱の三園のハンセン病療養所も、同様です。とりわけ、マッケンジーが園長だった釜山にあった「相愛園」は、要塞法違反として検挙され、やがて、相愛園入所患者は全員追放でした。だからハンセン病患者は、各地を放浪しました。そして「行旅死亡者」=行き倒れて自殺、飢死、凍死などしています。そうした事実は、市民学会の事務局長の藤野豊さんも語りませんし、いわんや、「国立ハンセン病資料館」の展示にも、全く無視されています。今度、「国立ハンセン病資料館」の経営は変るそうですが、日本の植民地でのハンセン病政策の現実は、まったく「無視」され、市民学会も全療協の人びとも、自国のハンセン病政策の非道さは言いますが、日本の植民地でのハンセン病政策の現実は無視することでしょう。

 現実として、今年の2月3日の「改正ハンセン病補償法」の国会成立の記念行事が、あったのでしょうか。また、それを怠ったソロクト・台湾楽生院への「無策」にした弁護団や市民学会に対する抗議なり、提言は、どこかであったのでしょうか。私は寡聞で知りません。ありましたらお教えください。

 私は、多病の身ですので、多くは言動も思うにまかせません。そして、ハンセン病問題は「捨てる」覚悟です。そうしませんと、神経から「全身」に痛みが走ります。このことをご報告いたあします。鳥取の高橋さんのことも、最近もお電話いただいたのですが、適切な意見が言えませんでした。この度、上田婦長さんが、東京で来られて、座談会を来週の金曜日に、上田婦長さんを囲んでなさるそうですが、鳥取の高橋さんは松江におられた時の、「身元引受人」でした。この件も、私はぜひ、お伺いしたいと思っています。なにもかも、事実でないものが、事実として通用しています。

 脱線しましたが、一言、私の意見など書いてみました。


 最近は、長淵剛や岡林信康、赤い鳥、谷村新司、さだまさし、森山良子、南こうせつ、美輪(丸山)明宏、河島英五、かぐや姫、よしだたくろう、イルカなどのフォークや、ニューミュウジックの歌謡に凝っております。一昨日も、その前日も、演歌を歌うことの多い、カラオケ喫茶やスタジオで、①長淵剛が歌う「乾杯」や、②岡林信康が大阪から東大の封鎖された「安田講堂」で歌ったという「山谷ブルース」、③美輪(丸山)明宏が歌う「ヨイトマケの唄」、イルカが歌った④「なごり雪」、⑤川村かおりの「翼をください」&「「竹田の子守唄、⑥河島英五が歌った「野風増「酒と泪と男と女」、⑦森山良子の「愛する人に歌わzせないで」や「涙そうそう」、⑧さだまさしの「償い」、「秋桜」、「精霊流し」、⑨加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、⑩ザ・ブロード・サイド・フォーの「若者たち」、⑪ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」、⑫越路吹雪の歌ったシャンソンの「愛の讃歌」、⑬小坂明子の「あなた」、⑭カルメン・マキの「時には母のない子のように」、⑮かぐや姫の「神田川」、⑯新谷のり子の「フランシーヌの場合」、ジローズの歌う「戦争を知らない子供たち」などを、カラオケ店にお客が少ない夕食時の午後5時前~7時過ぎに行き、歌いました。

 これについては、フォークや、ニューミュウジックの歌謡で「子守唄」「母」をテーマにした曲も歌っていますので、私の「近現代日本歌謡曲史」として、後日、紹介いたします。


 今、CD貸し店の「半額セール日」に、さだまさしベスト;①感動の素、②恋愛の素、③元気の素という三枚のCDなど借りて、複製を作成しています。「精霊流し」「秋桜(コスモス)」「案山子」など36曲が収録されています。他に、水森かおりの「歌謡紀行Ⅵ」や「宮 史郎全曲集」などを借りております。水森かおりの「歌謡紀行Ⅵ」に収録されている曲には、「銀座カンカン娘」「港が見える丘」「蘇州夜曲」「南国土佐を後にして」が、彼女の持ち歌である「ひとり薩摩路」「熊野古道」「鳥取砂丘」「釧路湿原」などとともに、収録されています。「宮 史郎全曲集」には、「女のみち」「霧の湯布院」「雨の修善寺」など収録されています。こうして、大衆・民衆が何を歌い、また、それはどうゆう社会背景があったのか、が最晩年の私の研究としたいと思っております。

 ご期待ください。今夜はこれまでとしたいと思います。

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  私のデイサービスと歌謡; 「歌手~ちあきなおみ」について        (滝尾英二)                

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 2月 5日(木)17時18分56秒
編集済
 
 毎水曜日は、近くにある「あすなろデイサービス」に午前9時30分~午後3時45分なでデイサービスに行っています。自宅からデイサービス、送迎していただけます。生協病院が経営していて、太田川の川岸におあり、一階は内科・小児科の診療室でその二階がデイサービス室となっています。10名前後の、こじんまりしたデイサービスで家庭的でゆっくりした雰囲気で、ベッドが10床くらいあり、私はこのベッドに寝ころんで、自宅から持参した小型のオージオにCDをかけて、聴いています。


 五木ひろしや鮫島有美子の歌を聴いていすが最近は、「喝采」「黄昏のビギン」「紅とんぼ」などで知られる「ちあきなおみ」の歌に凝っております。彼女が歌うCDを5枚も入手して聴いております。以前は彼女が演歌歌手だと思っていましたが、CDで聴いてみると「フォーク、ニューミュウジック」の歌手なんですね。

 中島みゆき、河村英五ほかの作品を歌い、また、杉本真人(最近は自作の「吾亦紅」歌って有名です)作曲「かもめの街」「紅い花」をつくった作品を歌っています。私も日本レコード大賞受賞曲「喝采」、「黄昏のビギン」「紅とんぼ」「矢切の渡し」「星影の小径」などはカラオケ喫茶で歌っていましたが、今度は「かもめの街」「紅い花」「役者」などが歌えるように練習しています。

 1947年の生まれで、5歳で日劇で初舞台を踏み、以降、米軍キャンプ、ジャズ喫茶、キャバレイ等で歌っていたといいます。下積み時代があったといいます。1970年以来のNHK歳末にも「紅白」に、「四つのお願い」(‘70=初出場)、「私という女」(’71)、「喝采」(‘72)を歌っいています。1978年に俳優の郷 治と結婚。三十一歳のときでした。

 1992年9月に夫・郷 治がガンで逝去しました。それ以後、ちあきなおみはマイクを置いてしまいます。四十五歳のことです。現在、六十二歳。六十歳代の秋元順子が「愛のままで…」でロングセラーとなり、「日本レコード大賞」優秀作品賞を受賞し、‘08年NHK紅白歌合戦で「愛のままで…」を歌っているのだから、その人生経験を生かてちあきなおみ再び、歌手生活に復帰してもらいたいという多くのフアンがいることだと思います。

 石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」「粋な別れ」「「泣せるぜ」「赤いハンカチ」、水原弘「黒い花びら」、岡晴夫の「東京の花売娘」「逢いたかったぜ」、春日八郎の「雨降る街角」、林伊佐緒の「ダンスパーテイの夜」、菊池章子の「星の流れに」、「エト邦枝」、ジエリー藤尾の「遠くへ行きたい」など。


 昨年は、テイチクよりDVD付きの五枚組CD『歌手~ちあきなおみ』が発売されたといいます。いま、ちあきなおみの再評価がなされ、若者たちからも、年配たちからも静かなブームが起こっているといいます。美川憲一は『月刊カラオケ』の今年三月号の中で、「ひばりさんの次に私はちあきなおみだと思う」(17ページ)だと言っています。私も彼女の歌をCDで聴きながら、同じ思いをしているひとりです。


 昨日は「立春」。それに近くにある広島市立高陽中学校の二年生の男子生徒が三名、ボランティアに来てくれました。私は彼らと一緒に歌い、さらに童謡・唱歌、さらに日本民謡を十曲ばかり、皆さんの前で歌いました。好評でしたよ。

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 「NHK放送番組=1月28日午後10時放送予定の番組で水俣病発見者とされる細川一元チッソ附属病院長が取り上げられます!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 1月27日(火)23時41分56秒
 
 水俣病センター相思社の弘津さんから「1月28日午後10時放送予定の番組で水俣病発見者とされる細川一元チッソ附属病院長が取り上げられます」というメールが届きました。今日は1月27日(火曜日)です。

 従って、明日の夜(午後)10時放送予定のNHKの番組です。<水俣病関係者必見の番組です>(弘津さん)と書かれています。と同時に、私は人権問題に取り組む方がたの<必見の番組>だと思います。皆さまがこの放送番組の視聴をしていただくようお願いいたします。

 この情報を知らせていただいた水俣病センター相思社の弘津さんに感謝します。

                 人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                    2009年1月27日(火曜日)  23:30

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 1月28日午後10時から「その時歴史が動いた」で細川一氏が登場
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 3月末で放送終了の「その時歴史が動いた」ですが、1月28日午後10時放送予定の番組で水俣病発見者とされる細川一元チッソ附属病院長が取り上げられます。

 1973年2月20日の一時訴訟判決が「その時」とのこと。

 水俣病発見、原因究明、自らの正義感と会社との葛藤、病床での証言、判決といった流れになるものと思われます。

 細川一研究の第一人者・有馬澄雄さんがゲスト解説者で登場します。
 貴重な映像、音声資料も紹介されます。

 相思社からもいくつか資料を提供しました。水俣病関係者必見の番組です。(弘津)

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※ネットワークこそが相思社の力です。ご意見、ご感想、ご叱責等なんでもお
知らせいただければ幸いです。

 財団法人 水俣病センター相思社
 〒867-0034 熊本県水俣市袋34番地
 電話 0966-63-5800/FAX 0966-63-5808
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 日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 (ハンギョレ)[後半]」を『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。   

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 1月26日(月)16時24分51秒
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する6記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 また、前回に引き続き「(3)日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 (ハンギョレ)[後半]」を『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。

 崔鳳泰弁護士は、ハンギョレの記事に<金を儲けるどころか、自分の金をはたいて、日本関連の訴訟にかかりきってきた崔弁護士を、大邱(テグ)の泛魚洞の事務室>書かれているように、小鹿島(ソロクト)行政訴訟に関しても、この訴訟が始まる契機となった2003年8月以降、一貫してご指導、ご支援をいただいた弁護士です。私もたいへんなご支援をいただいた方です。

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘09年01月26日(月曜日)16:07

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) <写真ニュース> 故郷への道のりは長く (聯合ニュース)
2) 「南北の正月、主に女性たちの苦労は同じですね」 (聯合ニュース)
3) ハンギョレが会った人 日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 [後半] (ハンギョレ)
4) 「日帝強占期の遺物」、文化財指定の制限推進 (聯合ニュース)
5) 「龍山惨事」を追慕するろうそく集会 相次ぐ (聯合ニュース)
6) 韓日葛藤要因の管理が重要、権哲賢駐日大使 (聯合ニュース)

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[ハンギョレ 2009-01-23 14:25]

【「韓国人徴用」企業に事業権の贈り物;「我が国の大統領だと見るのは困難だ」 [後半部]; <ニュースの奥> ハンギョレが会った人 日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 】


- 政治家たちは、日帝被害者の問題に対しては無関心なようですね。

「我が国の政治家たちは、日帝強占期の害者ら傷に目を向けてきませんでした。それで、慰安婦ハルモニなどの帝被害者が、2003年に大韓民国の国籍を抛棄する運動まで行われたのです。

政治権力を持った人たちが、日帝の後に続く加害者だという側面があります。特に、韓日協定で経済協力資金を受けて収益をえた人たちがいます。それだけに、日帝被害者に配慮すべきなのに、被害者たちの心情を推し量ることさえしません。整理しなければならないことを整理せず、責任を負わないのに、未来を語るのは日本の共犯者と異ならない姿勢です。」

崔弁護士の批判はよどみなかった。彼には、日本政府より、むしろ韓国政府がより越えが難しい壁のように見えた。

- このような韓日問題訴訟に飛び込むようになった契機がありますか?

「1994年日本の東京大学で労働法を勉強しましたが、当時、我が国の日帝被害者たちが本格的に訴訟を提起しました。慰安婦[被害]ハルモニたちが提起した訴訟で、日本の法廷に行ったところ、韓国人の弁護士は一人もおらず、日本の弁護士だけでした。本当に恥ずかしかったです。その後、1998年徴用被害者の憲法訴訟を引き受けて、本格的に日帝強占下の強制動員被害者の訴訟を始めました。」

- 大学の時、運動圏でしたか?

「いいえ、考試(司法試験)生でした。私は81学番[1981年入学]ですが、その時の学生たちは、本当に命をかけて民主化運動をしました。そんな人たちに、負債意識がありました。」

- 今は支援する弁護士が、増えたましたか?

「この訴訟は、経済的に利益がないばかりか、日本を行ったり来たりしなければならないので、支援してくれる人は多くはありません。」

彼は、「挺身隊ハルモニと共にする市民の会」の代表、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の事務局長を務めて、市民団体次元の努力にも力を注いできた。

政府は、昨年初めて日帝強制動員の死亡者の遺族に2千万ウォンを支給し始めた。崔弁護士は、彼らに支給されたお金の5%を積み立てて、日帝被害者の共済組合を作る仕事に取り組んでいる。被害者同士がまとまって、韓日合併100年をむかえる2010年前までに、何かを一度しっかりしてみようというのだ。

- 準備中の共済組合では、どんなことをする計画なのですか?

「十匙一飯でお金を集めて、共済組合を作ったら、私より有能で優れた弁護士たちも雇用できるでしょう。2000名が参加すれば、20億ウォン程度を作れます。そうすると、日帝時代に受けとれなかった未収金の訴訟も本格的にできます。」

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「韓日の被害者が力合わせれば、日本政府も態度を変えるだろう」

崔鳳泰弁護士は、「韓国人強制動員被害者関連の訴訟は、日本人の戦争被害者たちのためにも、是非必要だ」と強調した。日本政府は、自国民の原爆被害者をはじめとする戦争被害者に対する謝罪と賠償をまともにしていない。そのため、韓国と日本の両国の被害者の連帯が、一層重要だというのだ。

崔弁護士は、日本政府がこのように自国の戦争被害者たちに謝罪や賠償をしない主要な原因の一つとして、日本の「天皇」を挙げた。天皇の戦争責任論について日本国内で言及することさえダブー視されている状況で、戦争被害者の賠償が議論されにくいというのだ。

代表的なものが、原爆被害者だ。日本の原爆被害者たちは、米国と日本の政府どちらからもまともな謝罪や賠償を受けられずにいる。結局、日本人の戦争被害者は、太平洋戦争で非常な苦痛を被ったのに、ただ国家が支給している慰労金だけを受けているのが実情だ。

崔弁護士は、「日本が自身の傷も癒せないのに、私たちの声に耳を傾けるでしょうか」、「韓国の被害者が、日本の被害者と連帯して、こういう問題を指摘しなければ、日本政府の変化は引き出せない」と語った。

我が国にも原爆被害者が多いだけに、日本の被害者たちが充分要求できない賠償問題を、私たちが積極的に主導するのが、結局は、両国の被害者に賠償がなされることになるというのだ。 (クォン・シンジュン)記者)

 

  日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 (ハンギョレ)の記事を紹介します!                 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 1月24日(土)15時50分28秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 また、(2)日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 (ハンギョレ)を『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。崔鳳泰弁護士は、ハンギョレの記事に<金を儲けるどころか、自分の金をはたいて、日本関連の訴訟にかかりきってきた崔弁護士を、大邱(テグ)の泛魚洞の事務室>書かれているように、小鹿島(ソロクト)行政訴訟に関しても、この訴訟が始まる契機となった2003年8月以降、一貫してご指導、ご支援をいただいた弁護士です。私もたいへんなご支援をいただいた方です。

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘09年01月24日(土曜日)15:36

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 韓国の民主党、「永住権者にも参政権を付与」 (聯合ニュース)
2) 日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 (ハンギョレ)
3) 100周年を前にした春川刑務所..「栄誉と恥辱の歴史」 (聯合ニュース)
4) 金総書記、中国共産党幹部と会談…健康回復か (中央日報)

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[ハンギョレ 2009-01-23 14:25]
【「韓国人徴用」企業に事業権の贈り物
「我が国の大統領だと見るのは困難だ」 (前半部); <ニュースの奥> ハンギョレが会った人 日本の過去事被害訴訟の専門家 崔鳳泰弁護士 】」


慰安婦訴訟に韓国の弁護士が一人もいなかった時期
自己恥辱感で私財をはたいて、10余年間関連弁護を引き受ける
三菱強制動員訴訟など6件を同時に進行
最近 「独島は韓国の領土」とする日本の法令発見の凱歌も

(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=028&aid=0001983396


 韓日戦は、法廷でも行われる。サッカーの韓日戦が行われれば、韓国人たちの応援の熱気は狂ったように沸き上がるが、この激しい論理戦の現場には、観衆すら見い出すのが難しい。崔鳳泰(チェ・ボンテ、47)弁護士は、歴史の被害者でありながら、日本の加害を忘れて過ごする私たちの社会の無関心の中で、日本が犯した犯罪を証明する闘いを10年以上繰り広げてきた。

 ほとんど、「日本の過去事の被害訴訟の専門弁護士」と言っても、言い過ぎではないほどだ。苦労して勝ち取った成果らも輝かしい。今年の初め、日本が敗戦後の戦後処理過程で「鬱陵島(ウルルンド)と独島と済州島は、日本の附属島嶼ではない」と1951年に公布した法令「政令24号」を公開訴訟で明らかにした主役が崔弁護士だ。

 2005年にも、40年間ベールに包まれていた韓日協定合意文書のうち、韓国側文書を行政訴訟に勝って、公開させた。日帝強占期に日本の三菱重工業に強制徴用で連行された人たちが行っている長い訴訟戦も彼が受け持っている。

 崔弁護士と日帝被害者たちが熾烈に闘いを続けている反面、政府は思いがけない決定で、彼らの足も引っぱっている。最近、政府は多目的衛星アリラン3号の発射体製作業者として、三菱重工業を選定した。日帝強占期の強制徴用で成長した企業に、わが政府が率先して恩恵を与えているという非難があふれている。


こういう状況の中で、金を儲けるどころか、自分の金をはたいて、日本関連の訴訟にかかりきってきた崔弁護士を、大邱(テグ)の泛魚洞の事務室で会った。


- 今回独島を日本領土から除外したと明らかになった日本の法令は、どのようにして見つけましたか?

「私が探したのでなく、在日同胞たちが見つけたのです。1999年日本で始まった三菱重工業の強制徴用被害者たちの訴訟が契機でした。三菱重工業は、この間朴正煕政権時の韓日協定で、被害補償は終わったと主張してきました。

それで、まず2002年10月にソウル行政法院に、その根拠とされる韓日協定の日本の文書の内容を公開しろ、と情報公開訴訟を起こしたのです。勝訴して、2005年に文書内容が公開されました。日本では2006年12月に提訴し、日本の東京地方裁判所が2007年12月、公開しないのは違法だと判決しました。

それで、日本の外務省が、昨年から一部の事項は墨塗りして公開しました。その墨を塗った部分の内容を、日帝被害者と日本の市民で構成された「日韓会談文書・全面公開を求める会」という団体で明らかにしたのです。この団体で仕事をしている在日同胞の李洋秀(イ・ヤンス)さんの功労が大きかったのです。」

- 日本の外務省が公開した文書に、注目すべきほかの内容がありますか?

「日本政府が昨年7月公開した文書6万ページのうち4分の1程度が墨塗りされていました。現在、墨を塗った部分も公開しろと、追加訴訟を提起しました。こうしたことは、韓国政府がすべきことなのに、まさに在日同胞と日本の人たちがしています。」

崔弁護士は、日本で敗訴した三菱重工業強制動員被害者訴訟を2000年韓国に持ってきた。日本で関連訴訟は負けたが、韓国で再び賠償訴訟ができるという点に着眼したのだ。しかし、韓国の法廷でも1審は負けてしまった。日本の裁判所と同じように、賠償の時効が消滅したという論理であった。現在、釜山高法に2審が係留中のこの事件は、来月3日宣告がある予定だ。

- 韓国の裁判でも賠償時効が足かせになっていますね。

「戦争犯罪に関したことなので、一般的な時効が適用されてはいけないと思います。韓国裁判所は、判例に従うとし、民事裁判の基準の10年を適用して、三菱重工業の手をあげました。正義を実現するための訴訟なのに、時効を適用するのは理解できません。これは、憲法の精神に反するものです。」

- 憲法の精神のどの部分に背いているのですか?

「私たちの憲法の全文に、我が国は臨時政府の法統を継承し、外で世界平和と人類の共栄に尽くすと明示されています。三菱が勝訴するのは、こういう憲法精神を破って、戦犯を守ってやっているのです。」

- 日本で敗訴して、韓国でまた訴訟したのに、我が国で再び敗訴したので、被害者たちの傷心は非常に大きいでしょう。

「日本で日本政府と三菱両側を相手に訴訟を行いました。日本政府には勝訴して、企業には敗訴しました。それで、苦労に苦労して、韓国にも管轄権があるという論理を開発し、韓国に戻って訴訟をしたのです。

しかし、我が国の裁判所は、日本の裁判所の判決にそのまま従って、、企業には賠償責任がないと判決を下しました。日本の弁護士たちでさえ、でたらめだと思っています。被害国家ですら、被害者に正義を戻さないのに、加害国家にそれを要求できますか。」

- 被害者たちが高齢なので、気が焦っているのではと思いますが。

「日本で行われた裁判に、46名が参加しました。韓国の裁判では、最も元気な方6名が原告として参加したのに、すでに一人が亡くなりました。大部分80才を越えていて、時間が過ぎるにつれて難しくなります。三菱は、これを知っていて、時間を長引かせる戦略を用いています。」

- どのように、時間がかかっていますか?

「三菱重工業の連絡事務室が、釜山にありました。それで、釜山で裁判が始まったのです。しかし、裁判が始まるので、連絡事務所をなくして、韓国三菱重工業という法人を作りました。そして、法人が異なるので、裁判所書類の送達を拒否しました。露骨な裁判遅延作戦です。法廷で韓国人に謝ったり、過去を清算する意志が全くないと見なければなりません。」

こういう渦中に我が国の宇宙科学政策の核心事業であるアリラン3号発射体業者を、韓国政府が韓日関係改善を理由に、三菱重工業に決めた。今月11、日麻生太郎総理が韓国を訪問した後、李明博大統領が、ロシア企業から三菱重工業に変えるように指示したと伝えられている。

- アリラン3号発射体を三菱が引き受けるようになったことは、どのように見ていますか?

「<読売>が報道しましたが、もし事実なら、李明博大統領の歴史意識を示すものです。強制徴用で数多くの人たちが苛酷な労働で命を失いました。こういう戦犯会社に韓国の未来事業を任せてはいけないと主張しているの、全く考慮していないのです。私たちの国民を代表する韓国の大統領と見なすのは困難です。」 (クォン・ウンジュン記者)  [後半は明日に]
 

  韓国のチャンギルの事務局長である金 在浩さんから、下記のような「新年に賀状」のメールが届いていました。 滝尾英二より

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 1月22日(木)22時45分36秒
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  韓国のチャンギルの事務局長である金 在浩さんから、下記のような「新年に賀状」のメールが届いていました。もう一度、小鹿島を訪ねて、ハラボジ&ハルモニの皆さんや、金 在浩さんなどの関係者たちとお会いしたいとも思いますが、現在の私の健康=こころと身体の健康が多分、ゆるさないでしょう。

 でも、金 在浩さんたちは「~小鹿島を訪ねると何時も滝尾さんのことを思い出します。」と言くれております。有難いことです。久しぶりに自分のパソコンの前に座り、私に送られたメールや友人&知人たちのホームページを拝読しました。こころおどる喜びでした。


 明日からは、少しづつではありますが、「滝尾英二的こころ」や「滝尾英二的こころ・第二部」の投稿原稿をその掲示板に掲載しようと思います。私が最近、特にこころを痛めているのは、ガサ地区のイスラエル軍の攻撃で、1300名を越すパレスチナの人びとが、殺されていることです。


 オバマ米国新大統領も、イスラエル軍の攻撃で、1300名を越すパレスチナの人びとが、殺されていることを具体的に大統領として発言しておりません。そして、イラクからの撤退を言いながら、アフガンの3万人の米軍の増強を選挙公約し、「テロとの闘い」だと称して、さらに3万人の軍隊の増強を強調しています。やがて、国際協調の名のもとに、日本アフガンへの支援・協調をせまってくるはずです。

 アフガンの自衛隊派兵に際して、私は、当時、衆議院議員であった川田悦子議員や、その息子の川田龍平さん(現・参議院議員)らと、永田町の「衆議院議員会館」前で、深夜の座り込みをしました。秋季でした。少数」でしたけれど、有意義で印象的な座り込みでしおた。あれから、歳月は経っております。米国のオバマ新大統領を一面的に非難や批判などはしませんし、平和の人権問題に大きな意義ある政策などを打ち出すでしょう。その点は評価しながら、アフガン派兵増強で、「テロとの闘い」を言い、さらにそれえを日本が容認し、追随することは、危険です。

 そうした流れを煽るような言動には、注意が必要です。アフガン問題の解決は、兵力増強などではなく、いかにしてアフガンの貧しい人たちを救済し、その地に平和をもたらすかです。その点、アフガンの人びとは、オバマ米国新大統領の就任を喜んでいないと、報道されています。

 こうした諸問題などを明日から、「滝尾英二的こころ」や「滝尾英二的こころ・第二部」の掲示板などに、投稿したいと思っています。


    人権図書館・広島青丘文庫   滝尾英二 (’09年1月23日; 22:45)
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 From: 金 在浩
To: 滝尾 英二
Sent: Friday, January 02, 2009 1:24 AM
Subject: 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
お元気でしょうか。今年も1月の7-10日にかけて小鹿島を訪ねます。
小鹿島を訪ねると何時も滝尾さんのことを思い出します。お便り下さい。

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ご報告です。 滝尾英二より

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2009年 1月22日(木)11時44分57秒
   訪問者の皆さまへ
                     人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                      2009年1月22日(木曜日) 10:40

 「ホームページ」の作成・投稿できず、申し訳ありません。
08年の歳末あたりから心身の異常が起きてきて、「ホームページ」の作成・投稿をしばらく中断していました。今年=2009年1月17日の早朝、午前1時15分から、吐血を繰り返し、器や枕、シーツ、寝巻きなどが私の吐血(赤黒い)気味悪く染まっていました。吐血は300CCほどでしたでしょうか。

 かかりつけの病院のそのことを連絡すると、「薬ものまず、食事も中止して、近くの内科医で診察を受けなさい」ということでした。器に吐いた「吐血」と赤黒く染まった衣類を近くの内科病院に持参し診察を受けると、「ここは入院施設がないので、入院して、医カメラ検査や輸血などの治療を受けるように」と、入院できる総合病院に連絡。入院しました。

 絶食と輸血とで、3日ばかり寝たきりの入院生活。幸い、「胃内と食道部分が糜爛(びらん)しているが潰瘍のポリープやガンもない」という胃カメラ検査の結果でした。貧血が著しいということで、800CCの輸血を二日間行いました。

「赤血球数=171とL(低い)標準値は400~550。ヘモグロビン、ヘマトクリットなどもだいぶLです。赤血球沈降速度も標準値が1時間10以下が、1時間値が62、2時間値は117と高いなどなどです。一応「逆流性食道炎」という病名を頂きました。タケダプロンカプセル(30mg)一日一回、ガスモチン錠(5mg)を毎食後一日3回服薬し、整形外科qからは、ロキソンン錠など鎮痛薬の中止、をいわれました。退院後の「黒い便」が多量に出ましたので、胃かから腸にでた血液だと思います。

 なお、詳細は1月30日の安佐市民病院で検診を受けます。そんな次第ですから、パソコンも出来ない情況です。なお、これは神経からくる指の痛さもあります。ご報告いたします。
 

パート1の掲示板から転載いたします

 投稿者:管理者  投稿日:2009年 1月14日(水)01時52分18秒
  パート1の掲示板より以下転載いたします。

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しばらく休養します  投稿者:スタッフ  投稿日:2009年 1月11日(日)22時38分46秒


   こんばんわ。当サイトを運営しているスタッフです。
著者・滝尾英二より、大略、次のようなメッセージをUPするよう依頼を受けました。

*********

年末から、神経的なことが原因の頭痛や手のしびれに悩まされ、
充分にキーボードがたたけず、
パソコンに向かうのも、ままならない状態が続いています。

この激痛は投薬などでは解消されないもののようで、
多分に精神的なものに起因しているようです。

カラオケに出かけ唄っている時には感じないものが、
自宅に戻り、TVの報道に接したり、
あるいは自分の過去に向き合った時など、
激しい痛みがおそってきます。

そこで、この痛みを解消するために、
今の自分の生活環境を根本から変える必要があるのでは…と考え、
自分のこれまでの過去のすべてを、良いものも、そうでないものも、
すべてを捨て去る決意をしました。

ハンセン病の問題や、人権に関する問題についても、
しばらく距離を置きたいと考えています。

以上のような理由で、当サイトについても、しばらく休養したいと思います。
 

 今日はクリスマスです。職を失い、食うも、住む家もない、多くの人たちを思うと胸がつまります。      (滝尾)    

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月26日(金)00時47分25秒
 
 昨日(12月24日)は、クリスマス・イヴ。しかも水曜日は「あすなろデイ・サービス」に介護を受ける日です。ところが早朝から体調が悪く、首部から下の全身が「痛む」という神経性障害が起きて難渋しました。でも、クリスマスの歌の特訓をした以上、どうしても、あすなろデイ・サービスにおいでの皆さんに、クリスマスの歌を聴かせたいと思い、午前8時45分に自宅にきた送迎車に乗りました。

 午前9時には各家々を廻って送迎車は「あすなろ」に到着。早速、二階の大きい部屋に入り、コーヒーや日本茶を飲み、体温、血圧、脈拍などの測定を受けました。しかし、動脈硬化のある右脚が「血流」が行きにくいのか、足首や太股が氷のように冷たく、かつ、痛みますので、「温度のあるお湯で脚を温めといので、お願いします!」と云って、ベッドに横たわっていました。職員に、脚を温める小さい袋状のものを貸して貰いましたが、なかなか、右脚に冷たさも全身の「痛さ」も治りませんので、難渋しました。お昼前にお風呂が開き、両方の脚をお湯の入ったバケツで温めることが出来ました。

 午後2時半には、大きなクリスマス・ケーキとコーヒー・紅茶などが出され、「滝尾さん、クエイスマスの歌を唄ってください」という職員の要望もあり、二曲ばかり、カラオケの伴奏をCDにかけてもらい、唄いました。最初は「賛美歌109・きよしこの夜」、次に「赤鼻のトナカイ」です。「<赤鼻のトナカイ>の歌をご存知の方は手を上げてください」と私が言うと、職員の方がひとり上げられただけで、十人ほどの介護者の方からは手が上がりませんでした。

 もっとお年寄りも知っている童謡・唱歌、それに叙情歌を習って歌うか、氷川きよしの「ズッコン節」などをこれからは、「デイ・サービス」では唄う必要を感じた次第です。


 帰宅後も体調はすぐれず、づーっと寝室で横たわっていました。25日のクリスマスの朝は、身体を温めるため入浴しました。ところが、それまでは浴槽からひとりで、握り棒を使って立ち上がることが、今日はそれが出来ず、また、別部屋にいる妻に、介護を頼もうとも、携帯を入浴中は持参していないので、裸でたいへん困りました。昨日まで出来ていたことが、今日は出来なくなるということが、加齢とともに起こるものです。だから、今晩は、杖を持参して入浴し、どうにかひとりで入浴を済ませました。

 パソコンから情報を得、また、私のホームページの投稿原稿のことも気にかかりながら、やっと今、済ませた次第です。今年は急速に体力がなくなり、介護者の方がたにご迷惑をおかけしております。枕元に置いているテレビを視聴して、「赤字国債」の膨大なツケを子や孫たちに、これ以上お願いしてよいのだろうか、総選挙を見込んだ「ばらまき」予算を自公政権は、しかも来年3月を目当てにやるということです。食事や住む場所のない人たちのことを思うと、また、中小・零細企業の経営者やそこで働く労働者たち、派遣労働者や、自然災害を受けれ、家と働く職を失った人びとのことを思うと、政治の非情さと無能さに腹立たしくてなりません。なぜ、解散・総選挙をして国民の民意を聞こうとしないのか、麻生内閣の政治姿勢に怒りがわいてきます。

 今年の後、数日です。みなさま幸多かれと祈るばかりです。今年は、私たちにとって、最悪の年だったと思います。夢の持つことが出来がたい年でした。


              人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                 2008年12月25日(木曜日)  23:55

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 東京少年少女合唱団、東京放送児童合唱団の天使の声のようなクリスマス=サンタさんの歌を聴きながら、サンタの歌を特訓中! 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月21日(日)22時40分32秒
編集済
 
 12月24日(水曜日)は、近くにある「あすなろデイ・サービス」を受けに午前9時から午後3時40分まで、介護を受けにゆきます。数年間もカラオケに通っている者として、クリスマス=サンタさんの歌を「あすなろデイ・サービス」で皆さんの前で唄おうと、只今、特訓中です。


 2008年を回顧しますと、暗いことが余りにも多すぎます。寝室の寝台の枕元に置いているテレビのニュースを視聴するのが、辛くてなりません。見たくなくて、テレビのスイッチを切ることが、しばしばです。来年は総選挙が必ずあります。このまま、「自公による政治」をつづけさすわけには、いかないと思います。

 そんなことを思いながら、クリスマス=サンタさんの歌を練習している昨今です。東京少年少女合唱団、東京放送児童合唱団の天使の声のようなクリスマス=サンタさんの歌を聴きながら、12月24日に唄うクリスマスの歌を唄えるように特訓中です。

                 人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                      ‘08年12月21日(日曜日)22:32

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<クリスマス・キャロル(クリスマスの唄)

1、ジングル・ベル (2分40秒)
2、いざうたえ (2分37秒)
3、ママがサンタにキッスした (3分22秒)
4、もみの木 (1分32秒)
5、神のみ子は今宵しも (
6、おめでとうくりすます (2分13秒)
7、あわてんぼうのさんたくろうす (1秒24秒)
8、く・り・す・ま・す (3分02秒)
9、わらの中の七面鳥 (1分29秒)
10、サンタのおじさんがやってくる (1分59秒)
11、きよしこの夜 (3分03秒)
12、アヴェ・マリア (2分01秒)
13、もろびとこぞりて (1分32秒)
14、赤鼻のトナカイ (2分05秒)
15、牧人ヒツジオ (2分20秒)
16、ひいらぎかざろう (1分55秒)
17、サンタが町にやってくる (2分23秒)
18、あら野のはてに (2分34秒)
19、すてきな雪景色 (1分54秒)
20、ホワイト・クリスマス (3分55秒)

21、ジングル・ベル <カラオケ>
22、もみの木 <カラオケ>
23、あわてんぼうのサンタクロース <カラオケ>
24、きよしこの夜 <カラオケ>
25、赤鼻のトナカイ <カラオケ>
26、サンタが町にやってくる <カラオケ>
27、ホワイト・クリスマス <カラオケ>

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

ロシア歌謡のなかに、「一週間」というのがあります。この「一週間」に倣って、私の「一週間」を書いてみましょう。(滝尾)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月14日(日)23時47分11秒
           ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「‥‥広島市立安佐市民病院の精神科・精神科で先日、診察・検査して精神医の説明によると、<加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」を引き起こし、それが「激痛」の要因だから、自己の生活環境を変化さすことであり、「痛さ」は薬を飲んでも一時しのぎで、神経や脳を治す方法はない、ともかく「怒る」環境を避けることである。>と云うことです。腹の立つ現今ですが、楽しいこと、不安感からの回避することが、必要だという精神科・精神科医の意見でした。それにしても「腹だたしい」現今ですが、当分、介護施設、リハビリなどの整形外科の通院、歌謡のための「カラオケ」通いに専念するようにします。」

 こういう一文を過日(12月6日)の私のホームページの掲示板に掲載dしました。皆さまに、ご心配をおかけしております。加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」は、テレビなどカスコミ報道や、仄聞する「ハンセン病問題」など人権問題を知ると、私も一言したいと思うことがありますが、既にここ十数年、私の意見や行動は、雑誌や新聞など、さらに近時は、『滝尾英二的こころ』や『滝尾英二的こころ・第二部』などで、掲載していますし、諺に「沈黙は金」ということも、いわれています。精神病など私や介護をしてている妻など介護者などのことも考えて、その思いは、なるべく控えるようにしています。


『滝尾英二的こころ』の総訪問数は、現在で、2万6750人、『滝尾英二的こころ・第二部』の総訪問数は、現在で、1万5352人で、合計しますと、4万2100余になりました。これを支えているスタッフの方がた、更に、私に情報を届けていただいている福留範昭和先生をはじめとする方がた、訪問者の方がたがあってのことだと、感謝しています。

 ロシア歌謡のなかに、「一週間」というのがあります。この「一週間」に倣って、私の「一週間」を書いてみましょう。

「日曜日」には、歌謡の勉強。一日中、自宅の寝室のベッドの枕元にあるテレビで、衛星NHKテレビの「遠藤 実」の紹介を視聴していました。ゲストに、作詞家のいではく、歌手で遠藤 実さんの自宅で歌謡を教わった千昌夫さんが、故・遠藤 実さんを語っていました。この十二月六日に、急性心不全で亡くなった遠藤 実さんは一九三二年生まれ。私より、一歳若く、幼くして新潟に転居し、そこの自然である山・川・海・動植物や、人情の美しさを終生忘れず、それを曲にされたといいます。音楽・作曲は独学です。はじめは歌手になろうと思われたそうです。

 「北国の春」「星影のワルツ」「高校三年生」「ふるさとの四季をうたう」「くちなしの花」「すきま風」「夢追い酒」「こまっちゃうな」「アケミという名で十八で」「若き日の歌」のよういな民衆のこころに響く歌謡の作曲をされたのです。今晩は「篤姫」の最終回を視聴しました。近代国家とは何か、という問題・課題を考えました。


 「月曜日」は、午前10時半から正午まで、高陽整形外科クリニックスへ「リハビリ」と薬を貰いに行き、整形外科クリニックスのすぐ隣にある「うどん屋」で昼食をとり、手押し車を押して、300メートルほど離れた「カラオケスタジオ・よりみち」へ行き、歌います。演歌ではなく、鮫島有美子さんがCDで歌っている叙情歌、民謡、同様・唱歌などを歌おうと思っています。

  リハビリでは腰の力をつける為に、息をいっぱい吸って下腹部を膨らませ、少しずつ口から吐くのですが、その息の「あ・え・い・お・う」と言葉をのせると、まさに歌謡曲でいう「複式呼吸」となります。「リズム、声の大小(音域が上がる時は声を上げ、下がる時はだんだん小さくするのが、原則です)、メロディー」を歌詞の意味を理解して歌うのが歌謡の原則のようです。これも「頭などの体操」のつもりでやっています。

 「火曜日」は自宅で、パソコンを視聴し(DVDやCDを視聴します)、メールを送信します。今年は「介護制度」の見直しです。介護費用が3パーセント増額すると報道されていますが、これはあくまで、介護施設者へ増額されるので、介護する労働者、職員たちの介護条件=賃金や重労働の改善には、直接にはならない場合があるようです。小泉主相自大から社会福祉費は年二千二百億円も毎年減額されたもので、高齢者の増加が増大する中で、3%の増額でこと足りるという問題は深刻です。

 「水曜日」は、早朝より「あすなろデイ・サービス」に行きます。「木曜日」は週二度目の高陽整形外科クリニックスへ「リハビリ」に行き、帰路に「カラオケ喫茶」へ行きます。

 「金曜日」は、妻に連れられて広島市立安佐市民病院の精神科・精神科と、内科へ行き、帰りに、病院の近くにある「カラオケ喫茶・城」へ久ぶりに行こうと思います。

 「土曜日」は、今週は散髪屋さんが来て、千円の料金で「あすなろデイ・サービス」において散髪の出張。その為「デイ・サーブス」に行き一日を過ごします。


 高齢者となり、複数の病気をもつ身となりました。「年賀状」も今年から、失礼しようと思います。老人となる、病んで死ぬのは、自然の摂理です。死ぬ瞬間まで、毎日をいかに生きるかが、問われていると思います。


                   人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                    ‘08年12月14日(日曜日)23:45

      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 私の臨終の瞬間には「演歌」ではなく、童謡・唱歌、または叙情歌を流して欲しいと思います。 (滝尾英二)         

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月11日(木)23時02分23秒
編集済
 
 毎週・水曜日に「あすなろデイ・サービス」に行って、ノート・パソコンを打っている作業:童謡・唱歌、フォークなどの歌謡の記録

 水曜日には午前9時に、あすなろ診療所の「デイ・サービス」から送迎車が自宅まで迎えに来ます。5分ほどであすなろ診療所へ到着します。一階は内科と小児科の診療所で、二階がデイ・サービスを私たちが受ける場所です。通常は平均して十名程度、多い日は十数人が近くの家々からやって来ます。職員は数人いまして、介護をしていただきます。

 到着すると、ゆっくりお茶を飲んでリラックスし、その間に健康チェックや体温、脈、血圧のチェックを受けます。その後、皆で体操をし、それぞれ頭の体操として、ちぎり絵・パズルなどをします。私は、自宅からノート・パソコン一式を持参し、頭と指先などの運動を兼ねて、一日中、パソコンで作業をしています。昼食は450円の弁当に温かい味噌汁をいただきます。昼食後はベッドに横になって身体をやすめることが出来、ベッドが十台ほど準備してあります。入浴も可能ですが、私は昼間には入浴しません。

 手作りのお菓子やコーヒーを飲みながら、皆さんとおしゃべりをします。少人数でとても家族的な雰囲気です。私のような「要・支援者」が殆んどで、「要・介護者」は殆んどいないようです。午後3時40分になると、送迎車で自宅まで送っていただきます。私もデイ・サービスはリラックスしますし、妻がその間は家庭介護がいりませんので、その間はリラックスして、広島市内などへ出かけて、コーヒー・ショップなどへこころ易く行くことができます。

 さて、デイ・サービスで私は、どんな頭と手先の運動をしているか、紹介しましょう。以下の「鮫島有美子・愛唱歌集」は、CDで5枚ですが、その曲目と解説、歌詞が文庫判くらいに116ページにまとめられています。それを全部、ワードで書きうつす作業に取り掛かっています。別に「夜明けのうた~私の青春のうた~」というCDも、同時に収録することにしました。

 私も、そう遠くない時に、この世を去る時代(とき)が来るでしょう。その「臨終」に際して、言葉は出ませんが、聴覚は最後まで残るそうです。その臨終の瞬間は「演歌」ではなく、童謡・唱歌、または叙情歌を流して欲しいと思います。例えば「鮫島有美子・愛唱歌集」に収録されているような歌です。念のため、デイ・サービスにおいてパソコンで書き写した曲目です。以下、私がデイ・サービスで書いた曲目を紹介します。

 人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二 <2008年12月11日(木曜日)22:55>

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「鮫島有美子・愛唱歌集:曲目解説 坂 清二;後藤暢子;長田曙二」

DISC 1

1、椰子の実(島崎藤村・詞、大中寅次・曲)
2、早春賦(吉丸一昌・詞、中田章・曲)
3、浜辺の歌(林古渓・詞、成田為三・曲)
4、からたちの花(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
5、平城山(北見志保子・詞、平井康三郎・曲)
6、雪の降る街を(内村直也・詞、中田喜直・曲)
7、花の街(江間章子・詞、團伊玖磨・曲)
8、お菓子と娘(西條八十・詞、橋本国彦・曲)
9、霧の話した(鎌田忠良・詞、中田喜直・曲)
10、夏の思い出(江間章子・詞、中田喜直・曲)
11、小諸なる古城のほとり(島崎藤村・詞、弘田龍太郎・曲)
12、出船(勝田香月・詞、杉山長谷夫・曲)
13、ちんちん千鳥(北原白秋・詞、近衛秀麿・曲)
14、ペチカ(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
15、この道(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
16、叱られて(清水かつら・詞、弘田龍太郎・曲)
17、城ヶ島の雨(北原白秋・詞、梁田貞・曲)
18、浜千鳥(鹿島鳴秋・詞、弘田龍太郎・曲)
19、花(武島羽衣・詞、瀧簾太郎・曲)
20、朧月夜(高野辰之・詞、岡野貞一・曲、村木ひろの・編)
21、曼珠沙華(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
22、荒城の月(土井晩翆・詞、瀧簾太郎・曲)
23、砂山(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
24、かやの木山の(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
25、赤蜻蛉(三木露風・詞、山田耕筰・曲)


DISC 2

1、ちいさい秋みつけた(サトウ・ハチロー・詞、中田喜直・曲)
2、里の秋(斎藤信夫・詞、海沼実・曲)
3、待ちぼうけ(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
4、青葉の笛(大和田建樹・詞、田村虎蔵・曲)
5、あわて床屋(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
6、松島音頭(北原白秋・詞、山田耕筰・曲)
7、中国地方の子守歌(岡山県民謡、山田耕筰・曲)
8、野菊(石森延男・詞、下総一・曲、新実徳英・編)
9、故郷(尋常小学唱歌)
10、森の水車(清水みのる・詞、米山正夫・曲、新実徳英・編)
11、夏は来ぬ(佐々木信綱・詞、小山作之助・曲)
12、五木の子守唄(熊本県民謡、新実徳英・編)
13、鎌倉(芳賀矢一・詞、作者不詳、青山広志・編)
14、朝はどこから(森まさる・詞、橋本国彦・曲、新実徳英・編)
15、紅葉(高野辰之・詞、岡野貞一・曲、南安雄編)
16、冬の夜(尋常小学唱歌、南安雄・曲、新実徳英・編)
17、かあさんの歌(窪田聡・詞&曲、新実徳英・編)
18、揺籠のうた(北原白秋・詞、草川信・曲)
19、月の沙漠(加藤まさを・詞、佐々木すぐる・曲、南安雄・編)
20、春の歌(野口雨情・詞、草川信・曲、服部隆之・編)


DISC 3

1、小さな木の実<Serenade>(海野洋司・詞、ビゼー曲、青木望・編)
2、かなりや(西條八十・詞、成田為三・曲、南安雄・編)
3、ビビディ・バビディ・ブー(音羽たかし・詞、デイヴィッド&ホホマン曲、南安雄・編))
4、蛙の笛(斎藤信夫・詞、海沼実・曲、南安雄・編)
5、みかんの花咲く丘(加藤省吾・詞、海沼実・曲、南安雄・編)
6、クラリネットをこわしちゃった(石井好子・詞、フランス民謡、青木望・編)
7、証城寺の狸囃子(野口雨情・詞、中山晋平・曲、服部隆之・編)
8、黄金虫(野口雨情・詞、中山晋平・曲、服部隆之・編)
9、兔のダンス(野口雨情・詞、中山晋平・曲、服部隆之・編)
10、大きな古時計(保富康午・詞、ワーク・曲、青木望・編)
11、七つの子(野口雨情・詞、本居長世・曲、服部隆之・編)
12、青い眼の人形(野口雨情・詞、本居長世・曲、南安雄・編)
13、トム・ピリビ(水野汀子・詞、ポップ・曲、青木望・編)
14、花かげ(木村主計・詞、豊田義一・曲、南安雄・編)
15、雨降りお月(野口雨情・詞、中山晋平・曲、南安雄・編)
16、俵はごろごろ(野口雨情・詞、本居長世・曲、服部隆之・編)
17、四丁目の犬(野口雨情・詞、本居長世・曲、南安雄・編)
18、チム・チム・チェリー(あらかわ ひろし・詞、シャーマン兄弟・曲、青木望・編)
19、木の葉のお船(野口雨情・詞、中山晋平・曲、服部隆之・編)
20、赤い靴(野口雨情・詞、本居長世・曲、南安雄・編)
21、手のひらを太陽に(やなせ たかし・詞、いずみ たく・曲、青木望・編)
22、里ごころ(野口雨情・詞、中山晋平・曲、新実徳英・編)
23、シャボン玉(野口雨情・詞、中山晋平・曲、服部隆之・編)
24、さびしいカシの木(やなせ たかし・詞、西脇久夫・曲、青木望・編)
25、夕焼小焼(中村雨紅・詞、草川信・曲、南安雄・編)


DESC 4

1、カチューシャの唄(島村抱月&相馬御風・詞、中山晋平・曲、林光・編)
2、ゴンドラの唄(吉井勇・詞、中山晋平・曲、青山広志・編)
3、あざみの歌(横井弘・詞、八洲秀章・曲、青山広志・編)
4、遥かな戸も(磯部俶・詞&曲、青木望・編)
5、山小舎の灯(米山正夫・詞&曲、青山広志・編)
6、忘れな草をあなたに(木下龍太郎・詞、江口浩司・曲、青山広志・編)
7、リンゴの歌(サトウ・ハチロー・詞、万城目正・曲、青山広志・編)
8、水色のワルツ(藤浦洸・詞、高木東六・曲)
9、もずが枯木で(サトウ・ハチロー・詞、徳富繁・曲、青山広志・編)
10、惜別の唄(島崎藤村・詞、藤江英輔・曲、青山広志・編)
11、山のけむり(大倉芳郎・詞、八洲秀章・曲、青山広志・編)
12、北上夜曲(菊池規・詞、安藤睦夫・曲、青山広志・編)
13、宵待草(竹下夢二・詞、多忠亮・曲)
14、すみれの花咲く頃(白井鐡三・詞、デーレ・曲、青山広志・編)
15、琵琶湖就航の歌(小口太郎・詞、吉田千秋・曲、青山広志・編)
16、さすらひの唄(北原白秋・詞、・曲、中山晋平・曲、青山広志・編)
17、さくら貝の歌(土屋花情・詞、八洲秀章・曲、青山広志・編)
18、白い花の咲く頃(寺尾智沙・詞、田村しげる・曲、青山広志・編)
19、湖畔の宿(佐藤惣之助・詞、服部良一・曲、青山広志・編)


DISC 5

1、ローレイライ(ハイネ・詩、近藤朔風・訳詞、ジルヒャー・曲)
2、眠りの精(堀内敬三・訳詞、ブラームス・曲)
3、野ばら(ゲーテ詩、近藤朔風・訳詞、ヴェルナー・曲、ドイチュ・編)
4、菩提樹(ミュラー詩、近藤朔風・訳詞、シューベルト・曲)
5、別れ<ドイツ民謡>(岡本敏明・訳詞、ドイツ民謡、ドイチュ・編)
6、故郷を離るる歌<ドイツ民謡>(吉丸一昌・訳詞、ドイツ民謡、ドイチュ・編)
7、追憶<スペイン民謡>(古関吉雄・訳詞、スペイン民謡、ドイチュ・編)
8、春の日の花と輝く(堀内敬三・訳詞、アイルランド民謡、南安雄・編)
9、たゆとう小舟(近藤朔風・訳詞、ナイト・曲、南安雄・編)
10、庭の千草(里見義・訳詞、アイルランド民謡、南安雄・編)
11、アニー・ローリー(藤浦洸・訳詞、スコット・曲、南安雄・編)
12、故郷の空(大和田健・訳詞、スコットランド民謡、南安雄・編)
13、埴生の宿(里見義・訳詞、ビショップ・曲、南安雄・編)
14、ロンドンデリーの歌<ダニー・ボーイ>(なかにし礼・訳詞、アイルランド民謡、南安雄・編)
15、久しき昔(近藤朔風・訳詞、ベイリー・曲、南安雄・編)
16、泉のほとり(アルィモフ・詞、井上頼豊ほか・訳詞、ノヴィコフ・曲、青木望・編)
17、赤いサラファ(津川主一・訳詞、ヴィルラーモフ・曲、青木望・編)
18、カチューシャ(イサコフスキー・詞、関鑑子・訳詞、ブランデル・曲、青木望・編)
19、ともしび(イサコフスキー・詞、楽団カチューシャ・訳詞、ロシア民謡、青木望・編)
20、黒い瞳の(メンズリャコーフ・詞、矢沢保・訳詞、カーシン・曲、青木望・編)
21、カリンカ(楽団カチューシャ・訳詞、ロシア民謡、青木望・編)


DISC 6 <私の青春のうた>

1、誰もいない海(山口洋子・詞、内藤法美・曲)
2、この広い野原いっぱい(小園江圭子、詞、森山良子・曲)
3、若者たち(藤田敏雄・詞、佐藤 勝・曲)
4、学生時代(平岡精二・詞&曲)
5、夜明けのうた(岩谷時子・詞、いずみ たく・曲)
6、翼をください(山上路夫・詞、村井邦彦・曲)
7、あなた(小坂明子・詞&曲)
8、白い想い出(山崎 唯・詞&曲)
9、希望(藤田敏雄・詞、いずみ たく・曲)
10、さとうきび畑(寺島尚彦・詞&曲)
11、見上げてごらん夜の星を(永 六輔・詞、いずみ たく・曲)
12、さよならはダンスの後に(横井 弘・詞、小川寛與・曲)
13、遠くへ行きたい(永 六輔・詞、いずみ たく・曲)
14、花と小父さん(浜口庫の助)
15、時には母のない子のように(寺山修司・詞、田中未知・曲)
16、恋人よ(五輪真弓・詞&曲)
17、今日の日はさようなら(金子詔一・詞&曲)

        ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)の記事を紹介します。     (滝尾)        

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月 8日(月)13時36分49秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。福留範昭先生と「聯合ニュース」の記事の翻訳していただいた森川静子先生に感謝します。

 なお、前文と(1)日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)の記事は、『滝尾英二的こころ』などの掲示板に掲載します。

                     人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                      ‘08年12月8日(月曜日)13:30

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  福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺 (聯合ニュース)
2) 韓国・朝鮮人の元BC級戦犯遺族 つらい経験語る ソウルで交流 (北海道新聞)
3) 「からだに時限爆弾を抱えて生きる人たちの目標は一つ」 (オーマイニュース)
4) <インタビュー> 日本の史学の「若い血」 斎藤一晴 (聯合ニュース)
5) 10日に年末臨時国会を召集、会期1カ月 (聯合ニュース)

1) ******************************************************************************

[聯合ニュース 2008-12-07 10:12]
【日本、太平洋戦争中にハンセン病患者を集団虐殺】


(東京=聯合ニュース)イ・ホンギ特派員= 日本が太平洋戦争中に占領していた南太平洋の小さな島国ナウルで、日本軍が、現地のハンセン病患者39名をボートに乗せて海に流した後、砲撃と銃撃で虐殺したことが明らかになった、と共同通信が7日報道した。

日本の関東学院大の林博文教授が、オーストラリアの国立公文書館に所蔵されていたBC級戦犯裁判の記録などを通して明らかにしたもので、ナウルのハンセン病患者虐殺事件を具体的に立証する文書が発見されたのは初めてだ。

通信の報道によれば、オーストラリアが委任統治していたナウルを1942年に占領した日本軍は、隔離中のハンセン病患者たちが米軍の空襲で逃走することを憂慮し、現地の海軍第16警備隊が別の島に移送するとだまして、患者たちをボートに乗せ、海に誘導した後、砲撃して沈没させ、溺死をのがれた患者たちは銃で射殺した。

この時、犠牲になった患者は、11歳から69歳で、男性24名、女性15名だ。

オーストラリアは、戦後、現地の住民たちの証言を基に、調査に着手し、事件に関与した日本の軍人たちのうちで戦死を免れた軍曹長と砲撃を担当した下士官を戦犯裁判で起訴し、終身刑を宣告させた。

林教授は、「太平洋戦争中に多くのハンセン病患者が飢餓などで死んだことは知られているが、日本軍が虐殺行為まで行ったことを示す史料が発見されたのは初めてだ」とし、戦争中に太平洋地域で日本軍がなした行為は、詳細に把握されておらず、今後も真相を明らかにする必要がある、と語った。

                                 〈森川静子訳〉
 

 島田等・著『次の冬』の詩の中に、「捨てる」という題名の作品がありました。それを紹介します。  (滝尾)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月 8日(月)00時46分30秒
 
 今日は日曜日でした。昨夜、NHKで「裁判制度改訂=重要刑事事件裁判の市民参加」に関する放送を視聴したら、「刑法裁判の訴訟の数々」を思い出し、それが神経・脳に刺激を与えたせいか、肩から腕、腹部、両脚などが、針で刺すような「激痛」が起こり、難渋しました。そうした神経的・精神的な情況を変えるため、午後1じから7時まで、近くにある「カラオケ喫茶」に行き、先日亡くなられた遠藤実先生の作曲された「北国の春」「星影のワルツ」「すきま風」「アケミという名で十八で」「くちなしの花」「みちずれ」「君がすべてさ」など哀悼を込めて歌いました。

 ついつい調子ついて藤山一郎、美空ひばり、三輪(丸山)明宏、五木ひろし、森山良子、岡林信康、鳥羽一郎、吉幾三、小林旭などなどの歌手たちが歌った歌謡曲を三十曲唄ったところで、家からの電話がかかり、「身体は大丈夫? 夕食時なので帰りなさい」との連絡がありました。

 不思議なことに6時間も、カラオケで歌謡曲を唄っている時は、「痛い病」は感じませんでした。広島市立安佐市民病院の神経科・精神科の医師がいう通りです。自己の置かれている「辛い」そして「嫌な暗い」環境からの脱出=捨てることが私には必要なのでしょう。


 論楽社の代表である虫賀さんから島田等・著『次の冬』などの本がたくさん寄贈されてきました。虫賀さんに感謝します。島田等・著『次の冬』の詩の中に、「捨てる」という題名の作品がありました。それを紹介します。


       捨てる    島田 等

    「昔は良かったねえ」
    話が仕事のことからはなれると
    変わりばえのしない言葉がきかれたが
    意外というわけでもない
    <人間国宝>といういい方は馴染めないが
    彼らの話は楽しい

    それがどんなに良くても
    それを共有する人間は
    確実に減っていく
    失うことはあっても
    捨てることはむつかしい

    「おまえは、おまえの半生で
    何を捨ててたか」
    うしろ姿で
    名人は問う

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


                           人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘08年12月07日(日曜日)  23:59
 

  近況のご報告です。加齢と病いには勝てません!                                   

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月 6日(土)14時01分3秒
    近況のご報告です。加齢と病いには勝てません!

                                             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                        ‘08年12月06日(土曜日)  13:50

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 昨日(12月5日)は、近くの「介護施設のデイサービス」に行きました。自宅の午前9時に、施設から、大型乗用車で迎えにきて、6時間半ほど「デイサービス」を受けました。これからはs、毎週、通所しようと思います。毎週1日で、散髪をしてもらう曜日は、土曜日ですから、隔月に散髪してもらい、その月は週5回、通所します。料金は、要支援ですから、月2500円(一割自己負担)で、その他に昼食代が450円を別に支払います。午後3時半に大型乗用車が、介護施設を出発し、帰宅は午後4時前でした。

 私が選んだ介護施設は、広島医療生活協同組合が事業を行っています。鉄筋コンクリート二階建てで、一階は、内科と小児科の診療を行い、二階が介護施設となっています。だから昨日は、私は一階の診療所へ行き、インフルエンザの予防ワクチンをしてもらいました。

 介護施設のある二階には、寝台 ベッドが8台ほどあり、眠くなると仮眠でます。浴槽(風呂)もあり、必要ならば、利用できるようです。一日の利用者は十二、三人のこじんまりしたデイサービスです。看護士など介護職員は数人います。責任者を含めて全員女性です。おやつには、お菓子やコーヒーが出ます。昨日は、手つくりの「ぜんざい」が午後に出ました。体操の時間などありますし、作業として、ちりり絵、色エンピツでの塗り絵など「頭と手」の体操があります。

 私は、自宅からノート・パソコンを持参し、ワ-ドでホームページの原稿を書いたり、歌謡曲のDVDやCDをヘットホンで視聴したりして、自由の時間を楽しんでいます。

 週の二度、近くにある整形外科クリニックスで、リハビリと、腰と肩のホット・パックや、腰に「電気」をかけに通院しています。また、健康とストレス解消、頭の体操を兼ねて、カラオケ喫茶・スタジオへ通っています。なるべく外出して、気分の転換に努めています。自宅では、パソコンでホームページの原稿を書いたり、またいろんなホームページを見たりし、メールを「メル友」に書いて送信したりの毎日をしております。


 ともあれ、広島市立安佐市民病院の精神科・精神科で先日、診察・検査して精神医の説明によると、<加齢による「認知症」で、ストレスや「怒り」の感情が「痛い病」を引き起こし、それが「激痛」の要因だから、自己の生活環境を変化さすことであり、「痛さ」は薬を飲んでも一時しのぎで、神経や脳を治す方法はない、ともかく「怒る」環境を避けることである。>と云うことです。腹の立つ現今ですが、楽しいこと、不安感からの回避することが、必要だという精神科・精神科医の意見でした。

 それにしても「腹だたしい」現今ですが、当分、介護施設、リハビリなどの整形外科の通院、歌謡のための「カラオケ」通いに専念するようにします。

近況のご報告をしました。

                              
 

 近況の疾病のご報告です!    (滝尾英二より)                                   

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月 5日(金)08時29分36秒
   昨日(12月4日)は広島市立安佐市民病院の神経科・精神科の診察・検査を受けて行きました。<「脳」に異常があり、そのため「痛い病」が起きているような気がします。>と昨日、書きました。電話などで各地の友人が「心配している。どうなったか」という連絡・問合せなどあり、恐縮と感謝しています。

 加齢による初期の「認知症」のようですが、当面の「痛い」という症状が起きるのは<ストレスや怒りの感情などから起きるので、服薬は当面の痛さを除去することはできても、「痛さ」を感じる要因を治癒dさす薬はない。カラオケ喫茶やリハビリ、それに「デイ・サービス」では、「痛さ」が怒らないのは、そこでは、こころの安心とストレス、怒りなどがそこではなく、こころが安定しているからだ。だから、自分の「こころの環境」を改善させること。だから、「痛さ」がおきる環境を長期かけて、変えるようこころがけることですよ>と、精神医は忠告してくれました。

「怒り」の多い現状があるなかで、今後、どのように生きていくかが、生活課題のようです。今日は、近くの老人施設の「デイ・サービス」に、午前9時から、午後4時まで行ってきます。<ノートパソコンを持参してもよい>そうです。インタネットは出来ませんが、ワードなどは可能です。

  昨日は広島市立安佐市民病院のすぐ近くの「カラオケ喫茶・城」へ行き、ナツメロを中心に、十五曲、歌ってきました。4時間も「カラオケ喫茶・城」にいました。詳細は近日中にご報告します。

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘08年12月05日(日曜日)  08:18
 

  韓国の被爆者支援法(「韓国人原子爆弾被害者とその被害者の子女の実態調査及び支援のための特別法案」の紹介です! 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年12月 2日(火)12時45分20秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の被爆者支援法(「韓国人原子爆弾被害者とその被害者の子女の実態調査及び支援のための特別法案」が滝尾宛に届きました。

 この韓国の被爆者支援法案を翻訳していただいたまた、メールを届けていただいた福留範昭先生に感謝します。


    人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二:‘08年12月02日(火曜日)12:38

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 福留です。

 韓国の国会で11月12日発議された被爆者支援法(「韓国人原子爆弾被害者とその被害者の子女の実態調査及び支援のための特別法案」)を翻訳し、以下のサイトに掲載しましたのでお知らせします。

   http://homepage3.nifty.com/iimptc/

 なお、この法案は、「原爆被害者および原爆2世患友問題解決のための共同対策委」が推進して、2005年7月に民主労働党の議員によって発議された法案(廃案)を一部修正したものです。ただし、今回は与党ハンナラ党の議員を多くふくむ104名の議員が発議者として名を連ねていることが、当時と異なっています。
 

  7周年を迎えた人権委の多事多難の1年 (聯合ニュース)を掲載します。      (滝尾)              

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月28日(金)21時27分38秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する4記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 なお、これらの記事のうち、(1)7周年を迎えた人権委の多事多難の1年 (聯合ニュース)は、『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。韓国における2001年に「人権を立て直すこと」を旗印に掲げて発足した7年間の国家人権委員会の果たした役割を、少しでも多くの人たちに知っていただきたい願いからです。4記事のすべてをご覧になりたい方は、ご面倒でも『滝尾英二的こころPar2』の掲示板をみてください。

                          人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                            ‘08年11月28日(金曜日)  21:25

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 福留です。続いて、韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 7周年を迎えた人権委の多事多難の1年 (聯合ニュース)
2) 金大中、「政府、南北関係を意図的に破綻」 (聯合ニュース)
3) 南北関係の梗塞、日本の韓人社会に飛び火 (聯合ニュース)
4) 日本の警察、総連関連の施設をまた押収捜索 (聯合ニュース)

1) *****************************************************************************

[聯合ニュース 2008-11-24 16:44]
【7周年を迎えた人権委の多事多難の1年;人権委、「人権先進化の基礎的な土台づくり」
市民団体、「概して善防」 vs 「中立性を失っている」】


(ソウル=聯合ニュース)イ・ジュンサム記者=  2001年に「人権を立て直すこと」を旗印に掲げて発足した国家人権委員会が、25日でいつの間にか発足7周年を迎える。

人権委は24日、「人権専担の独立した国家機関として人権委が本格的に活動して7年が過ぎた」、「今や我々は人権先進国に進んでいける基礎的な土台を準備した」と自評した。

◇ 「人権先進化の土台づくり」 =人権委によれば、11月15日現在、人権委に助けを要請した人は計で214,612人と集計されて、この内訳は陳情34,434件、相談61,693件、案内及び請願118,494件となった。

人権委は、「1年平均3,660名、1日平均84名が国家人権委を訪れたことになる」とし、特に「この7年間、人権委の勧告に対する受容率は90%に達する」と説明した。陳情事件を類型別に見ると、人権侵害80%、差別行為15%、その他5%の比率を示した。

人権侵害事件の対象は、拘禁施設(42%)、警察(22%)、その他の国家機関(13%)、多数の保護施設(7%)、検察(5%)の順であり、差別行為の陳情は、障害(22%)、その他(20%)、社会的身分(17%)、セクハラ(9%)、年齢(8%)、性別(6%)の順に現れた。

人権委は、「警察、検察、軍、刑務所などの公権力に対する監視と牽制活動を持続的に繰り広げた結果、人権侵害の論議が絶えなかった公権力の執行機関の人権侵害の慣行も、大幅に改正された」と評価した。

人権委は ▲基本的自由の実質的保障 ▲児童・老人の人権の向上 ▲経済的弱者の人権の向上 ▲多文化社会の人権の増進 ▲社会的弱者の差別の是正強化など、5大戦略目標を骨子とした核心事業、「2009-2011人権行動増進計画」も発表した。

◇ 保革の市民団体の反応、交錯し=人権委の今年の活動に対する進歩、保守の諸市民団体の評価は、互いに食いちがっている。

今年人権委が処理した最も重要な事件は、米国産牛肉の輸入に反対するろうそく集会関連の、人権侵害の陳情事件。人権委は3カ月間にわたる調査を通じて、「警察が集会参加者たちを過剰に鎮圧した」と、結論を下した。

学内集会・携帯電話禁止などに対する人権侵害の決定、陸軍服務転換申請を提起した戦闘警察に対する、緊急救済措置、「ろうそく集会」の人権侵害状況に対する職権調査など、今年の1年間に出された人権委の諸決定は、既存の政策の基調から大きく抜け出していないというのが大まかな評価だ。

これに対して、ある進歩的な市民団体側は、「たとえ物足りない部分はあっても、人権委が政府、与党、そして保守的な団体の猛攻の中でも、概して善防した」とし、肯定的な評価を出した。反面、保守的な諸市民団体は、「人的構成が相変らず左偏向から抜け出せず、中立的でなく、偏向した勧告決定を出した」と批判した。

◇ 「弱者に対する配慮が人権委の生命」 =人権委の存立と地位の強化を望む進歩的な諸市民団体は、7周年を迎えた人権委に、「社会的弱者に対する積極的な関心」を所頼した。

新しい社会連帯は論評を出し、「陳情事件中の勧告や合意の終結、懲戒勧告などを含む引用率は、人権侵害の場合、2007年が15.3%、2008年が15.4%であり、差別行為は2007年が12%、2008年が11%で、相変らず低い数値だ」と指摘した。続けて、「人権委の独立性は、国家権力が自らの国民に対する人権侵害と権限乱用を自浄する、という国家の約束であり、力のない国民が期待できる希望の根拠」だと強調した。

参加連帯のアン・ジンゴルチーム長も、「新政府に入り、多くの人権侵害事件が発生して、むしろ人権委に対する市民の期待感が高まった」として、「今年心残りな部分もあったが、来年は社会的弱者のために一層奮発してほしい」と語った。

                                 〈森川静子訳〉
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 韓日の環境・平和団体、釜山で平和願うイベント開催 (聯合ニュース)を掲載します!  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月28日(金)14時52分54秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する6記事が滝尾宛にメールで送られてきました。これを『滝尾英二的こころPar2』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、メールを翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

 なお、(4)韓日の環境・平和団体、釜山で平和願うイベント開催 (聯合ニュース)の記事は『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。

                                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                         ‘08年11月28日(金曜日)14:35

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) ユン・テヒョン少領の疑問死など4件、過去事委 真実究明決定 (世界日報)
2) 「大韓航空機爆破事件の金賢姫、国家情報院が憎くて、調査を受けないと言った」
(ノーカットニュース)
3) 100年余りぶりに復元されたファング大祭 (聯合ニュース)
4) 韓日の環境・平和団体、釜山で平和願うイベント開催 (聯合ニュース)
5) 大統領より与党の支持率が高いという怪 (朝鮮日報)

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[聯合ニュース 日本語版 2008/11/27 19:33]
【韓日の環境・平和団体、釜山で平和願うイベント開催】


(釜山27日聯合) 環境財団と日本の非政府組織(NGO)「ピースボート」が27日、釜山・中区の民主抗争記念館で東アジアの平和と持続可能なエコ環境発展を願う「平和のキャンドル」イベントを開いた。

イベントには約300人が出席。「平和のキャンドル」には、1945年に広島に投下された原子爆弾の残り火である「平和の火」から採火された火が点火され、イベントに意味を添えた。会場では、ピースボート側のテーマ講演や国内の被爆者証言に続き、ミニコンサート、ダンスや韓国伝統芸能のサムルノリ公演なども披露された。

イベントに参加した日本関係者は、「2008ピース&グリーンボート」プログラムで21日に大型クルーズのふじ丸号で神戸港を出発、石垣島、台湾を経て同日に釜山港に入港した。

        ・・‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 女性人権の伸張 「総合チェックリスト」(聯合ニュース)を掲載します!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月27日(木)11時41分18秒
編集済
 
 福留範昭先生から韓国の過去問題に関する5記事が滝尾宛にメールで送られてきました。その記事のうち、(4)女性人権の伸張 「総合チェックリスト」(聯合ニュース)を提示を『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。『聨合ニュース』の翻訳していただいた森川静子先生、また、滝尾宛に届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

                          人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                            ‘08年11月27日(木曜日) 11:33

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 福留です。韓国の過去問題に関する「聯合ニュース」の記事を紹介します。

1) 日本軍「慰安婦」アジア連帯会議、東京で開かれる (聯合ニュース)
2) 慰安婦、日本の議会に公式謝罪・賠償を要求 (聯合ニュース)
3) 済州 「4.3委員会の廃止はいけない」で声を合わせる (聯合ニュース)
4) 女性人権の伸張 「総合チェックリスト」を提示 (聯合ニュース)
5) 開城観光、支障なく進行..人材撤収の論議中 (聯合ニュース)

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[聯合ニュース 2008-11-26 09:52]
【女性人権の伸張 「総合チェックリスト」提示;慶南道-女性団体、150余種の改善方案の導出;世界女性人権大会以後、政府・国連などに提出】

(昌原=聯合ニュース)チョン・ハック記者= 国内の女性の人権の伸張のために、政界と政府、地方自治体が長期的に法と制度を改善し、予算支援に取り組む時に参考にすべき総合チェックリストが提示された。

26日、慶南世界女性人権大会執行委員会(委員長、チョ・ヒョンスン)によれば、慶南道と道内の女性団体の関係者たちは、今年1月に大会推進委を組織した後、大会の開催を成功させるために、四つの分科別に事前セミナーを継続し、大会も広報して、女性人権関連の150余りの改善方案を導き出した。

この議論を土台に、大会執行委のワーキンググループは、再び政府に政策提案をする内容なのか、地方自治体次元で条例制定に出すべき内容なのかなどを区分して整理し、今回の大会の終了後の、成果とともに総合整理して、政府と国会、道、国連などに提出する予定だ。

この内容は、地方自治体の次元で初めて試みられた世界女性人権大会の事前セミナーの内容という点の外にも、地方自治体と市民団体が手を握って、女性の人権問題全般に対して、進歩的な立場で課題を整理したことで、他の地方自治体や政府はもとより、他地域の女性団体も参考にすべき意味ある作業と評価される。

今回提起された問題を、分科別に紹介する。

◇ 政策決定への同等参加= 女性指導力の向上のための制度及び支援、地方議会での女性議員の比率の向上、ソンインチ的政策と予算編成など、3分野にわたって6案が提示された。

道内の5級以上幹部公務員が3.4%に留まっているのを10%以上に増やそうという女性公務員割当制の導入と、次世代の女性指導者の養成のための制度の準備、女性の地方議員が30%になるよう、割当制を導入すること、性認知予算推進団の組織に関連した教育実施などが細部案として出てきた。

◇ 暴力と性搾取の根絶= 家庭暴力防止法を制定したり関連法を改正して、加害者の相談条件付き起訴猶予時の相談期間を6カ月以上保障して、警察出動や告発が提起されることだけで、法的措置が開始されなけれは被害者たちを保護できないという主張が出てきた。加害者の退去命令制度も同じ趣旨だ。

性暴行特別法の再・改正を通じ、世相の変化などを考慮して、強姦罪の被害者を女性から「人」に変えて、夫婦間の性暴行の処罰を明示すること、親告罪の廃止、学校・幼稚園・放課後に、教室内に専門の治療師の配置などが必要だと指摘された。

売春防止法に明示された行政処分に関連して、道条例を制定し、遊興業者の申告規定を強化し、常習的性購買者の身上を公開する方案をはじめ、女性への暴行に対する認識を改善するために、性暴行被害者陳述録画制度と、専門の担当調査官制の導入が必要だろうことが明らかになった。

児童への性暴行との関連でも、道条例を制定し、性教育の義務化のための予算を確保し、児童・青少年のための権利宣言文の用意し、性教育の単位認証の制度化、父に対する性教育の実施、児童性暴行の追放の日の行事の公式化などが提出された。

◇少数女性の人権保障=女性結婚移民者の権益のために、農村の未婚の男の国際結婚を支援する条例を改正し、移住女性たちも政策決定の過程に参加する方案、移住女性の憩い場を設立する安が提案された。

障害女性の部分では、支援条例を制定することはもちろん、女性障害者の妊娠・出産・育児など、母性の権の確保のための規定をつくり、これらのための教育権を確保し、関連団体及び自助会の支援規定も、切実なものとして意見が集まった。

視覚障害女性のためには、専用教育・福祉館を準備し、交通表示板の文字の拡大と、駐車場の整備、働き口の創出、長期的な住宅政策などが必要であり、聾唖の女性には、聾唖の父母と子供のための手助けする人を新設し、学校内の手話通話時の支援、大型流通点内の通訳者などが、まず必要だと主張された。

このほかにも、未婚の母を支援するための条例もつくり、子女の養育と自立を同時に支援する必要があり、女性企業家のための優遇の必要性も共に提起された。

◇ 女性の経済活動の活性化= 男女雇用平等と仕事・家庭の両立を支援するために、法律根拠を準備することがまず必要であり、育児などで経歴が断絶した女性たちの、経済活動を促進させるための方案の準備、片親)の家族の支援条例の制定も、切実なものとして提案された。

女性人権大会執行委内のワーキンググループを担当しているチョン・ヘンギル児童・女性人権慶南連帯会長は、「今回提示された内容を総合して、政府と国連、国会、国家人権委、慶南道などに送って、制度改善を求める計画だ」、「慶南道にも女性特別を構成することや、女性人権財団の設立などを通じた制度改善などに取り組むつもりだ」と語った。

                                 〈森川静子訳〉
 

 島田 等さんを偲ぶ(最終回のその1): 慰霊の古寺巡礼;第三日目; 奈良の般若寺、北山十八間戸などを訪ねて  (滝尾)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月22日(土)21時23分7秒
編集済
 
 島田 等さんを偲ぶ(最終回のその1)慰霊の古寺巡礼;第三日目(10月21日)奈良の般若寺、北山十八間戸などを訪ねて

             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二 ‘28年 11月22日(土曜日)21:15


 島田 等さんは、一九九一年三月の末に奈良市内の、ハンセン病に関係のある「旧跡、寺社」を廻っている。その紀行文を『愛生』一九九一年十月号に掲載されている。亡くなる四年前で、六十五歳の春であった。島田 等遺稿集『花』に、採録されている(76~89ページ)ので、多くの方がすでにお読みになられていると思う。その冒頭の部分を紹介したい。

 「北山・西山紀行」「史料を集めながら、まだ一度もたずねたことのなかった奈良市内の、ハンセン病に関係のある旧跡、寺社を、彼岸過ぎの三月の末に廻ることができた。大和文華館の庭の雪柳は、まだ盛りとはいえず、長島とあまりちがわないようであった。

 奈良に着いて二日目、案内の松浦武夫さん(福祉施設勤務)は、自分も興味うぃおもって時折出かけているということで、一日を要領よく案内していただいた。この日廻れたのは旧西山光明院跡、般若寺、奈良豆比古(ならつひこ)神社、北山十八間戸、県立奈良図書館郷土室、法華寺、西大寺である。(島田 等遺稿集『花』76ページより)。


 この度の「島田 等さんを偲ぶ慰霊の古寺巡礼;第三日目(10月21日)」は、 奈良の般若寺、北山十八間戸などを訪ねることである。さらにいえば、2009年10月17日に創業100周年を迎える「奈良ホテル」に宿泊することであった。

 奈良ホテルは奈良公園内にあり、「明治42年(1909年)、関西の迎賓館として誕生し、明治、大正の趣は、創業当初の華やぎを今もなお受け継いだ」著名なホテルに生涯に一度は贅沢な泊りをしたいと、日頃思っていた。興福寺や東大寺とも近い。

 長谷寺の宿を午前10時に発ち、近鉄大阪線の桜井駅で、JR奈良行きに乗り換える左車窓には「箸墓古墳」がある。3世紀半ば過ぎの前方後円墳で女王卑弥呼の墓ともいわれている。『魏志倭人伝』には、卑弥呼が死んだ際には径100余歩の墓に祭られ、奴婢100余人を殉葬したという。桜井から天理へかけての「やまのべの道」は、よく徒歩で散策したものである。古墳の多いところである。


 JR奈良駅は改装中であった。駅前に待機中のタクシーに乗り、「正倉院、大仏殿裏の大講堂跡を経て、転害門から奈良坂の般若寺までお願いします」という。般若寺の発行した「縁起」によると、「都が奈良に遷った天平七年(七三五)、聖武天皇が平城京の鬼門」(陰陽道で、鬼が出入りするといって忌み嫌う方向で、)東北の称)を守るため『大般若経』を基壇に納め、塔を建てたのが寺名の起こりだという。まず、この寺を訪問した。

 この寺の正面の楼門(ろうもん)は、鎌倉時代にお寺を再興したときのもので国宝に指定されている代物。なかなか美しい建造物である。通常は正面から入ることができず、左手の案内所から入る。鎌倉期に、西大寺の叡尊が再興したのをうけて「真言律宗」となり、再興。

 興福寺、東大寺もがよく見通せるという恰好の軍事的な要衝にあったため、その後も度重なる内乱の際には陣営として活用しようとするものと逆にそうはさせまいとする双方の戦いの犠牲で甚大な被害を被った。また、明治の廃仏毀釈でも損害を受け今では当初の大寺院の面影を偲ぶことは出来なくなっている。現在は、寺の門前は、住宅地帯となり、二階モルタル住宅が林立して、往年の「歴史的景観」は、失われている。

「昔、般若寺といえば医療施設を備えて病人や貧困者の救済事業に力を注いだという庶民にはとっては大変有難いお寺だったようでその証が後述の「北山十八間戸」でしょう。」と『コスモス寺・般若寺』の案内パンフに書かれている。また、秋季は「境内はというと10種類、約10万本のコスモスが咲き乱れ。多くの観光客とカメラマンで賑わいます。」と書かれているように、「コスモス寺」として、観光客を見る人びとの観光地となっている。しかし、コスモス寺として観光地となったのは、敗戦後であり、般若寺の住職に聞いてみると、ここ三十年ころから、コスモスを人工的に植えたのだそうだ。四季折々の「花寺の観光地」として、賑わっている。案内書には、どこにも「ハンセン病」のことなど書かれていない。


春は、「花咲きて実はならねども長き日に  思うほゆるかも山吹の花」=「山吹」
夏は、「夏もなお心はつきぬあじさゐの  よひらの露に月もすみけり」=「あじさゐ」
秋は、「コスモスの花あそびおる虚空かな」=「コスモス」
冬は、「白鳥が生みたるもののここちして 朝夕めづる水仙の花」=「水仙」

 (般若寺の受付所で貰った『コスモス寺・般若寺~歴史ある花と仏の浄刹』より)


 しばし、回廊門の楼門(鎌倉時代、国宝)に座りこんで、金堂の跡地に建てられた「本堂」と、十三重石宝塔(重文)と、植えられて背丈ほどになったコスモス群を眺めていた。私が般若寺に参拝すると知った親しくしているメル友から、つぎの「五行詩」が送られてきたことを思い出していた。

 <滝尾さんから教えていただいた般若寺の秋桜を眼底に、詠みました。

 秋桜ゆらす
 風は息
 微風そよげば
 心さやさや
 非人浄土にわたらせよ >

 寺の境内のあちこちに笠塔婆(重文:鎌倉時代)や観音石佛などが散在していた。本堂へ入る。重文の本尊・文殊菩薩像(鎌倉時代)はなく、掛け軸画。また、その隣にある黒塗りの「叡尊」像は、寺の住職に聞くと、十年ほど前に作成されたものだということだった。

「大仏殿の鴟尾や若草山が、ここから見られますか?」と、私が寺の住職に問うと、「場所によると住宅の間から大仏殿の鴟尾は見られます。また、若草山の山焼きの時、山の頂まで火があがると、ここでも見ることができます」ということであった。時代とともに景観も変容していることが窺われる。

 般若寺を出て、近くにある「北山十八間戸」へ行く。タクシーでは2分くらいの場所である。インタネットで「北山十八間戸」を検索してみたら、つぎのような記述があった。

 <‥‥‥鎌倉時代に、「文殊菩薩」に深く帰依された「西大寺」の僧「忍性」によって創建されたとの説もあります。忍性はハンセン氏病などの救護と治療の慈善事業に大変尽くされましたのでその功績に報いて諡号「忍性菩薩」が贈られました。それと、忍性は般若寺の再建に尽力されましたので般若寺が慈善救済事業を盛んに行われていた影響でこの病院を創設されたと考えるのが穏当かもしれません。最近までハンセン氏病の方は世の中から悲惨な虐待を受けしかも家族から強制的に隔離される境遇でしたからこの北山十八間戸は別天地だったことでしょう。>

 <忍性は般若寺の再建に尽力されましたので般若寺が慈善救済事業を盛んに行われてい
た影響でこの病院を創設されたと考えるのが穏当かもしれません>云々は、最近の研究の成果により、再検討が必要であることは明白である。


 <‥‥‥叡尊・忍性による非人施行活動が開始されていたのである。以下、鎌倉時代における非人施行・非人編成に際立った役割を果した叡尊・忍性の活動の、公武政権における位置について考察してみたい。

【叡尊・忍性の非人施行】(p.105)
 叡尊の自伝『金剛仏子叡尊感身学正記』によれば、延応元年(一二三九)九月八日良観房忍性は叡尊に謁した際、亡母の十三回忌にあたり大和七宿の非人宿に七幅の文殊尊像を安置し毎月二五日文殊供養(非人供養)を行いたい、との宿願を述べたという。これを契機として叡尊・忍性による精力的な非人施行活動が急速に展開されることとなる。‥‥‥叡尊の非人施行は、まさに守護・地頭という幕府の統治機構に保証されつつ遂行されていたのである。かくして叡尊の非人施行は、和泉久米田寺における一〇〇貫一〇〇石の堂供養、河内北大和寺における二千余人の阿弥陀堂供養、と展開してゆくのである‥‥‥>云々。

 丹生谷哲一著『増補『検非違使―中世のけがれと権力』平凡社ライブラリー646、2008年 8月8日初版第1刷りなどを読んで、再検討が必要性を痛感した。この史料は関東の私のメル友から紹介されたものである。


 この問題を詳述するには、紙面が不足するので、後日にしたい。最近、史実に基づかない感情的・主観的で、且つ、情緒的な「歴史認識」の記述を多々見かける。残念といわざるを得ない。ハンセン病の歴史を記述する場合も同様である。「島田 等さんを偲ぶ: 慰霊の古寺巡礼の旅」を病身をおして書いているのも、そうした風潮を危惧していることも、その一因であることを付記したい。

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 本当に「ハンセン者」になりたかった人の真の愛の物語 (ネイションコリア)の記事を掲載します。 福留先生に感謝します。 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月16日(日)21時02分52秒
 
 福留範昭先生から、「韓国の過去問題に関する6記事」が、滝尾宛にメールで届けられてきました。この記事のうち、(1) 本当に「ハンセン者」になりたかった人の真の愛の物語 (ネイションコリア)を『滝尾英二的こころ』などの掲示板に掲載します。「韓国の過去問題に関する6記事」のすべての記事は、『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。「6記事」のすべてをご覧になられたい方は、ご面倒でも、『滝尾英二的こころPart2』の掲示板を開いてください。

『ネイションコリア』を翻訳し、届けていただいた福留範昭先生に感謝します。

                            人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘08年11月16日(日曜日)20:55

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 本当に「ハンセン者」になりたかった人の真の愛の物語 (ネイションコリア)
2) <新刊> 『韓国近現代史の省察と告白』 (聯合ニュース)
3) 民主労働党代表団、平壌に到着 (聯合ニュース)
4) 週末 ソウルの都心で各種の集会が相次ぐ (聯合ニュース)
5) 日本の河野衆議院議長、最長在任記録を更新 (聯合ニュース)
6) 「ろうそく鎮圧拒否」の義務警察に懲役1年6月の実刑 (聯合ニュース)

1) ******************************************************************************

[ネイションコリア 2008-11-13 02:50:05]
【 本当に「ハンセン者」になりたかった人の真の愛の物語 】

ヤン・グクチュ牧師

(写真あり)
  http://www.nakorean.com/news/articleView.html?idxno=112142008


詩人金素雲は自分が慕っていたポール・パレルのように、毎日約十余里[註;日本の1里]を小児麻痺のまねをしながら歩いた。小児麻痺だった詩人の気持ちを感じたかったからだ。それでも、詩人金素雲はパレルになることはできないのだ。

小鹿島を訪ね詩人韓何雲(ハン・ハウン)が、あのように恐怖感を感じた「全羅道の道」は、行けども行けども赤い黄土の道、息詰まる暑さとして描写されたハンセン者の生活を、金素雲氏がまねしえただろうか。


行けども行けども赤い黄土の道、息詰まる暑さだけだった

見知らぬ友に会えば、私たちムンドンイ[ハンセン病患者の賤称]どうしうれしい

天安(チョナン)の三叉路を過ぎても

たわしのような太陽は西山に残っているが

行けども行けども赤い黄土の道

息詰まる暑さの中で、びっこをひいて行く道

靴を脱げば

柳の木の下で地下足袋を脱げば

足の指がまた一つなくなっている

これから残った二つの指がなくなるまで

行けども行けども千里、遠い全羅道の道


「韓何雲の時調[朝鮮固有の定型詩]」を世に紹介した李秉(イ・ビョンチョル)は、「不遇の詩人 天作の罪囚」よ、「遊離の道でさまよう乞食が叫ぶすさまじい生命の歌」、「リアリティーがにじみ出す文学」と紹介した。

ハンセン者であり、ハンセン者であることを拒否した韓何雲、彼が涙の丘を過ぎ、「麦笛」を吹きながら「青い鳥」になろうとした世に私たちは生きている。一度も笑ったことも、泣いたこともない人のように、そういう悲しみにこわばってしまった顔が、今日の私たちの「自画像」ではなかったのか。


今日必ず行かなければならない どこにもない 見知らぬこの道頭に

ひょこひょこ  5尺より少し高い身長で生きる私たちの姿

過ぎる道ごとに ショウウインドーのガラス窓ごとに

すぐには自分が自分と分からない自分の顔


韓詩人の詩碑「麦笛」がある小鹿島(ソロクト)は、いまだこの地で天刑の生活を送るハンセン病患者たちが定着している所だ。今は、癩患者やハンセン病を患っている患者と呼び直しているが、そうしてもハンセン病患者が、癩患者の境遇を免じられるわけではない。

日帝強占期には、隔離収容された癩患者たちを労役に動員したり、精管除去や卵管結紮などの強制不妊手術をし、妊産婦を堕胎させたのは一度や二度ではなかった。


1960年代に父母たちは、子供たちが癩病患者らと会うことさえ恐れもした。子供の生肝を食べれると、癩病を直すことができるという俗説で、癩患者たちが子供を誘拐するという悪いうわさが飛び交っていたからだ。癩病に関して無知だった当時の時代風俗だった。

一時、陸英修女史 [註;朴大統領夫人] が、癩患者の手を直に握った場面が新聞に大書特筆されて、癩患者に対する社会的な認識が次第にやわらぎ始めた。

写真 ▲ ウィルソンが1920年代に作った邸宅が、現在光州市のスピアの丘にある。

写真 ▲ 二人の息子と一緒のウィルソン宣教師.

一時2万名を越えた癩患者を国が救済する気配すら見せなかった時、彼らを深い愛情を持って世話した人たちは、光州と順天(スンチョン)地域で使役した南長老教会出身の一般信者と宣教師たちだった。

1909年、フォサイトとウィルソンは、光州の鳳山里に行く所のない癩病患者たちのために穴蔵を作り、率先して彼らを世話した。癩病患者の収容施設を1926年から麗水(ヨス)に移して、男女32病棟に実に73名の癩病患者を収容した。

ニューヨークを中心に多くの教会が、朝鮮の癩病と結核患者たちを助けるために、少なくない献金を送ってきた。当時、癩病患者を収容するために、レンガで建てる費用が4部屋の一棟に50ドル要った。

宣教師たちが送った1930年代の布教報告には、50余名に近い医師と看護師が働き、彼らの奉仕に感動を受けた日本の天皇夫婦も寄付を送ってきた。

愛養院の中に病院が入り、教会も立てられた。これらの中に、朝鮮人牧師と5名の長老、13名の執事がいた。2名の長老が盲目だった。たとえ肉体は病身であっても、心だけは自由で純粋だった人たちだ。

この地に、癩病患者の治療施設を開いたウィルソンを助けて、彼らに希望と愛を教え、与えた人はシェピン宣教師(Ms.Elizabeth Shepping)であった。愛養院は、1932年シェピン宣教師の朝鮮聖域 20周年を賛えて、癩病患者村に彼女の献身を賛える碑銘をたてた。

彼女は、この地で看護学界を創立し、実に11年にわたって看護学界を率いて、後進を養成した。彼女は、朝鮮に留まった22年間、私たちに自分の全てのものを惜しみなく与えた。

塵土のような世の中で、何を自分のものと考えるのか。宣教師シェピンユファレ、グボラは、未婚の境遇を顧みず、癩病患者の子供を自分の養子にしもした。もしかしたら、癩病患者になりたかったのかもしれない。彼女たちは、苦痛の癩病患者の人生に、生きておられる主を発見したからだ。

写真 ▲ 生前のシェピン宣教師の姿.

写真 ▲ 1932年、愛養院に建てられた聖域20周年記念碑 (1934年に彼女が54才で死ぬ2年前に建設された)

シェピン宣教師が行く所のない孤児13名を、自分の娘として養子にし、癩病患者の子供を息子とし、ヨセフと名付けた。彼らの影響を受けて、癩病患者の父とあがめられた崔フンジョン牧師も出て、今日の韓国教会が神主壺[民間信仰の家神]のように祀る孫良源(ソン・ヤンウォン)牧師も出た。

シェピン宣教師、彼女の葬儀が地域の人々の中で、非信者たちが主体になって、光州で最初の社会葬として行われた。空前絶後の12日葬で行われたシェピンの葬儀であった。

白い喪服を着たイイル学校の弟子たちが、運柩を務め、その後には13名の養女と数百名の乞食、ハンセン者が従った。「オモニ」、「オモニ」と呼びながら泣く彼らの痛哭で、楊林川が涙の海のようにあふれた。

よほどでなければ、『東亜日報』が、「慈善と教育事業に一生を捧げた貧民の母、ソソピョンヤン逝去」という見出しとともに「再生したイエス」を副題にして、彼女の死を特筆大書しただろうか。

この地のイエスと信じる人たちは、至賤にあふれた。ひょっとすると、これ以上イエスを信じろと伝道する必要がないのかもしれなかった。1990年以来、韓国のキリスト教は停滞現象を示している。

それでも、前途がなかったわけでもない。真のキリスト者としての聖潔な生活なくなった今、もはや非信者たちにとって、キリスト教は、あってもなくてもいい利己的宗教集団になってしまったのかもしれない。倫理不在がもたらした自業自得の韓国キリスト教が当面した袋小路地だ。

誰かに似ることはできても、全く一つになるのは難しいものだ。きっとハンセン者になりたかった人、シェピン宣教師のようなキリスト者10名だけがこの地に生きていれば、キリスト教はこの世間に向かって、「お前たちはこのように生きろ!」と正々堂々と語る資格を享受し、民族の希望と映るのではないだろうか。

(本誌提携社<ニュースアンドジョイ> ヤン・グクチュ牧師 ;涅槃を崇める人々(代表)

 

一昨日(13日)、参議院の外交防衛委員会で、民主党の藤田幸久議員が冒頭に質問とそれに対する政府の回答の情報が届きました!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月15日(土)09時54分41秒
 
 福留範昭先生から、参議院の外交防衛委員会で、民主党の藤田幸久議員が冒頭に質問とそれに対する政府の回答の情報が、滝尾宛にメールで届けられてきました。この記事を、『滝尾英二的こころ』と『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に、それぞれ掲載します。
福留範昭先生に感謝します。

                             人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                             ‘08年11月15日(土曜日)09:46

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 福留です。一昨日(13日)、参議院の外交防衛委員会で、民主党の藤田幸久議員が冒頭に質問しました。

藤田議員は、自衛隊の文民統制に関する質問をしましたが、最終部で、麻生首相に「麻生炭鉱」および「麻生炭鉱における連合軍捕虜」に関して問いました。


「1946年に麻生鉱業が日本政府捕虜情報局に対して提出した報告書に言及、第二次大戦中に麻生鉱山に捕虜が労役していた事実に対する認識を問うと麻生首相は、「当時4~5歳で認識するには早すぎる」と答弁、「事実関係も確認されていないと承知している」と否定した。これに対して藤田議員は、認識していないことは一国の総理として無責任であると批判、2006年にニューヨークの日本総領事館がこの捕虜の実態を報じた記事に対する反論をホームページに掲載したことについてその裏づけはあるのかと質すと、中曽根外務大臣が資料を踏まえ反論の訂正の可能性を含めて慎重に検討すると答えた。」

民主党のホームページの「ニュース」より

  http://www.dpj.or.jp:80/news/?num=14524


なお、動画は、以下の参議院のサイトで見ることができます。

  http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/consider.php


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  島田 等さんを偲ぶ: 慰霊の古寺巡礼;第二日目(10月21日); 奈良の長谷寺を訪ねて           (滝尾)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年11月 7日(金)22時51分37秒
編集済
 
 島田 等さんを偲ぶ: 慰霊の古寺巡礼;第二日目(10月21日); 奈良の長谷寺を訪ねて

                 人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                     ‘28年 11月07日(金曜日)22:50

 10月21日の正午過ぎ、私たちは「近鉄大阪線」の長谷寺(はせてら)駅に立っていた。門前の旅館までは、徒歩15分ほどだが、私が歩行困難なので、タクシーで行くことにした。その前に昼食をしようと思ったが、駅前にはそれらしきものはなく、タクシーも桜井から派遣されたタクシーが、今日は一台あるだけ。それも他のお客を乗せてどこかへ行ったという。待つこと20分。タクシーの運転手は若い女性だった。

 私は、この長谷寺とその門前町の佇まい・町並みが好きだ。また、静かな大自然の景観は私をすっぽりと包んでくれる。青春時代から幾度となく、長谷寺に詣でた。そんなわけで「島田 等さんを偲ぶ」最初の巡礼の寺に長谷寺を選んだ。五十余年前に泊った二階建てのその宿屋が町並みにそのまま残って営業をしているのに、感激した。

 真言宗豊山派・総本山の長谷寺(奈良県桜井市初瀬)にある。西国三十三観音霊場第八番札所で、初瀬山の中腹には本堂(国宝)があり、わが国最大の木造仏といわれる本尊十一面観世音菩薩像(重要文化財)などが多々ある寺である。草創については諸説あるが、大和と伊勢とを結ぶ街道に面して、平安時代以降、「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。藤原道長もこの寺に参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰が広まった。当日は、まだ紅葉には少しはやかった。

 「全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、‥‥‥多くの人々の信仰をあつめて」いるせいか、末寺から修行僧が全国から集まり、毎朝、本堂の十一面観世音菩薩像にあげる20~30人の僧侶による読経の声は、大太鼓の音色はみごとな幽玄・荘厳のハーモニーを奏でている。幾度も長谷寺にひかれて、私が参詣するのは、そのためである。


 しかし、長谷寺への参拝には一抹の不安があった。果たして毎朝、多くの僧侶たちによる読経のある初瀬山の中腹には本堂まで、両下肢歩行困難のわが身で、登れるかどうかである。仁王門までの石段。さらに仁王門から本堂までは三百九十九段の石段がある。歯を食いしばっても、本堂までたどり着くのが、わが身の「修行」だと思っての長谷寺行きを決心したのだ。当日は、午前5時30分に起床。午前7時から始まる読経に間に合うべく、宿を早朝6時に出た。

 入口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段・重要文化財)を上るのが通常である。しかし、私が持参した身体障害者用の「手押し車」は、仁王門から本堂までは399段の登廊(屋根付きの階段)を上るのは不可能である。399段の登廊の脇には坂道がついていて、その坂道を上がることにする。同伴の友人が上着を脱いで「手押し車」を押してくれる。途中、下半身全体に「激痛」が走る。持参した「座薬(ブルタレン・サポ:50mg)」という痛み止めを直腸に挿入してもらう。痛みはややおさまり、この分なら7時のお参りに間に合いそう。。

 399段の登廊を上り切ったところから、本堂までは未だ可なりの距離がある。ふたりの若い修行僧が、竹箒で道を掃いていた。愛媛と新潟から、真言宗の修行のために、来ているのだという。今朝の読経は、「観音経」で通常あげるお経をり、長いということだった。「ここから本堂へ行くのは、タクシーを呼びなさい。まがりくねった一車線道だが、本堂のすぐそばまで行ってくれますよ。」と、教えて貰った。早速、「携帯」の連絡。タクシーに来てもらい、7時の読経に間に合った。


 本堂の十一面観世音菩薩像の前に、二十余人の僧侶がならび、大太鼓を打つ調子に合わせて、「観音経」の読経が始まる。初瀬の山々に、こだまする雄大な読経であった。旅館のある門前街の人びとにも、この読経は聞こえているはず。本堂は、京都の清水寺のように「舞い舞台」になっている。本堂からでてきた僧侶たちは、この「舞い舞台」から外に向かっても読経していた。


    朝焼け
               島田 等

  冬至の頃になると
  島の朝焼けはことさら美しい

  朝焼けが美しくなると
  一日は短かくなり
  人は老いる

  地上の喧噪を小さくして
  かがやきは
  自然を忘れる者への猶予だ

  太陽がふたたび戻ってくるまでに
  終わるいのちにとっても

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