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  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
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「死とどう向き合うか」を入院中も、退院後も大きな課題といて考えている。(第三回)  ~美空ひばりが歌った「一本の鉛筆」!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 7月 3日(木)00時29分28秒
編集済
 

「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第三回)~美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を聴いて~

         人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二  (’08年7月3日)


 広島日赤・原爆病院に入院中は、テレビはほとんど視聴しませんでした。各入院者の寝台脇には、患者の個々に、小型の冷蔵庫があり、その上にテレビが置かれ、イヤホンを付ければ音声が聴けるようになっていました。ただし、テレビも冷蔵庫も、1000円出してカードを買って、そのカードを寝台にあるカード入れに挿入して、はじめて使用されます。

 私も入院時に、1000円のカードを購入しましたが、冷蔵庫は使用せず、テレビも各社のニュースとニュース解説をそれもときどき視聴する程度で、もっぱら読書するか、自宅から持参したCDを小型のオーデオで聴くことで、時間を費やしたり、激痛が腰部から下脚部に起きた時に、「叙情歌」や唱歌・童謡を聴いて痛さを堪えることが多かったのです。しかし、新聞のテレビ番組の紹介欄を見て、興味ある番組が載っていたら、テレビを視聴しておりました。

 入院中にテレビを見て、興味あふれ印象深かった番組は、二つありました。それは、6月24の午後8時から45分間放送されたNHKの「歌謡ホール~美空ひばり特集」が一つ。日にちは失念しましたが、午後7時30分から約30分放映されたNHKの「クローズ・アップ現代~医療ミス特集」でした。

 後者からいうと、厚生労働省のサンプル調査によって推定すると、年間、医療ミスで死亡した人は、約2万5千人を数えると放送されていました。「近代医学」がもたらすものが基本的にある死亡事故です。その要因の徹底的解明と対策が愁眉の問題だと思いました。詳細は後日、このホームページにも投稿したいと思います。


 1937年5月29日に横浜で生れたひばりは、多くの不朽の名曲を残し、1989年3月22日に東京の順天堂大学に緊急入院し、間質性肺炎による呼吸不全で、6月24日に永眠しました。五十二歳の若さでした。その二年前には持病の腰痛が悪化し、済生会福岡綜合病院に1987年4月1日に入院しています。公表された病名は大腿骨骨頭壊死と慢性腎臓病です。その翌年の4月11日には東京ドームでコンサートを数万人の前にして行なっています。1ステージで約5㎏は痩せるといいます。さぞ、持病の腰痛も公演中に痛んだことでしょう。

 美空ひばりさんの最後の「新曲」は、死亡した年の1月に発売された「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章、編曲:竜崎孝路)でした。また、最後のコンサートとなったのは、同年2月の「小倉」での公演でした。それをCDで聴いてみますと、公演中に「座って歌います」というほど、体力が弱くなっていました。「‥‥でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生」という歌詞は、ひばりさんの人生であったもあったし、私自身の人生のように思えてくるのです。


 美空ひばりが死亡して満19年の今年の6月24日。NHK歌謡ホールは、前述した痛り美空ひばりの歌の特集でした。①天童よしみが「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)、②森進一が「悲しい酒」(作詞:石本美由起、作曲:古賀政男)、③ジェロが「越後獅子の唄」(作詞:西条八十、作曲:万城目 正)、④神野美伽が「車屋さん」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:松尾健司)、⑤伍代夏子が「花笠道中」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:福田 正)、⑥細川たかしが「ひばりの佐渡情話」(作詞:西沢 爽、作曲:船橋 徹)、⑦秋川雅史が「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章)を歌っていました。

 最後にかつてNHKで収録されていた美空ひばりのモノクロ画像で「真赤な太陽」(作詞:吉岡 治、作曲:原 信夫)が放映されていました。岩城宏之さんは「言葉を超越した音楽性」と題して、つぎのように書いておられます。「‥‥リズム感、表現力、無限とも思える音色の多彩さ。どれをとっても彼女に比肩できる歌手は、フィッシャーディスカウしかいないだろう。しかし、偉大なフィッシャーディスカウには失礼ながら、テクニックへの意識、自信を彼には感じるよきがあった。ひばりさんはそのようなことを、全く気取らせなかった。」と述べています。


 今回、退院して「カラオケ喫茶・城」へ行き、最初に唄い、且つ、毎回唄う歌謡曲は美空ひばりさんが歌った曲でした。「川の流れのように」をはじめ、「愛燦燦」、「みだれ髪」、「哀愁波止場」、「港町十三番地」、「お祭りマンボ」、「車屋さん」、「柔」、「悲しい酒」、「越後獅子の唄」、「一本の鉛筆」、「さくらの唄」、「花笠道中」、「人恋酒」、「カチューシャの唄(復活唱歌)」、「津軽のふるさと」、「東京キッド」、「真赤な太陽」などです。「裏町酒場」、「夾竹桃の咲く頃」、「今日の我に明日は勝つ」、「ひばりの佐渡情話」、「リンゴ追分」、「悲しき口笛」、「私は街の子」、「人生一路」など、まだまだ唄いたいひばりさんの歌を未だ歌っていません。


 もちもん、その真似事すら出来ない私ですが、美空ひばりさんの歌から一つでも二つでも、歌を学ぶことが出来たらと思い唄っています。 『朝日新聞・大阪本社版』の‘08年7月1日の記事は、<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で>と題して、つぎのような記事が掲載されていました。紹介します。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれるといいます。当日は、ぜひ、このコンサートには行きたいと思っています。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で> 『朝日新聞』の‘08年07月01日のホームページより

 歌手美空ひばり(1937~89)が34年前、広島で発表した歌がある。彼女のヒット曲のなかでは目立たないが、彼女自身は好きな持ち歌ベスト10に選んだ。「皆さんにぜひ愛していただきたい歌」とも語った。反戦を静かに訴えるこの歌が、今夏、広島から再び発信される。


 「一本の鉛筆」が初めて歌われたのは74年8月。広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭で発表された。

 「世界に平和を発信したいという音楽祭に乗り気になってくれた」。日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の当時の担当ディレクター・森啓(あきら)さん(66)は振り返る。ひばりは幼少時、横浜大空襲に遭い、父が徴兵される戦争体験を抱えていた。音楽祭を総合演出した映画監督の松山善三さん(83)が作詞した。

 《一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く》

 一人でも一本の鉛筆で反戦を訴えることができるというメッセージだった。曲は黒澤明監督の映画音楽を手がけた故佐藤勝さんが作った。


 音楽祭のリハーサルでは、冷房付きの控室が用意されていたが、ひばりはずっと、猛暑のステージのかたわらにいて、「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやいた。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。

 それから14年。ひばりは第15回の同音楽祭でこの歌を歌うため、再び広島を訪れた。大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)と肝臓病で入院した翌年だった。出番以外の時は楽屋に運び込んだベッドで点滴を打った。だが、観客の前では笑顔を絶やさなかった。ステージを降りた時、「来てよかった」と語った。翌年6月、帰らぬ人となった。


 今年3月、ひばりと20年近い親交があった俳優奈良岡朋子さんがテレビ番組でこの詞を朗読した。リサイタルでひばりが歌う時、「次に歌う歌はこれまでの歌とは少し違いますが、ぜひ皆さんに聴いてほしい」と話す姿が印象的だった。

 奈良岡さんの朗読を偶然、目にした音楽事務所社長の高嶋弘之さん(74)はこの歌の存在を初めて知った。詞の冒頭のロマンチックな印象は徐々に薄れ、最後に「広島の歌だったのか」と驚かされた。旋律を聴くと、美しさに息をのみ、即座にCD化を決めた。知人のソプラノ歌手、丹藤まさみさん(38)に歌ってもらうと「平和」が自然と胸に染みてくるようだった。


 6月上旬、高嶋さんとともに広島を訪れた丹藤さんは、原爆ドームわきの元安川を目にして衝撃を受けた。豊かな水をたたえて流れる川をこれまでは小川だと思っていた。水を求めて倒れた人たちで川面が埋めつくされた光景を想像した。「知っているつもりで広島から目をそむけていた。知った以上、伝えていかなくては」と感じた。


 CDは7月30日にKTRレコード(03・5491・1557)から発売される。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれる。入場無料。問い合わせは高嶋音楽事務所(03・5491・7245)。(秋山千佳)

 

「死とどう向き合うか」を入院中も、退院後も大きな課題といて考えている。(第三回)  ~美空ひばりが歌った「一本の鉛筆」!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 7月 3日(木)00時27分51秒
 

「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第三回)  ~美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を聴いて~

         人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二  (’08年7月3日)


 広島日赤・原爆病院に入院中は、テレビはほとんど視聴しませんでした。各入院者の寝台脇には、患者の個々に、小型の冷蔵庫があり、その上にテレビが置かれ、イヤホンを付ければ音声が聴けるようになっていました。ただし、テレビも冷蔵庫も、1000円出してカードを買って、そのカードを寝台にあるカード入れに挿入して、はじめて使用されます。

 私も入院時に、1000円のカードを購入しましたが、冷蔵庫は使用せず、テレビも各社のニュースとニュース解説をそれもときどき視聴する程度で、もっぱら読書するか、自宅から持参したCDを小型のオーデオで聴くことで、時間を費やしたり、激痛が腰部から下脚部に起きた時に、「叙情歌」や唱歌・童謡を聴いて痛さを堪えることが多かったのです。しかし、新聞のテレビ番組の紹介欄を見て、興味ある番組が載っていたら、テレビを視聴しておりました。

 入院中にテレビを見て、興味あふれ印象深かった番組は、二つありました。それは、6月24の午後8時から45分間放送されたNHKの「歌謡ホール~美空ひばり特集」が一つ。日にちは失念しましたが、午後7時30分から約30分放映されたNHKの「クローズ・アップ現代~医療ミス特集」でした。

 後者からいうと、厚生労働省のサンプル調査によって推定すると、年間、医療ミスで死亡した人は、約2万5千人を数えると放送されていました。「近代医学」がもたらすものが基本的にある死亡事故です。その要因の徹底的解明と対策が愁眉の問題だと思いました。詳細は後日、このホームページにも投稿したいと思います。


 1937年5月29日に横浜で生れたひばりは、多くの不朽の名曲を残し、1989年3月22日に東京の順天堂大学に緊急入院し、間質性肺炎による呼吸不全で、6月24日に永眠しました。五十二歳の若さでした。その二年前には持病の腰痛が悪化し、済生会福岡綜合病院に1987年4月1日に入院しています。公表された病名は大腿骨骨頭壊死と慢性腎臓病です。その翌年の4月11日には東京ドームでコンサートを数万人の前にして行なっています。1ステージで約5㎏は痩せるといいます。さぞ、持病の腰痛も公演中に痛んだことでしょう。

 美空ひばりさんの最後の「新曲」は、死亡した年の1月に発売された「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章、編曲:竜崎孝路)でした。また、最後のコンサートとなったのは、同年2月の「小倉」での公演でした。それをCDで聴いてみますと、公演中に「座って歌います」というほど、体力が弱くなっていました。「‥‥でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた 人生」という歌詞は、ひばりさんの人生であったもあったし、私自身の人生のように思えてくるのです。


 美空ひばりが死亡して満19年の今年の6月24日。NHK歌謡ホールは、前述した痛り美空ひばりの歌の特集でした。①天童よしみが「柔」(作詞:関沢新一、作曲:古賀政男)、②森進一が「悲しい酒」(作詞:石本美由起、作曲:古賀政男)、③ジェロが「越後獅子の唄」(作詞:西条八十、作曲:万城目 正)、④神野美伽が「車屋さん」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:松尾健司)、⑤伍代夏子が「花笠道中」(作詞・作曲:米山正夫、編曲:福田 正)、⑥細川たかしが「ひばりの佐渡情話」(作詞:西沢 爽、作曲:船橋 徹)、⑦秋川雅史が「川の流れのように」(作詞:秋元 康、作曲:見岳 章)を歌っていました。

 最後にかつてNHKで収録されていた美空ひばりのモノクロ画像で「真赤な太陽」(作詞:吉岡 治、作曲:原 信夫)が放映されていました。岩城宏之さんは「言葉を超越した音楽性」と題して、つぎのように書いておられます。「‥‥リズム感、表現力、無限とも思える音色の多彩さ。どれをとっても彼女に比肩できる歌手は、フィッシャーディスカウしかいないだろう。しかし、偉大なフィッシャーディスカウには失礼ながら、テクニックへの意識、自信を彼には感じるよきがあった。ひばりさんはそのようなことを、全く気取らせなかった。」と述べています。


 今回、退院して「カラオケ喫茶・城」へ行き、最初に唄い、且つ、毎回唄う歌謡曲は美空ひばりさんが歌った曲でした。「川の流れのように」をはじめ、「愛燦燦」、「みだれ髪」、「哀愁波止場」、「港町十三番地」、「お祭りマンボ」、「車屋さん」、「柔」、「悲しい酒」、「越後獅子の唄」、「一本の鉛筆」、「さくらの唄」、「花笠道中」、「人恋酒」、「カチューシャの唄(復活唱歌)」、「津軽のふるさと」、「東京キッド」、「真赤な太陽」などです。「裏町酒場」、「夾竹桃の咲く頃」、「今日の我に明日は勝つ」、「ひばりの佐渡情話」、「リンゴ追分」、「悲しき口笛」、「私は街の子」、「人生一路」など、まだまだ唄いたいひばりさんの歌を未だ歌っていません。


 もちもん、その真似事すら出来ない私ですが、美空ひばりさんの歌から一つでも二つでも、歌を学ぶことが出来たらと思い唄っています。 『朝日新聞・大阪本社版』の‘08年7月1日の記事は、<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で>と題して、つぎのような記事が掲載されていました。紹介します。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれるといいます。当日は、ぜひ、このコンサートには行きたいと思っています。

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<ひばりの愛した反戦歌「一本の鉛筆」、もう一度広島で> 『朝日新聞』の‘08年07月01日のホームページより

 歌手美空ひばり(1937~89)が34年前、広島で発表した歌がある。彼女のヒット曲のなかでは目立たないが、彼女自身は好きな持ち歌ベスト10に選んだ。「皆さんにぜひ愛していただきたい歌」とも語った。反戦を静かに訴えるこの歌が、今夏、広島から再び発信される。


 「一本の鉛筆」が初めて歌われたのは74年8月。広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭で発表された。

 「世界に平和を発信したいという音楽祭に乗り気になってくれた」。日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の当時の担当ディレクター・森啓(あきら)さん(66)は振り返る。ひばりは幼少時、横浜大空襲に遭い、父が徴兵される戦争体験を抱えていた。音楽祭を総合演出した映画監督の松山善三さん(83)が作詞した。

 《一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く》

 一人でも一本の鉛筆で反戦を訴えることができるというメッセージだった。曲は黒澤明監督の映画音楽を手がけた故佐藤勝さんが作った。


 音楽祭のリハーサルでは、冷房付きの控室が用意されていたが、ひばりはずっと、猛暑のステージのかたわらにいて、「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやいた。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。

 それから14年。ひばりは第15回の同音楽祭でこの歌を歌うため、再び広島を訪れた。大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)と肝臓病で入院した翌年だった。出番以外の時は楽屋に運び込んだベッドで点滴を打った。だが、観客の前では笑顔を絶やさなかった。ステージを降りた時、「来てよかった」と語った。翌年6月、帰らぬ人となった。


 今年3月、ひばりと20年近い親交があった俳優奈良岡朋子さんがテレビ番組でこの詞を朗読した。リサイタルでひばりが歌う時、「次に歌う歌はこれまでの歌とは少し違いますが、ぜひ皆さんに聴いてほしい」と話す姿が印象的だった。

 奈良岡さんの朗読を偶然、目にした音楽事務所社長の高嶋弘之さん(74)はこの歌の存在を初めて知った。詞の冒頭のロマンチックな印象は徐々に薄れ、最後に「広島の歌だったのか」と驚かされた。旋律を聴くと、美しさに息をのみ、即座にCD化を決めた。知人のソプラノ歌手、丹藤まさみさん(38)に歌ってもらうと「平和」が自然と胸に染みてくるようだった。


 6月上旬、高嶋さんとともに広島を訪れた丹藤さんは、原爆ドームわきの元安川を目にして衝撃を受けた。豊かな水をたたえて流れる川をこれまでは小川だと思っていた。水を求めて倒れた人たちで川面が埋めつくされた光景を想像した。「知っているつもりで広島から目をそむけていた。知った以上、伝えていかなくては」と感じた。


 CDは7月30日にKTRレコード(03・5491・1557)から発売される。「一本の鉛筆」を歌うコンサート(広島ホームテレビなど主催)は8月6日午後、広島市の原爆ドーム対岸の平和記念公園内で開かれる。入場無料。問い合わせは高嶋音楽事務所(03・5491・7245)。(秋山千佳)

 

韓国ソウルに在住している金広烈さんからの<米国産牛肉輸入交渉が国の健康権を守らないものである>とするロウソク集会!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 7月 2日(水)17時49分41秒
編集済
 

 韓国のソウルに在住している金広烈(キム・グワンヨル)さんから、滝尾宛にメールで、下記のような、政府当局(農林水産部)の<米国産牛肉輸入交渉が国民の健康権を守らないものである>とする「ロウソクを灯した集会」に関しての内容の文が届きました。このメールを『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。また、前文のみを『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。ご面倒でも、『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載した金広烈(キム・グワンヨル)さんの報告文をご覧ください。

 両国間は、人がつくった「国境線」なんかにとらわれずに、市民運動=民衆運動の輪を拡げていくことが大切だと考えます。連鎖のように主体をもつ運動を構築していきましょう。

                        ‘08年06月02日(水曜日) 17:30

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第二回)     滝尾英二

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 7月 1日(火)06時57分1秒
編集済
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「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第二回)

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二  (’08年7月1日)


 「第一回」の「死とどう向き合うか」を書いたとき、<‥‥「◆自己の消滅への不安、及び◆死後の審判や罰に関する不安」について、アルフォンス・デーケン教授の書かれている記述をまず紹介します。>と述べています。最初にこの紹介をしていきます。

◆自己の消滅への不安
死によって自分の存在が完全に消滅してしまうのではないかという不安は、自己保存本能としての自然な反応です。しかし、永遠の生命を確信する人にとっては、死後にも続く生命への希望が大きな支えとなります。

◆死後の審判や罰に関する不安
 人類の歴史と文化の中では、死後に審判があり、善悪それぞれに報いがあるという教えが広く信じられてきました。死後の生命を信じる人々の中には、死んでから裁かれて罰を受けることを何よりも恐れているという人がいます。しかし、人間は誰でもが不完全な存在です。死後の厳しい審判を想像して過剰な不安におののくよりも、現在を精いっぱい生き抜こうと努力を傾ける生き方のほが、こうした不安を鎮める一つの道だと考えます(164~165ページ)。


◆「苦痛への恐怖」ということは、いま「腰部背柱菅狭窄症」を患う私にとっては、切実な問題であり課題です。

 持続する腰部から下脚にかけての激痛は、実際に体験したものでないと、分からないと思います。日赤病院に入院した当夜、零時をまわった時に、この激痛が起こりました。私は当直の看護師さんに、激痛が起こっていることを知らせました。看護師の方は担当医にそのことを「携帯」で連絡されたようですが、病室にあう食卓の椅子に座り、頭を食卓につけて、鎮痛剤の座薬を入れて激痛がおさまったのは、午前3時でした。

 その間の3時間を私は、自分ひとりで激痛を耐えなければなりません。「なぜ、救急病院である大きな日赤病院に、はやくアフタ・ケアができないのだろうか」と、その時は思いました。自分でこの激痛が起きないようにコントロールができないのです。

 この3時間は、5時間にも10時間にも、長時間に感じました。この激痛は、数日間は毎晩のように起きましたが、2回目以後は、ボルタレンサポ50mgという鎮痛剤を使用して、腰部から下脚にかけての激痛は30分か1時間で、それまで我慢すれば、治まるのだと、自分に言い聞かせました。しかし、このボルタレンサポ50mgという鎮痛剤の使用は、1日1回です。死ぬときは、心臓麻痺などで「ポックリ」と死ねないな、そして痛みで簡単には死ねないものだと、激痛が治まって、つくづく考えました。


 何回目かの入院中での激痛が起きた時、ちょうど私の担当看護師の方がおられて、痛む私の側に座って時どき痛みのはしる個所をさすってくださいました。痛さは、メンタル(心理的)なもの、精神的なものか、鎮静剤で痛さが治まるまでの時間が短く感じましたし、孤独で痛さを堪えるのではないんだという安心感・信頼感のようなものを感じました。激痛が起きる要因は、背骨から出た神経に、固いものが触ると起きるようです。しかし、精神的要素が痛さを引き起こすとも考えます。


 退院後も、長時間の激痛が一度あり、退院時に渡された「ボルタレンサポ50mgという鎮痛剤」を使用しても、なかなか痛さは治まりませんでした。しかも、左半身だけが痛むという初めての経験でした。小さい痺れや痛みは絶えずあり、難渋しています。だから、発作の後の心配や不安、こだわりが日常化しています。発作は何度となく繰り返しています。だから、この不安感をどのように克服するかという問題が私自身の大きな課題のように思います。

しかも、私の持病は①糖尿病も、②脳梗塞からくる前頭葉の感情のコントロールが自身ではコントロールが難しいということも、③全身の老人性湿疹のあることも、④前立線肥大による排尿の困難さも、⑤腰部脊柱管狭窄症からくる歩行困難や、不意に起こる激痛も、⑥動脈硬化症も、現在の医学ではなかなか治癒することは、困難なようです。

 ⑦加齢による骨のカルシューム度が落ちているそうです。だから、転倒して骨折したり、尻餅をついたりしない注意をするように、退院する時、私の主治医から云われました。最近も久しぶりに行った「カラオケ喫茶・城」で、歌謡曲を唄った後、人前で転倒しました。幸い怪我はしませんでしたが‥‥。こうした病を私は、死ぬまで「同伴」します。


 ところが、アルフォンス・デーケン教授は、自著『死とどう向き合あうか』(NHKライブラリー)の中で、つぎのようにお書きになっておられます(158ページ)。

 ‥‥この潜在的能力について、心理学者たちは、それぞれ多様な見方をしています。スイスの心理学者ユングは「普通の人は大体自分の中の能力の五〇パーセントくらいを開発しているだけだ。後の半分は置きっぱなしにしている」と言いました。

 ところが、最近のアメリカでは、もっと厳しい見方をする心理学者が多いようです。たとえば、ウィリアム・ジェームスは「私は今まで自分の潜在的能力の一〇パーセント以上を使っている人間には合ったことはない」と言って」います。また私と同じ大学で教えていたマーガレット・ミードは、平均すれば六パーセントくらいしか、自分の能力を発揮していない人がほとんどだと言い、オットーという学者になると、五パーセントが普通dと言っています。これを言い換えますと、大抵の人はまだ九五パーセントもの可能性を眠らせたままにしているというということです。死への恐怖が、この未開発の能力を引き出す具体的な挑戦になるということも十分考えられます。

                                                                                                   (以上、未完です。=滝尾)
 

『幼い児童生徒に靖国で何を教えるのか』 (朝鮮日報 社説 5.26); 学校行事としての靖国神社・護国神社訪問が解禁へ!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月30日(月)21時49分46秒
 

 朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチさんから滝尾宛にも届いたメールです。パクさんのメール内容によると、「‥‥日本ではほとんど報道されませんでしたが、実は日本政府は5月23日、「国公立学校が主催して靖国神社を訪問することを許容する」という公式的な立場をこっそり閣議で決定していました」ということです。これは「信教の自由や教育の自由」をいう『日本国憲法』に対する違反であり、政府の『日本国憲法』に対する挑戦だと思います。

 パク・ヨンチさんは、「‥‥日本外務省は今年2月からインターネット上で、「独島(日本名竹島)は日本領土」という文章を掲載したり、文部科学省が最近、中学校の社会科教科書の副教材に「独島は日本領土」と記載するよう指針を下したりと、周辺国は日本の右傾化を大変憂慮しています。 朝鮮半島の非核化そして東北アジアの平和定着へと国際情勢が大きくシフトしている最中、日本政府はただひとり歴史発展の流れを逆行しているようです。」とも云っておられます。


 このメールの内容を『滝尾英二的こころPart2』に全文、掲示板に掲載します。また、滝尾の「前文」のみを『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。お手数ですが、ぜひ『滝尾英二的こころPart2』(6月30日)の掲示板をご覧ください。情報を届けていただいたパク・ヨンチさんに感謝します。

                        ‘08年6月30日(月曜日) 21:45

                        人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第一回)    滝尾英二    

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月29日(日)22時59分14秒
編集済
 

<「死とどう向き合うか」を広島日赤病院入院中も、退院後も大きな課題といて考えています。(第一回)>

           人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二(‘08年6月29日)


 アルフォンス・デーケン教授は、自著『死とどう向き合あうか』(NHKライブラリー)の中で、「死への恐怖のさまざまな形」の項(159~165ページ)で、つぎの7点をあげていま。

◆1、苦痛への恐怖
◆2、孤独への恐怖
◆3、家族や社会の負担になることへの恐れ
◆4、未知なるものを前にしての不安
◆5、人生を不完全のまま終えることへの不安
◆6、自己の消滅への不安
◆7、死後の審判や罰に関する不安

 その中、「◆自己の消滅への不安、及び◆死後の審判や罰に関する不安」について、アルフォンス・デーケン教授の書かれている記述をまず紹介します。私自身についていうと、こうした不安は、「自己の消滅」への不安は存在しますが、「死後の審判や罰に関する不安」は、全くありません。だって、人間は誰でも「真っ白」の人は存在しませんし、また「真っ黒」の人は存在しません。すべて「灰色」です。ただし、「真っ白」に限りなく近い人と、「真っ黒」に限りなく近い人とは存在します。また、同一人物でも時代と場所により、それぞれ、その「灰色度」は異なると思います。


 上記の問題について私の感想をいうならば、ここ十余年、弁護士たちと関わってきた過程でいえば、裁判をすすめる場合に「勝訴」を目的とした担当弁護士と、「真実を追究」することを至上の目的とする研究者である私とは、自づから、或る人物や現象乃至、事実への評価が異なりました。


  職業上、単純化し典型化して裁判を有利に展開しようとする弁護士と、歴史的事実を多様な角度から「真実」を追究しようとする研究者である私とでは、当然のことですが、意見が食い違い、衝突することは、やむをえないことだったかと思います。だから、神仏が行なう「死後の審判や罰」は、生前は全員がその度合いは異なれ、すべて「灰色」だから、どこで線引きを神さまや仏さまが行なうか、神仏でない私=「灰色」の私には、それを恐がっても仕方がありません(笑い)。アルフォンス・デーケン教授は、「死を前にした生きがい」として、つぎのように書いています。(174~176ページ)


‥‥たとえ死が目前に迫っていても、残された時間を積極的に生き抜いた人物像の一つに、黒沢明監督の映画「生きる」があります。ごらんになった方も多いと思いますが、ちょうど私がフォーダム大学大学院に留学していたころ、ニューヨークで上映されていました。私はあの映画に感動して、何度も映画館に通ったことを覚えています。

 この映画の主人公は、市役所の職員として定年間近まで、すべて事なかれ主義で過ごしてきました。ところが偶然、自分ががんであと半年の命しかないことを知ります。彼はそれまでの六〇年近くを、本当の意味で生きて来なかったことを悟るのです。

 その反省から、せめて生涯の最後の半年間を人間らしく生きたいと思い、小さな児童公園づくりに執念を燃やします。彼の唯一の生きがいとなった公園は、多くの困難の末に、ようやくできあがりました。

 ラストに近いシーンはとくに印象的でした。夜更けの雪があたり一面に降り積って行く中で、彼は完成した公園のブランコに独り揺られながら、静かに息を引き取るのです。このシーンは今も私の目に焼きついています。

 彼は自分の死期が迫ってくるなかで、初めて他者へ愛を捧げる喜びを知り、深い満足感に包まれて亡くなりました。逆説的ですが、この映画の主人公は、死に直面することによって、初めてよりよく「生きる」ことができたと言えましょう。


 死へのプロセスというのは、自分自身のかけがえのない生命を最後までどう生きぬくかという重要な時期です。ドイツ語では、動物の死と人間の死を、二つの違う単語ではっきり区別します。動物の死はフェアエンデル(verenden)、人間の死はシュテルベン(sterben)です。動物の場合は、肉体的な衰弱のうちにやがて死に至りますが、人間の場合、肉体は同じように衰弱して行っても、精神的・人格的には成長を続けて尊厳に満ちた死を迎えることが可能なのです。

                          (以下、未完です。=滝尾)
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 下関市嶋倉剛教育長の「植民地支配は歴史的事実に反する」という発言についての続報を掲示します。 (滝尾)        

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月28日(土)18時47分6秒
 

  下関市嶋倉剛教育長の「植民地支配は歴史的事実に反する」という発言についての続報を掲示します。これは、『小鹿島(ソロクト)更生園の入所者による訴訟』を支援し、闘った一人として、且つまた、2005年2月3日の衆参両議会において、全会一致で成立した「改正ハンセン病補償法」とも、相違する見解であり、この嶋倉剛教育長の妄言に対して、私は怒りに震えています。即刻、下関市嶋倉剛教育長の謝罪と辞職を要求します。

                     ‘08年6月28日(土曜日)  18:30

                     人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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 下関市教育長「植民地支配は歴史的事実に反する」‘08年6月28日 17:05の『朝日新聞』のホームページより


 山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が26日、学校への教育補助金増額を求めて訪ねてきた山口朝鮮学園の金鍾九理事長と保護者らに、日本の朝鮮半島に対する植民地支配について「植民地支配は歴史的事実に反する」と述べた。

 同学園は山口朝鮮初中級学校を運営。この日、保護者側は「植民地支配によって日本に渡航せざるを得なかった朝鮮人子弟が通っている。ほかの外国人学校とは経緯が違うことをふまえて対処してほしい」と要望した。これに対し、嶋倉教育長は「植民地支配という部分については歴史的事実に反するので受け入れられない」と述べた。

 保護者らは机をたたくなどして激しく抗議し、金理事長も「歴史的事実は歴史的事実と受け止めて」と主張した。嶋倉教育長は「日朝併合の部分をいかに言うかは自由」と言いつつ、植民地支配であったことは改めて否定。「そこは日朝交渉でやって頂ければいい話」と述べた。


 金理事長は「日朝平壌宣言や日本の首相談話にも植民地支配への謝罪が盛り込まれている。それを否定することは国のトップを否定することだ」と話す。嶋倉教育長は朝日新聞社の取材に「助成の話に昔の話を持ち出すのは筋違い」と話した。


 嶋倉教育長は87年に文部省に入省。教育財政室長などを歴任した。下関市では前任の教育長が突然辞職して4月から空席だった。市は後任を文部科学省に求め、嶋倉氏が5月に着任した。

 下関市と朝鮮半島はつながりが深い。戦後、朝鮮半島に帰る船に乗ろうと下関には多くの朝鮮半島出身者が集まった。現在もその子孫が多く住み、約4千人が韓国・朝鮮籍で外国人登録をしている。下関市と韓国の釜山市との間には関釜フェリーが就航し、両市は姉妹都市として提携している。(島津洋一郎)

     ◇

 山口県下関市の嶋倉剛教育長が「(朝鮮半島の)植民地支配は歴史的事実に反する」と発言したことについて、渡海文部科学相は27日の会見で、「我が国の植民地支配によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたという認識を政府は表明しており、私の認識も同じ。もしそれに反する発言ということであれば、大変遺憾だ」と話した。

 

  広島赤十字・原爆病院を退院しました。; 下関市の嶋倉剛教育長の発言に対する抗議を要請いたします! (滝尾)     

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月28日(土)04時13分50秒
 

 広島赤十字・原爆病院を退院しました。同病院の私の主治医である内分泌科の医師と、循環器科の医師、及び外科の医師が相談されて、今回は「人工血管手術」はしないことになりました。このことは、動脈硬化症、腰部脊柱管狭窄症、さらに動脈硬化による心筋梗塞などの冠動脈疾患や血流からの疾患などが改善されたわけではありません。それを防止する服薬も追加されました。だから「退院」をすなおによろこべないのです。

 しかし、入院中の多くの方がたからメールやホームページなどで激励や見舞いの意を送られて感謝します。このことが、どれほど不安と孤独のこころを癒したか分からないほどです。入院しますと「孤独なこころの傷」がたえずあります。こうした不安などが身体に影響し、また「激痛」を引き起こします。身体とこころは絶えず連動することをこの度、痛感しました。このことは「ハンセン病問題のこと」でも、とりわけ「将来構想」を考える際にも云えると思いました。


 安原さんから下記のメールが滝尾宛にも届きましたので、詳細は『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。『滝尾英二的こころ』などは、要約しますので(長文となり煩瑣になりますので)、ご面倒ですが『滝尾英二的こころPart2』の掲示板をご覧ください。

 滝尾からも下関市の嶋倉剛教育長の発言に対する抗議を要請いたします。「 転載転送大歓迎」だそうです。この点もよろしくお願いいたします。安原さんたちに感謝します。

                  ‘08年6月28日(土曜日)  4時00分

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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 安原です。教育界がじわじわと変質しているのでしょうか。

-----Original Message------------------------------------------

転載転送大歓迎です。重複して受け取られる方、ごめんなさい。
友人からのFAXです。下関の教育長の妄言に対して、ぜひ抗議してください。

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<下関市教育長の歴史改ざん発言に抗議の声を>

仲間のみなさん

 26日、教育補助金増額を求めて交渉した山口朝鮮初中級学校の関係者に、応対していた嶋倉剛下関市教育長が「植民地支配は歴史的事実に反する」と言い放つ事態が起  利ました。保護者らの抗議に対しても植民地支配を否定し「補助金助成の話に昔の話 を持ち出すのは筋違い」とも話しました。(27日付朝日新聞から)

 嶋倉教育長は文科省から今年5月に市教育委員長に着任した人物です。教育長の発言 は歴史を反省しないどころか改ざんするもので、教科書の沖縄戦書き換えに現れた文科省の姿勢と同じといえます。ただちに発言の撤回と辞任を求める抗議FAXを送りましたが、より多くの個人、団体が、地域を越えて抗議することが必要と思いこの文を送 ります。教育長宛のFAX、メールなどを集中してください。この出来事を広く伝えてく ださい。韓国などに知り合いのいつ方はそちらにも伝えてください。よろしくお願い します。

住所 山口県下関市南部町1-1 083-231-1111(下関市役所)
教育委員会(教育政策課TEL 083-231-1560) FAX 083-222-8333
メール kisomuka@city.shimonoseki.yamaguchi.jp(教育委員会総務課)

下関 大谷正穂
(宛先部分、一部加筆訂正しました)

   ***********************************************************

朝日新聞の記事はネットで探しきれませんでしたが、共同通信配信のニュースはすぐに見つかります。例えば、「嶋倉剛」で検索ください。


OHKI KENJI(大城研司)
fjmtc727@yahoo.co.jp

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『毎日新聞』ホームページからの検索による。=滝尾からの検索です。

<山口・下関市教育長:戦時下の朝鮮半島、植民地支配「事実に反する」と発言> 『毎日新聞』6月27日 西部夕刊より

 山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が、戦時中の日本の朝鮮半島支配について「植民地支配というのは歴史的事実に反する」と発言していたことが分かった。26日、山口朝鮮初中級学校(同市)への教育補助金増額の要望に訪れた山口朝鮮学園の金鍾九理事長と保護者らに回答した中で述べた。

 金理事長らの要望に対し、嶋倉教育長はいったん「現在の補助金は公教育のルールにのっとって決められている。加えて、市には財源がない」と回答した。しかし、学園側の出席者が「植民地支配によって日本に来た朝鮮人子弟が通っている。他の外国人学校とは歴史的経緯が異なることを踏まえてほしい」と述べると、嶋倉教育長は「植民地支配という部分は歴史的事実に反するので受け入れられない」などと反論した。

 27日に取材に応じた嶋倉教育長は「(学園側は)補助金の話で来たのに、歴史認識の話を持ち出すのは筋違いなので否定した。日朝併合(日韓併合)と植民地支配は違うと考えているが、異なる考え方があることも理解している」と話した。
 一方、金理事長は27日、「憤慨している。教育長の発言は、日朝平壌宣言の否定につながる。誤った歴史認識をもった人が『長』として教育現場に携わることを懸念する」と話し、発言の訂正と謝罪を求めている。

 嶋倉教育長は87年に文部省(当時)に入省し、小中学校の教育財政部門などに携わっていた。下関市は前任の教育長が突然辞職し4月から不在だった。このため、市の招請に応じて今年5月、文科省から嶋倉氏が派遣された。同省派遣の現職教育長は、九州・山口ではただ一人。【取違剛】
毎日新聞 2008年6月27日 西部夕刊

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 「循環器科」の医師から、詳しい私の情報を妻と一緒に聞いて、人工血管手術を実施していただくように考えています。(滝尾) 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月22日(日)16時49分22秒
 
 『医学雑誌』を編集されている親しい友人から、下記のようなメールが届きました。広島赤十字病院の「循環器科」の医師から、詳しい私の情報を妻と一緒に聞いて、人工血管手術を実施していただくように考えています。そうすれば、この『滝尾英二的こころPart2』などのホームページへの投稿・掲載が当分、出来なくなります。その点、気がかりですが、帰宅すれば、掲示板への投稿・掲載を再開します。それまで、しばらくご容赦ください。よろしくお願いいたします。

                    ‘08年6月22日(日曜日) 16:45

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                   (自宅から病室へ戻るときに、掲載しました!

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(友人からのメール=参考資料)

 滝尾英二さま

 メールを拝受いたしました。

 人工血管による血管形成術に関して、参考にましましたら‥‥。

1:ASOに関するQ&A[一般向け説明]
http://www.jsivr.jp/people/aso/a_Q.html

2:第46回日本脈管学会総会 講演7

[人工血管に関する研究の現況がわかります。専門的]
http://www.jc-angiology.org/journal/pdf/2006/165.pdf

3:日本人工臓器学会 人工血管[一般向け情報]
http://www.jsao.org/public/7.html

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 ステント留置による血行再建に関しては、ベアメタルステントと薬剤溶出性ステントがあり、最近は薬剤溶出性ステント使用の傾向です。

 血流の滞った自らの下肢血管走行が、複数の小さな副側血行路を形成しているようですので、医師お勧めの、人工血管による血管形成術適応は充分納得できます。


 十分な説明を受け、納得されたら、どうぞチャレンジしてください。

また、外科的処置には、身体的/精神的ストレスにもなりますから、処置に臨んで、ストレスを溜めないで、ゆったり、気持ちを大きく解放して、医師と協働して――自ら治す――ような気持ちで臨んでくださいませ~。いい結果を得られることと思います

 

人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない! 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月22日(日)13時16分30秒
 
 鄭根植さん(ソウル大学社会学科教授)と、市場淳子さん(韓国の原爆被害者を救済する市民の会 会長)から『韓国原爆被害者 苦痛の歴史』(明石書店、2008年5月20日発行、B6判502ページ、3500円+税)の寄贈本が贈られてきた。

 現本は、韓国で「図書出版・先人(ソニン)」で2005年に出版されたものである。序文は「出版にあたって」が、同書にふせられていて、それを一読して驚いた。それは、つぎのように書き出されていた。

「今年[2005年]で広島と長崎に原子爆弾が投下されて六〇年になる。どんな理由であれ、その時、そこにいた人々は、その多くがすでに故人となった。私が歴史の現場である広島平和記念公園を訪れたのは、今から一〇年前だった。韓国ハンセン病史の研究者である滝尾英二先生が、被差別部落地域とともに、この公園を案内しながら、原爆ドームと韓国原爆犠牲者慰霊碑にまつわる話をしてくれた。‥‥」


 人間は生をうけてこの世に生まれれば、万人は必ず「死」ぬ。しかし、その生きた精神は、後世に引き継がれて、死ぬことはない。だから、恥じることのない生き方をして、この世から去らねばならないと思う。


 今日、広島赤十字・原爆病院の病室に帰る。右下脚の動脈硬化の手術(人造血管との入れ替え手術)をすれば、当分は帰宅して、ホームページへの投稿も出来ない。しかし、この私の精神は、きっと後世に引き継がれていくにちがいない。だから、「恥じることとのない」生き方を書いて残しておかなければならないと思った。それが、この「激動期」を生きた者としての努めだと感じた。


                     2008年6月22日(日曜日) 午後1時15分

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

 

6月23日(月曜日)、「循環器科」で下脚部の「血流検査」や「MRI検査」などの造影フイルムをみて、下脚手術をする予定です!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月22日(日)09時58分17秒
編集済
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「閉塞性動脈硬化症は、広島日赤病院の「内分泌科」の主治医がおっしゃるように、6月23日(月曜日)午前の「循環器科」の下脚部の「血流検査」や「MRI検査」などの造影フイルムをみて、家族に同席してもらって、広島日赤病院の入院生活を継続し、その間、右脚の手術」をしようと思います。その間は、自宅外泊はむつかしくなりますので、しばらく『滝尾英二的こころ』、及び『滝尾英二的こころPart2』の掲示板の掲載(投稿)は、お休みするようになるかと思います。ご迷惑をおかけしますが、ご容赦ください。

 帰宅後は、ホームページの掲載は再開いたします。よろしくお願いいたします。

                   ‘08年6月22日(日曜日)

                人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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(参考資料)

 閉塞性動脈硬化症は、手足の末梢(まっしょう)動脈が詰まる病気だ。患者数は約50万人。50歳以上の中高年男性に多い。脂肪分の多い食生活の影響などで患者数は増えている。

 症状は足に現れ、血行不良から足が冷たくなったり、歩くと痛む「間欠性跛行(はこう)」という症状が出たりする。血管が詰まって、壊死(えし)し、切断を余儀なくされる患者も2%いる。治療法は様々あり、昨年、アメリカ心臓協会などが作った診療指針を基に紹介する。

 治療の第一歩は、病気を悪化させる危険を減らすこと。喫煙、糖尿病、高脂血症、高血圧、肥満、運動不足、ストレスなどの改善だ。最も大切なのは禁煙。Aさんは毎日1箱半のたばこをやめた。

 それでも症状が改善しない場合、運動療法や薬物療法が行われる。運動療法では、自転車こぎなどの運動を1日30分程度、週3回行う。薬物療法は、血液をサラサラにする抗血小板薬を服用する。

 これらの治療で十分な効果が得られない場合、最初に試みられるのが「血管内治療」だ。足の付け根の動脈などに細い管(カテーテル)を挿入し、管の先に付けた風船を膨らませたり、金網の筒(ステント)を置いたりして狭くなった血管を広げる。

 血管が完全に詰まっているなど症状が重い時は、血管を移植して患部を迂回(うかい)するバイパスを作ったり、人工血管に替えたりする外科手術が行われる。

 Aさんは右足の付け根の腸骨(ちょうこつ)動脈が完全に詰まっていた。東京医大血管外科教授の重松宏さん(当時は東大)は、薬物療法や血管内治療では効果がないと判断し、外科手術を選択。患部の血管を切除した後、直径約8ミリ、長さ約18センチのポリエステル製の人工血管を入れた。手術時間は約2時間で、手術10日後に退院。治療から7年、1時間のウオーキングをしても痛みはまったくない。

 この手術は保険で認められている。血管外科がある経験豊富な病院をインターネットなどで探したい。

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 近況のご報告です。 6月23日(日曜日)  早朝です!                                     

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月22日(日)01時17分46秒
編集済
 

『ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS』の北風さん「エミ」さんなどの記事を拝読しました。広島日赤病院から、今日、一時帰宅しました。1週間分のメールや、ホームページなど読むのが精一杯で、在院中の疲れが、どぉーとでて、帰宅後、寝台で眠りこけていました。午後11時に目が覚めて、この一週間の報告など書いています。


(1)私の健康問題でいえば、やはり、右下脚の「ひざ」上から、下部の「こう」あたりにかけて、動脈硬化で右下脚の「ひざ」にかけて動脈からの「血流」が出来ていないから、人造血管などを右下脚に、埋め込む手術をしないと「壊疽」(エソ)など「血流」しないという現象から脚の切断ということになる、ということです。「血流検査」と「MRI」の検査などで、判明したことです。

 かなり過去からあった「動脈硬化症」で、さいわいなことというか、人間の「神秘」というか、「硬化した動脈」も脇に血管の細い血管の「バイパス」が出来て、その「バイパス」血管から右下脚に血液を送っているが、送れる血液の量は少なく、従って「人口血管」の埋め込み手術が必要だろう、というのが主治医である内分泌科の医師の意見です。


(2)「血流」などに関しては、「循環器」科の専門の医師が諸検査をみて6月23日(月曜日)の午前中に日赤病院で入院のまま、内分泌科から、「循環器」科の医師の診断を受け、手術するか、どうか診断するそうで、家族(妻)もこの診断に私とともに同席します。

 まあ、ここ10年の「ハンセン病問題」の闘いなどの一種の「勲章」だと思えば腹がたちません。また、それが「後期高齢者(福田首相たちがいう「通称・長寿者」)」の宿命だかも、しれません。人間はこの世に生れた以上、老いて、病をして死ぬのは自然の成り行きです。


 幾人かの知人など連絡可能な方がたに病院から、電話でご意見をお聞きしました。するろ「‥‥滝尾さんにはまだ、10年は生きて活動・運動してもらいたいので、この際、手術するため、1ヶ月間の入院を延長して、人口血管の埋め込み手術をしたらどうか」というご意見が、ほとんどでした。

 最終的には月曜日の広島日赤病院の「循環器」科の専門の医師の意見をお聞きして、判断します。土曜日の午後は「整形外科」の医師との今まで実施したWRIなどのこの度の入院に実施しました諸検査をもとに、今後の対応を対応について話し合います。老人になるとどうすても「複数の病気」を持つものです。


  これから「ハンセン病療養所」では「将来構想」が、論議されますが、やはり「将来構想」で医療・介後されるという「予定者」の一番心身に障害を多くもち、深刻な方がたの立場にたって、「入所者」や「近隣地域の老人や障害者の立場」に立って「将来構想」を考えてみることが、きわめて重要だと考えます。

 その際、ともすれば「画一性」が問題となります。また、「近代医療」の持つ「うすっぺらな合理性」や、諸調査などを軽視、乃至、無視して小人数による「思い付き」的な計画が行なわれられないことを切望します。

 とりあえず、短いものですが、近況のご報告です。

                       ‘08年6月22日(日曜日)午前1時10分

                        人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

 

 近況のご報告です。 6月23日(日曜日)  早朝

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月22日(日)01時17分44秒
編集済
 

『ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS』の北風さん「エミ」さんなどの記事を拝読しました。広島日赤病院から、今日、一時帰宅しました。1週間分のメールや、ホームページなど読むのが精一杯で、在院中の疲れが、どぉーとでて、帰宅後、寝台で眠りこけていました。午後11時に目が覚めて、この一週間の報告など書いています。


(1)私の健康問題でいえば、やはり、右下脚の「ひざ」上から、下部の「こう」あたりにかけて、動脈硬化で右下脚の「ひざ」にかけて動脈からの「血流」が出来ていないから、人造血管などを右下脚に、埋め込む手術をしないと「壊疽」(エソ)など「血流」しないという現象から脚の切断ということになる、ということです。「血流検査」と「MRI」の検査などで、判明したことです。

 かなり過去からあった「動脈硬化症」で、さいわいなことというか、人間の「神秘」というか、「硬化した動脈」も脇に血管の細い血管の「バイパス」が出来て、その「バイパス」血管から右下脚に血液を送っているが、送れる血液の量は少なく、従って「人口血管」の埋め込み手術が必要だろう、というのが主治医である内分泌科の医師の意見です。


(2)「血流」などに関しては、「循環器」科の専門の医師が諸検査をみて6月23日(月曜日)の午前中に日赤病院で入院のまま、内分泌科から、「循環器」科の医師の診断を受け、手術するか、どうか診断するそうで、家族(妻)もこの診断に私とともに同席します。

 まあ、ここ10年の「ハンセン病問題」の闘いなどの一種の「勲章」だと思えば腹がたちません。また、それが「後期高齢者(福田首相たちがいう「通称・長寿者」)」の宿命だかも、しれません。人間はこの世に生れた以上、老いて、病をして死ぬのは自然の成り行きです。

 幾人かの知人など連絡可能な方がたに病院から、電話でご意見をお聞きしました。するろ「‥‥滝尾さんにはまだ、10年は生きて活動・運動してこらいたいので、この際、手術するため、1ヶ月間の入院を延長して、人口血管の埋め込み手術をしたらどうか」というご意見が、ほとんどでした。

 最終的には月曜日の広島日赤病院の「循環器」科の専門の医師の意見をお聞きして、判断します。土曜日の午後は「整形外科」の医師との今まで実施したWRIなどのこの度の入院に実施しました諸検査をもとに、今後の対応を対応について話し合います。老人になるとどうすても「複数の病気」を持つものです。


  これから「ハンセン病療養所」では「将来構想」が、論議されますが、やはり「将来構想」で医療・介後されるという「予定者」の一番心身に障害を多くもち、深刻な方がたの立場にたって、そして「入所者」や「近隣地域の老人や障害者の立場」に立って「将来構想」を考えてみることが、きわめて重要だと考えます。

 その際、ともすれば「画一性」が問題となります。また、「近代医療」の持つ「うすっぺらな合理性」や、諸調査を軽視し、無視して小人数による「思い付き」的な計画が行なわれられないことを切望します。

 とりあえず、短いものですが、近況のご報告です。

                   ‘08年6月22日(日曜日)午前1時10分

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

 

 昨日は、土曜日で自宅で外泊の許可をもらい帰りました。お見舞いや激励に感謝します。 近況報告」です!          

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月15日(日)10時21分58秒
編集済
 

 昨日(6月14日)は、土曜日で自宅で外泊の許可をもらい帰りました。お見舞いの「北風」さんのホームページなどにお見舞いや激励の文内容の記事をいただき、ありがとうございます。

 帰宅後、「カラオケ喫茶・城」へ行き、10曲唄い帰宅しました。妻が突然帰宅したり、風呂を沸かして、とか、昼食の用意を、とか、食事の内容に比して「ラキソベロン液」など下剤を少々多く飲んだせいか、下痢してパンズ、ズボンに水溶状の便をしたので、洗濯をしてなどやつぎ早に云い、昼食を食べおわると、バスで「カラオケ喫茶・城」に行くと言うと、妻は「それでも入院中の病人?」と驚いていました。


 さらに、“日曜日は「カラオケ喫茶・城」に行く”というと、妻はさらにびっくりしていました。50年余も連れ添っていたわりには、「私の言動」に今さら驚くことはあるまいにと、と少々不満(笑い)でした。これは「元気である」という証です。ただ、「激痛」が、何度もおきて、痛かったので、広島日赤・原爆病院への緊急入院でしたので‥‥。

 「激痛」の要因も、まる3日間の検査でほぼ解明できました。また、「激痛」が起きないような注意事項と、「激痛」が起きたさいの対応=「座薬」である沈静剤(「ボルタレン・サポ 50mg」)を挿入を病院で教えてもらい、昨日・今日の帰宅の際は、ボルタレン・サポ 50mgを3個もらって帰宅しました。「神経」や「ソトレス」も影響してか、帰宅後、「激痛」は今のところ、起きていません。

「入院中」でも、4度ばかり、下半身の「激痛」があり、最初の発作の時は、その対応に時間がかかり、難渋し、苦しみました。しかし、ボルタレン・サポ 50mgの使用で、20分後には、痛さがなくなることがわかり、やはり「入院してよかった!」と思いました。

 ところが、3夜連続して「低血糖」(大体、50台)の低血糖が、深夜起きました。その理由は明らかです。

 夕食が午後6時~翌日の朝食は午前8時。その間、14時間は、何も食べられません。血糖降下剤の劇薬=アマリールは朝と昼、通常通りです。それに一日2060キロ・カロリーから、「入院後」は1600キロカロリーに減食(それもお粥で、あやしいと考えています)おまけに、神経質になる要素が多々あり、ここでは、「低血糖」が起きますよ。しかし、帰宅し、「カラオケ喫茶・城」で10曲唄い、午後9時から、午前3時まで熟睡して、指先の血出して「自己検定用グルコース測定用試験紙」自分で血糖値を測定したら、午前3時30分現在の血糖値は、121で正常でした。だから、腰部狭窄菅を急激に変動しないように、寝起き=とりわけ「寝返り」と「起き上がり」の注意すれば、当面はしのげますし、日常生活が出来ます。

 しかし、眼科など、明日から、検査予約をして、77の「ガタ」の身体全体に起こっていますので、諸検査もこの際、やってもらおうと思います。お金はかかりますが、仕方がありません。これも数種類の病をもつ老人の宿命と、政府・与党(自民・公明党)の「医療」に対する悪政の結果だと、怒りが倍増しています。毎週、土・日は帰宅させてもらい、パソコンを開きます。HPへの「投稿原稿」も、土曜日と日曜日でします。メールも開きます。今まで通りですので、よろしくお願いいたします。いろいろお教えください。


 「入院先の広島日赤病院にノートパソコン一式を持ってお行く」と言うと、妻にたいへん叱られました。でそこで、CDとそれを聴く再生器がけ病院に持参し、ヘッドホンで聴いています。また、数冊の本を持って入院しました。検査以外は閑ですから、久しぶりにパソコンからではなく、本で知識を吸収しています。とりわけ、1932年生まれ(私よりも1歳若い)、ドイツ生まれで上智大学のアルフォンス・デーケン名誉教授の書かれた『死とどう向きあうか~生と死を深く見つめて~』(NHKライブラリー、文庫版で316ページ、1068円+税)は、これからを生きていく上にたいへん有益でした。「いつかは必ず訪れる自分の死、避けては通れない死という現実。

 「ハンセン病問題将来構想」も、こうした側面からのアプローチも必要だと思いました。今の「ハンセン病市民学会」の弁護士たちの欠落した点は、「医療」という面を、「自国民中心意識」と「よく死ぬことは、よく生きることだ」という思想と哲学を欠如させていることだと思います。「近代」思想が価値基準といなり、それに「金になること」の至上主義と、物量行動でそれを獲得しようとする政治・運動路線が致命的な欠陥です。「自分自身の死をどう全うするか」という」視点のないことです。それに「ユーモア」に欠けています。


 こうした内容は、追々書いていきますが、さしむきデーゲン著『死とどう向き合うか』の記述の中から、2個所紹介しましょう。

(その1)‥‥私がとくに感銘を受けた実例で、ニューヨークにいる私の友人のお母さんの死に方です。普通、死は悲しいことですが、この母親は自分の死を悲劇ではなく、一つの心温まるモメディにしました。

 彼女は11人の子どもを立派に育て上げて、その時(死亡の時=滝尾)91歳でした。‥‥ミサが終わると、お母さんは目を開いて「私のために祈ってくれてあいがとう。ところでウイスキーを一杯飲みたいのだけど」と言って皆を驚かせました。子どもたちがウイスキーを持ってくると、お母さんは一口飲んで「ぬるいから少し氷を入れてちょうだい」と言ったのです。後2時間くらいしかもたないだろうと言われた人が、氷の心配までするので皆ショックを受けました。あわてて氷を探してきて入れると、お母さんは「おいしい」と言って全部飲んでしまいました。そして今度は「タバコを吸いたい」と言いだしたのです。

 とうとう堪りかねて長男が「医者がタバコはいけないと言っていますよ」と言いますと、母親の返事は「死ぬのは医者ではなくて私ですよ。タバコをちょうだい」でした。そして悠々とタバコを吸い終わると、皆に感謝して「天国でまた会いましょう。バイバイ」と言って横になり、そのまま息を引き取りました。

 その時、悲しんだ子どもは一人もいませんでした。もちろん、お母さんの死は悲しいのですが、その死に際のユーモラスな明るさを思い出して、いかにもお母さんらしい死に方だと口々に言って笑いました。この母親は生涯、ほとんどウイスキーやタバコを口にしませんでした。ですから、死ぬ前にどうしても飲みたかったわけではなかったのです。彼女はそれまでに親戚や友達の葬式に出て、皆が涙を流して悲しんでいたのを思い出したのです。そこで、自分の死によって子どもや孫たちが悲しませるのではなく、明るい雰囲気のコメディを遺そうとしたのでしょう。

 何という美しい愛と思いやりでしょうか。それも自分が死に直面している一番苦しい時にです。普通私たちは、人生最後の三時間では、もう何もできないと思い込んでしまいますが、このお母さんは、ユーモアによって、子どもと孫たちに生涯忘れられない貴重なプレゼントを遺したのです。結局人間らしく死ぬというのは人間らしく生きることです。(同書、179~181ページ)。


(その2)モーツアルトの父にあてた手紙の一節です。

 「‥‥はっきり言って、死はたしかに人生の最終の目的なので、数年来私は、人間の最良の友である死に親しむことを、自分の務めだと思っています。そのためか、私はこの友(死=滝尾)のことを思い出しても、別にこわくはなく、むしろ大きな慰めとやすらぎを覚えているのです。真の幸福の鍵である死と懇意になる機会を与えられたことに、私は感謝しています。いくら若くても、明日はもう生きていられないかもしれないと思わずに、眠ったことはありませんでした。‥‥」つなみに、前述の手紙には続けてこういっています。

「‥‥私の知り合いで、私のことをむっつりした悲しそうな人間だと言う者はいないでしょう。私は毎日、この生きる喜びを与えられたことを感謝を捧げ、他の人にも同じような喜びが与えられるようにと、心から望んでいます。<1787年4月4日> (同書の196~198ページ)。


 昨日(14日)は、自宅を午後1時20分出て、上小田バス停を1時30分のバスに乗り、文教女子大前に下車して、カラオケ喫茶前の草むらの石(岩か?)に座り、20分ほど柔軟体操と「アエイオウ」の発声練習をして、呼吸を整えて「カラオケ喫茶・城」に入ったのは、午後2時30分でした。3時間30分居て、歌謡曲を10曲、歌いました。その曲目は以下の通りです。

①「七里が浜の哀歌」(叙情歌)2066-38
②「愛の讃歌」(越路吹雪)1669-09
③「襟裳岬」(森進一)5446-05
④「帰らんちゃよか」(島津亜矢)2552-51
⑤「車屋さん」(美空ひばり)2656-01

⑥「山のロザリア」(スリー・グレイセス)6663-01
⑦「およげ!たいやきくん」(子門真人)2018-01
⑧「精霊ながし」(グレープ)1394-02
⑨「吾亦紅(われもこう)」(すぎもとまさと)2239-03
⑩「山谷ブルース」(岡林信康)1692-02

「およげ!たいやきくん」(子門真人)や「車屋さん」(美空ひばり)を実際に唄ってみて思うことは、日本の流行歌、とりわけ「演歌」はマイナー(短調階)の歌謡が多く、メジャー(長音階)のものが少ないことです。今日は坂本九ちゃんの「涙くんさよなら」「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」などのような明るい歌。藤山一郎でいうと「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」「青春日記」のような曲目ではなく、「東京ラプソディ」「青い背広で」「丘を越えて」のような曲目を唄ってみようと思っています。


 「カラオケ喫茶・城」から直接に入院先の広島日赤病院へ、帰ろうと思います。昨夜は9時から6時間、熟睡して、3時に目が覚め、「自己検査用グルコースキットで血糖値を測ったら121mgで正常でした。また、「激痛」も起こらずにすみました。メンタルで「ストレス」的な要素が強いと思います。親しい友人のおっしゃるように「我が家の庭の草花を掌に載せて、痛さは直るよ。人間は宇宙の一つ‥‥」と念じることが、病を治す要素だろうと、思いました。

 

ご報告です。(滝尾英二)                                            

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月14日(土)13時19分16秒
編集済
  ご報告」(滝尾)  投稿者:  滝尾 英二  投稿日:2008年 6月14日(土)13時18分13秒
    滝尾英二です。土曜日朝からと日曜日の夕刻まで、広島赤十字・原爆病院の病室から、自宅へ帰宅させていただき、いま、こうして、メールやいろいろのホームページを、自宅から拝見しています。入院したことで、多々ご迷惑をおけしたり、また、激励のお便りや、投稿をいただき、感謝していましす。

 人間というものは、77年も生き続けると、身体の各所に、がたがくるものです。少し長期の「人間ドック」くらいに、今回の入院を考えています。とりあへず、ご報告します。6月中は、退院は難しいかと思います。よろしくお願いいたします。
 

「NHK慰安婦放送内容の変更 倫理違反」;「自社関与訴訟の報道時 相手方の意見を扱わなければ公正性欠如」(聯合ニュース)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月11日(水)06時16分34秒
 
 福留範昭先生から滝尾宛に「韓国の過去問題に関する記事」(「NHK慰安婦放送内容の変更 倫理違反」)が届けられました。この記事を『滝尾英二的こころ』、及び『滝尾英二的こころPart2』の掲示板へ掲載します。この記事を翻訳しお送りいただいた福留範昭先生に感謝します。

                      ‘08年6月11日(水曜日)06:10

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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 福留です。続いて、韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

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[聯合ニュース  2008-06-10 16:33]
【「NHK慰安婦放送内容の変更 倫理違反」;「自社関与訴訟の報道時 相手方の意見を扱わなければ公正性が欠如」】


(東京=聯合ニュース) チェ・イラク特派員= 日本の公営放送NHKがニュース番組を通して自社がかかわった訴訟の結果を扱って、相手方の見解を取り扱わないのは公平・公正さが欠如しているとし、放送倫理違反という指摘が提起されたと、共同通信など日本のマスコミが10日報道した。

これは、NHKと民営放送が構成する独立機関の「放送と人権などの権利に関する委員会」が、この日、該当報道に対する見解という形式で発表した。

問題の訴訟は、NHKが教育チャンネルを通じて2001年1月に放送した「女性国際戦犯法廷」の番組が当初製作されたものと異なる内容であるとして、「戦争と女性に対する暴力」日本ネットワークという市民団体がNHKと外注の製作会社を相手に損害賠償を請求したものだ。

1審では製作会社に対してだけ100万円の賠償を命令したが、今年1月の2審の東京高等裁判所は、ネットワーク側の期待権を認めて、NHKと製作会社に計200万円の賠償を命令した。

委員会は、2007年1月NHKの「ニュースウォッチ9」が高等裁判所の判決を報道して、「裁判で対立している相手方の意見は全く扱わずに、自身の解釈だけを報道し、また放送内容の変更に関連しているという疑惑のある政治家たちの発言だけを放送した」、「これは公平の原則を定めた放送法などに違反し、当事者に顕著な不利益を与えた」と判断した。

「戦争と女性に対する暴力」本ネットワークは、当時の判決を扱ったNHKのニュースが、「報道機関と訴訟当事者の立場を混同した放送倫理違反」だと主張してきた。

共同通信は、委員会の今回の見解発表が、NHKの該当ニュースだけでなく、裁判報道全般にも少なからぬ影響を与えると見られると展望した。
 

 水俣病センター相思社から「無農薬栽培のお茶の案内」が届きましたので、皆さまにご連絡します。 (滝尾)         

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月10日(火)21時14分26秒
 
 財団法人 水俣病センター相思社(〒867-0034 熊本県水俣市袋34番地)から、滝尾宛に「無農薬栽培のお茶の案内」が届きました。『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。

 水俣の新茶の味をお楽しみください。ご購入のほどよろしくお願いいたします。

      人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二 (‘08年6月10日;21:10)

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 滝尾 英二様

 こんにちは。
 水俣は6月になって雨が続いています。今年から湯の鶴で田んぼづくりの手伝いをしているのですが、5月は全然雨がなく、ようやく先日、田植えをすることができました。

 さて、今日は新茶のご案内をさせていただきます。

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 無農薬栽培のお茶のご案内
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(物販カタログ「のさり」がご入用の方はご連絡ください)

①新茶が届きました!

 相思社で販売している緑茶を栽培するのは、熊本県球磨郡相良村の宮崎さんと、水俣の松本さん。新茶の味をお楽しみください。

 ◆宮崎さんの一番茶
     100g 1,155円
     200g 2,205円

   味にとことんこだわった、甘み、コク、香りの三拍子揃った高級茶。濃厚な香りとふんわり優しい味わいです。


 ◇松本さんの桜野煎茶 100g 1,155円

   旨み、渋みのバランスの良い、香り高くすっきりした味わいのやぶきた茶です。

 ◆松本さんのむかし茶 80g 1,155円

   生命力豊かな実生の在来種を煎茶にしました。
   甘みを抑えて自然の味にこだわった、
   薫り高く、むかし懐かしい味わいです。

②紅茶・ほうじ茶・ティーバッグ入りの紅茶・緑茶もあります
 新しく、ウーロン茶も登場しました!

 ◆天の紅茶  80g 630円 *経費値上がりのため価格変更いたしました。

   緑茶と同じ茶葉を完全発酵させた、口当たりが優しくて、ほのかな香りと甘みのある紅茶です。お砂糖なしでもどうぞ。

 ◇天のほうじ茶 80g 483円 *経費値上がりのため価格変更いたしました。

   番茶を焙じた香ばしいお茶です。ノンカフェインなので、
   お子さまも安心してお飲みいただけます。

 ◆天のウーロン茶 80g 630円  *新登場!!

   茶葉を半発酵させたお茶。さっぱりした飲みやすさです。

 ◇松本さんの緑茶ティーバッグ 50g 577円

   2.5g×20個入り。水出しも簡単に出来ます。
   500mlに一袋が目安です。これからの季節にいかがですか。


 ◆松本さんの紅茶ティーバッグ 50g 577円

 2.5g×20個入り。二番茶を完全発酵させて作りました。しぶみが少なく素朴な甘みと香りです。

◎送料のご案内(ご注文商品の合計重量です)
★一度に1万5千円以上のご注文をいただいた方は
 送料無料となります!

  180g以内  240円
  ~400g   390円
  ~800g   580円
  801g~    700円*
       *北海道、沖縄は1000円

◎ご注文はEメール:info★soshisha.org (★を半角の@に変えてください)
          ホームページ:http://soshisha.org/cgi-bin/form/ocha/ocha_form.html からお願いします。

◎お支払方法:商品に同封の郵便振替用紙にて、お支払い下さい。

(お茶担当:芳田)

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ホームページ更新履歴
                   http://soshisha.org/
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2008/05/18 サイト全体をリニューアル。考証館のページを更新。
2008/06/04 「水俣の約束」中国語版と韓国語版・ドイツ語・フランス語・マレー語版をアップロード
2008/06/10 水俣病認定審査関連統計資料を更新

 ★トップページ「職員のつぶやき」は随時更新です。

 

参議院厚生労働委員会。「ハンセン病基本法」趣旨説明だけで審議無しで採決; 韓国の政局:米国産牛肉の輸入問題で全閣僚が辞意

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月10日(火)14時39分43秒
編集済
 
 <今日のニュースから;ふたつ>

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                       ’08年6月10日(火曜日) 14:30

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(1)『ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS 』 < 投稿者:北風 投稿日:2008年6月10日(Tue) 10:28 >

 参議院厚生労働委員会。
 「ハンセン病基本法」趣旨説明だけで審議無しで採決。(6月10日)

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(2)【韓国全閣僚が辞意 市民ら全国で100万人規模集会予定】 『朝日新聞』の6月10日12時49分のホームページより


 【ソウル=箱田哲也】韓国の韓昇洙(ハン・スン・ス)首相は10日の閣議後、李明博(イ・ミョンバク)大統領と会い、全閣僚の辞意を伝えた。政府当局者が明らかにした。米国産牛肉の輸入問題に対する国民の反発は収まっておらず、6日には大統領府高官らが全員辞意を表明したばかり。李大統領は近く鄭雲天農林水産食品相を含む5人前後の閣僚を交代させるとみられている。

 一方、6月10日は87年に民主化宣言を引き出す契機となった国民集会があった日で、市民団体や労組などはソウルで50万人、全国で100万人規模の最大集会を予定している。ソウル中心部では巨大コンテナを置いて幹線道路をふさいでおり、日中から車通りがないという異様な雰囲気に包まれている。

 大統領府によると、全閣僚の辞意表明を受けた李大統領は「とにかく今夜の集会で負傷者などが出ないよう万全の態勢で臨んでほしい」と述べるにとどまったという。

 李政権では、大統領側近の間でも非難合戦が始まるなど不安定な状態が続いている。

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「6月6日の基本法衆議院可決を<勝利>もしくは<前進>と捉えているようだ」だと、あほらしくしくてもう、ものも云えません!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 9日(月)19時00分52秒
編集済
 

「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案」(「ハンセン病問題基本法」)は、誰のために、何のためにつくられた法案か、また、「ハンセン病問題」を解決する途となるのだろうかを考えてみました。


 これを韓国の小鹿島の場合について、まず考えてみました。

 私が始めて小鹿島を訪問した1995年3月(現在は2008年6月ですから13年余ですが‥‥)、その当時は日帝期に建てられた赤煉瓦つくりや木造の建物が数多く残り、島への架橋もなく、小鹿島へ渡るためのフェリーも回数も少なく、小型のフェリーでした。

 職員地域に海岸は、夏期には静かな海水浴場がありましたが、小さい売店は夏期には海岸に一軒ありましたが、日頃は閉まっておりました。

 ところが、一昨々年の2005年に小鹿島を訪問した時は、海水浴場には瀟洒で大きなレストランが建てられ、中央公園の入り口には、小鹿島を訪問した人たちのためにみやげ物店の建物が建っており、けっこうにぎわっていました。島にある波止場を入ると小鹿島を訪問するために守衛が厳しくテェックし、すぐ側には警察の駐在所がありました。

 代って、戦前の日帝期に建てられた建物は、つぎつぎと倒されてなくなっていきました。北生里にあった「火葬場」も、中央公園の高台に建てられていた「未感児童」の校舎の一棟も、さらに、職員地域にあった諸種の建造物も=1938年8月15日に朝鮮総督・南次郎が宿泊した日本式庭園のある和室のある「倶楽部」の建物も、車庫も、弓場などの遊戯施設も、始めて私が小鹿島を訪問した時にはあった建物は、跡形もなく倒されていました。

 小鹿島の入所者の人数も激減しています。戦後の一番多かった時の入所者数は6000人余でした。それが現在は600人です。1995年3月に私が小鹿島を訪問した時の入所者数は1460人でした。現在は6割減です。大部分の方はここで死去されたのです。比較的お若い方がたは、小鹿島そ退所されて、全国各地にある「定着村」に居住されています。登録者数だけでも、約1万5千人dそうです。


 一時、他地域の「障害者・高齢者施設」を小鹿島につくろうという話しもあったようですが、この計画はたち切れになりました。6月20日(金曜日)に衆議院本会議で可決されました『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案』が、参議院本会議で可決し、成立したら、13の国立ハンセン病療養所は、いったいどうなるのでしょうか。


 国立ハンセン病療養所の広大なその国有地をめぐり、民間企業や市町村など地方公共団体とうが、競ってこの「国有地」に対して、『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案』の「第十二条 国は、入所者の生活環境が地域社会から孤立することのないようにする等入所者の良好な生活環境の確保を図るため、国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供する等必要な措置を講ずることができる。 2 国は、前項の措置を講ずるに当たっては、入所者の意見を尊重しなければならない。」に基づき、国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等が各種の利用施設が設立されるでしょう。

 この場合、「第六条 国は、ハンセン病問題に関する施策の策定及び実施に当たっては、ハンセン病の患者であった者等その他の関係者との協議の場を設ける等これらの者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。」とあるます。これは「エミ」さんも、ご指摘のように、

 [◆:すすめる会最終案の「(当事者の意思の尊重)」にはなかった、「その他の関係者の意見の反映」を挿入。「その他の関係者」とは、どういうものをいうのかは規定されていません。この文言が挿入されたことにより、厚生労働省「関係者」(弁護団「関係者」=滝尾の追加)の意見を反映させることができる!]、ということになります。業者と「関係者」との構造的癒着さへ、想像できます。「あな、恐ろしいかな!」。


 知人からの連絡によると「‥‥6月7日に、市民学会東京集会準備委員会の解散式&反省会が全生園で行われました。全療協の神氏や、会に参加した弁護士さんなどは、6日の基本法衆議院可決を<勝利>もしくは<前進>と捉えているようだ、とのことでした。」とありました。「6日の基本法衆議院可決を<勝利>もしくは<前進>と捉えているようだ」だと、「あほらしくしくてもう、ものも云えません!」。第六条の「関係者」になれるからだろうかしら、と勘ぐりたくなります。


 広島の自宅へ帰ったら、寝台での「寝返り」も「起き上がり」も「立ち上がり」も下半身に激痛がはしり、妻の「介護」で、腰掛なければ、正常な生活が出来なくなりました。カラオケ喫茶へも行けなくなりました。パソコンの前の椅子に座っていると、どうにか生活が可能です。食欲がさっぱりありません。流動食を飲み込んでいます。そんな状態です。

                         ‘08年6月9日(月曜日) 19:00

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
 

 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案」に反対する意志表明を参議院議員にあらゆる手段を使って行なってください!  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 8日(日)16時55分46秒
 
 私の知人である「エミ」さんから6月20日(金曜日)に衆議院本会議で可決されました『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案(2008年6月4日)』が、<ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS>に本日(6月8日)日曜日の11:26に掲載されました。


 私は、この法律案の全文を始めて読んだわけです。「エミ」さん、及び<ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS>のスタッフの方に感謝いたします。


 この『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案』を読む限り、本年(‘08年)1月25日に、『ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会』(以下、すすめる会と略)の『最終案』よりも、さらに改悪されたものになっています。詳しくは、『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案(2008年6月4日)』と、すすめる会の『最終案』とを比較された「エミ」さんの、下記の条文にそった説明文をご覧いただくと、そのことがはっきりします。

 「すすめる会」は、このような『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律』を衆議院厚生労働委員会でわずか数分で可決し、本会議でも審議することなく可決した事実をどのように署名した80万人とか、100万人の協力者たちにどのように、説明するのでしょうか。「すすめる会」には責任はないとでも、云いはるのでしょうか。


 以前、高校時代に、ゲオルギュー著『25時』という小説を読んだことがあります。24時を過ぎての「絶望」という意味が「25時」という書名になっています。まだ、明日以降の参議院での審議は残されています。参議院議員(とりわけ、厚生労働委員)に対して、あらゆる手段を通して、この法案の疑問点の審議することを要請しましょう。私は、最近はまったく歩行困難となり、明日、東京の永田町にある「参議院議員会館」で、関係する参議院議員にお会いできません。

 2001年6月の「衆議院本会議」では、無所属の川田悦子議員が「ハンセン病補償法」に反対票を投じられ、また、社民党の北川れん子議員は、反対の意志表示から本会議を欠席されたと聞いています。この「ハンセン病補償法」には、日本の植民地支配下のハンセン病政策に関する記述がない、ということがその理由でした。これは‘03年8月以降、小鹿島更生園・台湾楽生院訴訟を経て、国会での’05年2月3日の「改正ハンセン病補償法」の衆参両議会での成立となっていきました。

 私たちは、2001年6月の「ハンセン病補償法」の徹を踏むことのないよう最後まで、『ハンセン病問題の解決の促進に関する法律』反対の闘いを展開することが大切だと思います。こころある全国の皆さまに訴えます。未だ『25時』になっておりません。最後の努力を「腕」組み合って、していこうでは、ありませんか。

                              2008年6月8日(日曜日)

                        人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案(2008年6月4日)

 目次

前文
第一章 総則(第一条―第六条)
第二章 国立ハンセン病療養所等における療養及び生活の保障(第七条―第十三条)
第三章 社会復帰の支援並びに日常生活及び社会生活の援助(第十四粂―第十七条)
第四章 名誉の回復及び死没者の追悼(第十八条)
第五章.親族に対する援護(第十九条―第二十四条)
附則
   ________________________________________

 らい予防法」を中心とする国の隔離政策により、ハンセン病の患者であった者等が地域社会において平穏に生活することを妨げられ、身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる人権上の制限、差別等を受けたことについて、平成十三年六月、我々は悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くお詫びするとともに、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」を制定し、その精神的苦痛の慰謝並びに名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死役者に対する追悼の意を表することとした。この法律に基づき、ハンセン病の患者であった者等の精神的苦痛に対する慰謝と補償の問題は解決しつつあり、名誉の回復及び福祉の増進等に関しても一定の施策が講ぜられているところである。

 しかしながら、国の隔離政策に起因してハンセン病の患者であった者等が受けた身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる被害の回復には、未解決の問題が多く残されている。とりわけ、ハンセン病の患者であった者等が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むことができるようにするための基盤整備は喫緊の課題であり、適切な対策を講ずることが急がれており、また、ハンセン病の患者であった者等に対する偏見と差別のない社会の実現に向けて、真摯に取り組んでいかなければならない。

 ここに、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、この法律を制定する。

 [◆:「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会」(以下、すすめる会と略)最終案にはこの前文は、もちろんありません。この前文中の「我々」とは誰でしょう? 「主語がない!」と言われないように入れたものでしょうか? 極私的な指摘ではありますが、以下の条文案で、すすめる会最終案と大きく変わった箇所に◆を付してみます。]

第一章 総則

  (趣旨) [◆:すすめる会最終案では、(趣旨・目的)。「・目的」が削除されています。]

第一条 この法律は、国によるハンセン病の患者に対する隔離政策に起因して生じた問題であって、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在するもの(以下「ハンセン病間題」という。)の解決の促進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、ハンセン病問題の解決の促進に関し必要な事項を定めるものとする。

  (定義) [◆:「ハンセン病患者であった者」の定義が全文削除され、2の「国立ハンセン病療養所」(旧らい予防法十一条の規定により設置された一三療養所)の記載が削除されています。]

第二条 この法律において「国立ハンセン病療養所」とは、厚生労働省設置法(平成十一年法律第九十七号)第十六条第一項に規定する国立ハンセン病療養所をいう。

 [◆:「ハンセン病患者であった者」の定義が全文削除され、2の「国立ハンセン病療養所」(旧らい予防法十一条の規定により設置された一三療養所)の記載が削除されています。]

 2 この法律において「国立ハンセン病療養所等」とは、国立ハンセン病療養所及び本邦に設置された厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所をいう。

 3 この法律において「入所者」とは、らい予防法の廃止に関する法律(平成八年法律第二十八号。以下本則において「廃止法」という。)によりらい予防法(昭和ニ十八年法律第二百十四号。以下「予防法」という。)が廃止されるまでの間に、ハンセン病を発病した後も相当期間日本国内に住所を有していた者であって、現に国立ハンセン病療養所等に入所しているものをいう。

 [◆:すすめる会最終案の4の「入所者」の定義のみがイキ、5の「退所者」の定義、6の「入所者等」の定義、7の「非入所者」の定義が全面的に削除されています。]

  (基本理念)
第三条 ハンセン病問題に関する施策は、国によるハンセン病の患者に対する隔離政策によりハンセン病の患者であった者等が受けた身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる被害に照らし、その被害を可能な限り回復することを旨として行われなければならない。

 [◆:すすめる会最終案にあった「我が国における誤ったハンセン病対策」という文言が削除され、
「2 国は、我が国における誤ったハンセン病対策が、ハンセン病患者に対する差別、偏見を作出、助長してきた歴史に鑑み、その差別・偏見を除去するため、ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及・啓発に努めるとともに、ハンセン病患者であった者及びその家族の名誉の回復に努めなければならない。」を削除。
「3 国は、国立ハンセン病療養所等の入所者が、安心して現在居住する国立ハンセン病療養所等で暮らせるよう、社会の中で生活するのと遜色のない生活及び医療の水準を確保するとともに、国立ハンセン病療養所等における生活環境が、地域社会から孤立しないように配慮しなければならない。」を削除。
「4 国は、入所者の社会復帰を支援し、かつ退所者及び非入所者が、終生にわたって社会内で安心して生活できるための施策を講じなければならない。」を削除。
「5 地方公共団体は、前4項の基本理念に従って、ハンセン病問題に関する施策を行わなければならない。」を、「(国および地方公共団体の責務)」として、第四条、第五条に改めています。]

 2 ハンセン病問題に関する施策を講ずるに当たっては、入所者が、現に居住する国立ハンセン病療養所において、その生活環境が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるように配慮されなければならない。

 [◆:進める会最終案の3にあった「医療の水準を確保」の文言が削除されています。]

 3 何人も、ハンセン病の患者であった者等に対して、ハンセン病の患者であったこと又はハンセン病に罹患者していることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。

  (国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、前条に定める基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進等を図るための施策を策定し、及び実施する責務を有する。

第五条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、国と協力しつつ、その地域の実情を踏まえ、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進等を図るための施策を策定し、及び実施する責務を有する。

  (ハンセン病の患者であった者等その他の関係者の意見の反映のための措置)
第六条 国は、ハンセン病問題に関する施策の策定及び実施に当たっては、ハンセン病の患者であった者等その他の関係者との協議の場を設ける等これらの者の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。

 [◆:すすめる会最終案の「(当事者の意思の尊重)」にはなかった、「その他の関係者の意見の反映」を挿入。「その他の関係者」とは、どういうものをいうのかは規定されていません。この文言が挿入されたことにより、厚生労働省「関係者」の意見を反映させることができる!]

  第二章 国立ハンセン病療養所等における療養及び生活の保障

  (国立ハンセン病療養所における療養)
第七条 国は、国立ハンセン病療養所において、入所者(国立ハンセン病療養所に入所している者に限る。第九条及び第十四条を除き、以下同じ。)に対して、必要な療養を行うものとする。

  (国立ハンセン病療善所への再入所及び新規入所)
第八条 国立ハンセン病療養所の長は、廃止法により予防法が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所等に入所していた者であって、現に国立ハンセン病療養所等を退所しており、かつ、日本国内に住所を有するもの(以下「退所者」という。)又は廃止法により予防法が廃止されるまでの間に、ハンセン病を罹病した後も相当期間日本国内に住所を有したことがあり、かつ、国立ハンセン病療養所等に入所したことがない者であって、現に国立ハンセン病療養所等に入所しておらず、かつ、日本国内に住所を有するもののうち、厚生労働大臣が定める者(以下「非入所者」という。)が、必要な療養を受けるために国立ハンセン病療養所への入所を希望したときは、入所させないことについて正当な理由がある場合を除き、国立ハンセン病療養所に入所させるものとする。

 2 国は前項の規定により国立ハンセン病療養所に入所した者に対して、必要な療養を行うものとする。

  (国立ハンセン病療養所以外のハンセン病療養所における療養に係る措置)
第九条 国は、入所者(第二条第二項の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所に入所している者に限る。)に対する必要な療養が確保されるよう、必要な措置を講ずるものとする。

 [◆:第七条~第九条で明らかなように、入所者には「必要な療養」が確保されるよう明文化されていますが、対象を(再入所者・新規入所者を含む)「入所者」に限定。
退所者・非入所者の医療及び療養に関しては、「(ハンセン病に対する医療体制の整備)」第十六条で、「整備に努めるものとする」と、“努力”目標として掲げ、“必要な医療・療養が確保されるよう、必要な措置を講ずるもの”とはしていません。]
[――ここで、極私的感想を言わせていただきますと――これは、「ハンセン病問題の解決の促進」に向けて、というよりむしろ、旧らい予防法の隔離主義=光田イズムを継続貫徹し問題の諸相の「最終的解決」を「ハンセン病療養所」内に集約し終結させようという施策にほかならないのではないでしょうか?]

  (入所者の意思に反する退所及び転所の禁止)
第十条 国は、入所者の意思に反して、現に入所している国立ハンセン病療養所から当該入所者を退所させ、又は転所させてはならない。

  (国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備)
第十一条 国は、医師、看護師及び介護員の確保等国立ハンセン病療養所における医療及び介護に関する体制の整備のため必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

 2 地方公共団体は、前項の国の施策に協力するよう努めるものとする。

  (入所者の良好な生活環境の確保)
第十二条 国は、入所者の生活環境が地域社会から孤立することのないようにする等入所者の良好な生活環境の確保を図るため、国立ハンセン病療養所の土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供する等必要な措置を講ずることができる。

 2 国は、前項の措置を講ずるに当たっては、入所者の意見を尊重しなければならない。

 [◆:ここに「(入所者の良好な生活環境の確保)」が出てきましたが、2で「入所者の意見を尊重しなければならない」としています。ここでも「退所者」「非入所者」は対象外であるもののようです。そして、ここで注意すべきなのは、もし尊重されるべき「入所者の意見」が提出されないなら、それはもちろん尊重もされないだろうということでしょう。ここからが厚生労働省との闘いとなるのか?]
[*中途半端ですみません! 今、時間のゆとりがなくて、読み比べてはみたものの、最後まで行き着いていません。すすめる会の基本法最終案との比較を、どうぞなさってみてくださいませ~。]

  (入所者に対する福利の増進)
第十三条 国は、入所者の教養を高め、その福利を増進するよう努めるものとする。


  第三章 社会復帰の支援並びに日常生活及び社会生活の援助

  (社会復帰の支援のための措置)
第十四条 国は、国立ハンセン病療養所等からの退所を希望する入所者(予防法が廃止されるまでの間に、国立ハンセン病療養所等に入所していた者に限る。)の円滑な社会復帰に資するため、退所の準備に必要な資金の支給等必要な措置を講ずるものとする。

  (ハンセン病療養所退所者給与金及びハンセン病療養所非入所者給与金の支給)
第十五条 国は、退所者に対し、その者の生活の安定等を図るため、ハンセン病療養所退所者給与金を支給するものとする。

 2 国は、非入所者に対し、その者の生活の安定等を図るため、ハンセン病療養所非入所者給与金を支給するものとする。

 3 前二項に定めるもののほか、第一項のハンセン病療養所退所者給与金及び前項のハンセン病療養所非入所者給与金(以下「給与金」という。)の支給に関し必要な事項は、厚生労働省令で定める。

 4 租税その他の公課は、給与金を標準として、課することができない。

  (ハンセン病等に対する医療体制の整備)
第十六条 国及び地方公共団体は、退所者及び非入所者が、国立ハンセン病療養所等及びそれ以外の医僚機関において、安心してハンセン病及びその後遺症その他の関連疾患の治療を受けることができるよう、医療体制の整備に努めるものとする。

  (相談及び情報の提供等)
第十七条 国及び地方公共団体は、退所者及び非入所者が日常生活又は社会生活を円滑に営むことができるようにするため、これらの者からの相談に応じ、必要な情報の提供及び助言を行う等必要な措置を講ずるものとする。

  第四章 名誉の回復及び死没者の追悼

第十八条 国は、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復を図るため、国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずるとともに、死没者に対する追悼の意を表するため、国立ハンセン病療養所等において収蔵している死没者の焼骨に係る改葬費の遺族への支給その他必要な措置を講ずるものとする。

  第五章 親族に対する援護

  (親族に対する援護の実施)
第十九条 都道府県知事は、入所者の親族(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)のうち、当該入所者が入所しなかったならば、主としてその者の収入によって生計を維持し、又はその者と生計を共にしていると認められる者で、当該都道府県の区域内に居住地(居住地がないか、又は明らかでないときは、現在地)を有するものが、生計困難のため、援護を要する状態にあると認めるときは、これらの者に対し、この法律の定めるところにより、援護を行うことができる。ただし、これらの者が他の法律(生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)を除く。)に定める扶助を受けることができる場合においては、その受けることができる扶助の限度においては、その法律の定めるところによる。

 2 前項の規定による援護(以下「援護」という。)は、金銭を支給することによって行うものとする。ただし、これによることができないとき、これによることが適当でないとき、その他援護の目的を達するために必要があるときは、現物を支給することによって行うことができる。

 3 援護のための金品は、援護を受ける者又はその者が属する世帯の世帯主若しくはこれに準ずる者に交付するものとする。

 4 援護の種類、範囲、程度その他援護に関し必要な事項は、政令で定める。

  (都道府県の支弁)
第二十条 都道府県は、援護に要する費用を支弁しなければならない。

  (費用の徴収)
第二十一条 都道府県知事は、援護を行った場合において、その援護を受けた者に対して、民法(明治二十九年法律第八十九号)の規定により扶養の義務を履行しなければならない考(入所者を除く。)があるときは、その義務の範囲内において、その者からその援護の実施に要した費用の全部又は一部を徴収することができる。

 2 生活保護法第七十七条第二項及び第三項の規定は、前項の場合に準用する。

  (国庫の負担)
第二十二条 国庫は、政令で定めるところにより、第二十条の規定により都道府県が支弁する費用の全部を負担する。

  (公課及び差押えの禁止)
第二十三条 租税その他の公課は、援護として支給される金品を標準として、課することができない。

 2 援護として支給される金品は、既に支給を受けたものであるとないとにかかわらず、差し押さえることができない。

  (事務の区分)
第二十四条 第十九条第一項及び第二十一条第一項の規定により都道府県が処理することとされている事務は、地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二条第九項第一号に規定する第一号法定受託事務とする。

  附 則

  (施行期日)
第一条 この法律は、平成二十一年四月一日から施行する。

  (らい予防法の廃止に関する法律の廃止)
第二条 らい予防法の廃止に関する法律は、廃止する。

  (らい予防法の廃止に関する法律の廃止に伴う経過措置)
第三条 この法律必施行の日前に行われ、又は行われるべきであった前条の規定による廃止前のらい予防法の廃止に関する法律(以下「旧廃止法」という。)第六条の規定による援護については、なお従前の例による。

第四条 この法律の施行の日前に行われ、又は行われるべきであった旧廃止法第七条に規定する費用についての都道府県の支弁及び国庫の負担については、なお従前の例による。

第五条 旧廃止法の施行前にした行為に対する罰則の適用については、旧廃止法附則第四条の規定によりなお効力を有することとされる予防法第二十六条の規定は、なおその効力を有する。

  (地方自治法の一部改正)
第六条 地方自治法の一部を次のように改正する。
 別表第一らい予防法の廃止に関する法律(平成八年法律第二十八号)の項を削る。
 別表第一に次のように加える。
ハンセン病問題の解決の
促進に関する法律(平成
二十年法律第   号) 第十九条第一項及び第二十一条第一項の規定により都道府県が処理する
こととされている事務
  (租税特別措置法の一部改正)
第七条 租税特別措置法(昭和三十二年法律策二十六号)の一部を次のように改正する。
 第四十一条の八の見出し中「等」を削り、同条第二項を削る。

  (厚生労働省設置法の一部改正)
第八条 厚生労働省設置法の一部を次のように改正する。
 第十六条第一項の表国立ハンセン病療養所の項中「らい予防法の廃止に関する法律(平成八年法律第二十八号)第四条」を「ハンセン病問題の解決の促進に開する法律(平成二十年法律第   号)第二条第三項」に、「入所者等」を「入所者(国立ハンセン病療養所に入所している者に限る。以下この条において同じ。)」に改め、同条第七項を同条第八項とし、同条第六項を同条第七項とし、同条第五項の次に次の一項を加える。

 6 厚生労働大臣は、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律第十二条第一項の措置として、第一項に定める所掌事務のほか、国立ハンセン病療養所に、入所者に対する医療の提供に支障がない限り、入所者以外の者に対する医療を行わせることができる。
 第十六条に次の一項を加える。

 9 国立ハンセン病療養所は、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律第十二条第一項の措置として、厚生労働省令で定めるところにより、入所者に対する医療の提供に支障がない限り、その土地、建物、設備等を地方公共団体又は地域住民等の利用に供することができる。

 (厚生労働省令への委任)
第九条 この附則に定めるもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、厚生労働省令で定める。

  理 由(この法律案を提出する理由―編者[リベルさん]注)

 国によるハンセン病の患者に対する隔離政策に起因するハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等に関し現在もなお存在する問題の解決の促進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、ハンセン病問題の解決の促進に関し必要な事項を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

 

ハンセン病:施設の開放促進法案は、「‥‥厚労省が療養所の土地の「再開発」に道を開いたことだ」という意見に同感いたします!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 8日(日)02時19分58秒
編集済
 
 福留範昭先生から滝尾宛に「韓国の過去問題に関する5記事」が届けられました。この記事を『滝尾英二的こころPart2』の掲示板へ掲載します。この記事を翻訳しお送りいただいた福留範昭先生、及び「聨合ニュース」を翻訳していただいた森山静子先生に感謝します。なお、前文もには『滝尾英二的こころ』の掲示板にも掲載します。


「牛肉の波動」=「BSEに反対するデモ」などの市民運動に関連し、責任を痛感して柳佑益(リュ・ウイク)大統領室長に一括辞意を表明したと言います。韓国の市民運動が、政府をここまで追い込んでいます。

「ハンセン病:施設の開放促進法案は、北風さんが6月7日(土)23時02分に投稿されておられるように、「‥‥厚労省が療養所の土地の「再開発」に道を開いたことだと思います‥‥」というご指摘は、私も同感です。

 もう10年も前から、長島の対岸にある町(現在の瀬戸内市)は、この広大な長島の国有地を、町当局が福祉施設建設のために利用したいと狙っているという噂が、当時の療養所ありました。また、星塚でもここの療養所の敷地に民間の特別老人ホームを建てるという計画がある、という話をお聞きしたことがあります。「‥‥私たち入所者は反対です」と、その当時、その入所者の方は言っておられたのですが‥‥。

  だから、「ハンセン病問題基本法」が運動としてあがった当初は、こうした路線の延長ではないかと、私は考えておりました。それが「ハンセン病:施設の開放促進法案」=「ハンセン病問題基本法」の成立で本格化してきたわけでしょう。その「基本法」の成立が療養所に入所されている方がたにとっても果たして「良いこと」であるかどうかは、今後入所者の間でも論議されることでしょう。注目したいと思います。

                       ‘08年6月9日(日曜日)02:11

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二
-
 

 韓国での「BSEに反対するデモ」市民運動の壮絶な様子が、たくさん視聴できて、うれしくなりました。ぜひ、ご覧ください! 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 7日(土)19時43分46秒
 

 朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチさんから届いたメールのうち、「BSE反対デモ」の写真と「動画」を『滝尾英二的こころ』、及び『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。韓国での「BSEに反対するデモ」市民運動の壮絶な様子が、たくさん視聴できて参考になります。日本でも、このような運動がかつては行なわれていたのですが‥‥。「昔の光、いま何処!」の感を深くしている一老人である私の思いです。

 この「写真」と「動画」を届けていただいたパク・ヨンチさんに感謝します。

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                         ‘08年6月7日(土曜日) 19:38

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

  ※写真でみる「BSE反対デモ」・・・壮絶です!
    http://www.ohmynews.com/NWS_Web/OhmyPhoto/index.aspx

  ※動画で見る「BSE反対デモ」・・・こちらも壮絶です!
  http://flvs.daum.net/flvPlayerIn.swf?vid=-TP2bbHcRrg$&ref=bbs1.agora.media.daum.net

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 

 『ハンセン病問題基本法』と、国立ハンセン病療養所の『将来構想』について考える! (滝尾英二)             

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 7日(土)10時33分46秒
 
 人権図書館・広島青丘文庫を主宰している滝尾英二です。

 今朝、親しくしている友人から、下記のようなメールが届きました。このメールの記述にまったく同感します。また、畏友の田中等さんからは『リプレーザ(Ripresa)』第06号が送られてきました。

 その編集後記で田中等さんは、「‥‥『ハンセン病問題基本法』と、国立ハンセン病療養所の『将来構想』についての論考をしたためてみた。でもワシ(ら)がなにを書こうが喚こうが、『そんなのカンケーねえ!』っとばかりに百万人署名の『国民運動』は驀進中!‥‥なんで、まともにハンセン病者を隔離施設の<くびき>から解放するとゆー論議(と運動)ができないのだろうか? いま、日本の『近代』が生んだ差別・排外主義を総決算せよ! インチキ国家=社会をダンコ解体せよ! いまこそ、『国民』一人ひとりの思想が問われているのだ」と書いておられた。まさに同感した。

『リプレーザ(Ripresa)』第06号は‘08年5月26日にリプレーザ(Ripresa)社発行で、電話&FAXは050-1008-1753; 発売元は社会評論社=電話は03-3814-3861、FAXは03-3818-2808です。多くの方がたのご購読をお願いします。定価は1333円+税です。

 さて、前述しました親しくしている友人から届いたメールの内容です。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

6日の衆議院可決の模様は、インターネット中継で見ました。
――ご異議なしと認めます。よって本案は可決されました。――
呆れるほど、素早かったですね!

 今年の2月2日だったか、社専協主催の集会の後で、社専協の磐井氏が、基本法は、通るでしょう。――内容の如何にかかわらず――
「通るものは通ることになっているのよね」、と仰っていました。

 法制局でどのような変化を蒙ったのか、それも私たち一般国民には明確にされないまま、あれよあれよ、という間の“通過儀礼的”可決。
 署名協力者も、療養所近隣の地域住民も、うかうかと、自分たちが協力した(or のせられた)ものの内容なり実体なりを、後になってから知ることになる――
 これが“国民国家”というのでしょうか。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 私は本年度も「要支援1」だという広島市からの通知がきました。少し、「介護」の勉強をしようと、岡山市内の書店で結城康博著『介護~現場からの検証』(岩波新書、‘08年5月20日発行)を読んでいます。―「長生きはするな」ということなのか。「介護崩壊」はここまで進んでいる!―と本の「腰巻」には書かれていました。「‥‥いわゆる団塊の世代には、親の介護に直面しながら還暦を迎え、数年後に迫り来る自らの老後にも不安を抱いている人が少なくない。」云々と書かれていたました。


 私は現在、77歳です。今年の4月には、「後期高齢者医療被保険証」が送られてきました。「長生きはするな」といわれる年齢になったわけです。右下脚は血流シンチグラフィ検査をすると「動脈硬化症」が起きていて、さらに詳しく調べるために、来週の火曜日=6月10には、下脚のMRIの検査を受けます。そのためか、続けて百メートルも歩行できなくなりました。早晩「車椅子生活」となりそうです。でも、可能な限り「自立」していこうとがんばっています。「甘ったれた生活」をしては、ならないと、自分自身に云いきかせています。

 

 後期高齢者医療制度の高齢者などの怒りと、「ハンセン病問題基本法」国会での成立以後の闘いと,地域の市民との「共生」について! 

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 7日(土)04時06分4秒
編集済
 

 「後期高齢者医療制度」に関するふたつの記事を『滝尾英二的こころ』、及び『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。この記事は『読売新聞』の6月7日のホームページと、『毎日新聞』6月6日の「社説」から掲載しました。両社の関係者に感謝します。


 広島の自宅へ「ハンセン病問題基本法」の衆議院可決される意向だという知らせで、急遽帰宅しました。実際にそうなったのですが、「ハンセン病問題基本法」の署名が100万筆集まったという割には、世論は(マスコミを含めて)盛り上がらないのは何故なんでしょうかね。過去の新聞情報を「検索」してみても、情報・記事が殆んどありません。衆議院厚生労働委員会の趣旨説明、審議も「あっ」というほどの短い時間だと云います。


 ご存知のように、私は長島愛生園、邑久光明園に近い岡山市内の一日の料金は朝食&夕食込みで、3,374円(税サ込3,898円)の安ホテルに5月22日~6月6日までいました。

 そこで岡山市内の地域住民の方がたと「ハンセン病問題基本法」を話してみました。しかし市民=地域住民のこの問題に関する関心はきわめて薄く、また地方紙や中央紙の地方版にも目をとうしたのですが、「後期高齢者医療制度」に関する記事や投稿は多くありましたが「ハンセン病問題基本法」に関するものは皆無に等しい状況でした。


 その要因をも明らかにして“「基本法」が全療協の最後の闘いだ”なんて「闘いの終結宣言」なんか全療協幹部は云わないで、これが出発だという気魄を持ってもらいたいと思います。

 最近、「ハンセン病問題」の課題が数多く露呈されています。また、「基本法」の制定を契機に、新たな問題が「ハンセン病問題」をめぐって起きてきます。これらを地域住民とともに取り組んでいくことが必要です。ところが、肝心のところは「闇のまた闇」で、ハンセン病問題は本質的な点は隠されたままに推移しています。遺憾なことです。これでは、国民から運動が、完全に遊離していきます。そのことを案じながらこの記事を両ホームページの掲示板へ掲載いたします。

                    ‘08年6月7日(土曜日)午前4時05分

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


(1)<後期高齢者医療制度、実は低所得者で負担増‥‥厚労省想定ミス>
 後期高齢者医療制度(長寿医療制度)は、現役世代の負担を緩和するため、高齢者にも応分の負担を求めるのが狙いだ。

 政府はこれまで、国民健康保険(国保)から移行する高齢者について、「一般的に低所得者で負担が減り、高所得者は負担が増える」と説明してきた。ところが、負担増となる世帯の割合は、低所得であるほど高いことがわかり、野党が攻勢を強める格好の材料となっている。

 厚生労働省の全国調査によると、負担増となる割合は、低所得世帯(年金収入177万円未満)で39%で、高所得世帯(同292万円以上)の22%を上回った。特に大都市部では、低所得世帯の78%で負担が増えており、高所得世帯との逆転現象が激しかった。

 負担の増減は、市町村単位で決まる国保保険料額と、都道府県で一本化される新制度の保険料額で決まる。国保の保険料には三つの算定方式があるが、厚労省は、資産を考慮する「資産割」を採用する市町村が約1500と最も多いことから、「新制度では資産割分がなく、低所得者ほど負担が減る」としてきた。だが、都市部の多くで、もともと資産割のない方式を採用しており、負担減どころか負担増となる低所得世帯の割合が増えた。

 さらに、東京都などは、75歳以上分だけで約280億円の公費を投入し、低中所得者の保険料を抑えてきた。新制度では公費の投入が半分以下になり、その分、保険料が上がった。

 地域差も目立った。負担減となる世帯割合は、栃木県などが最も高く87%。一方、36%で最低の沖縄県は国保の県平均保険料が全国最低で、新制度の平均保険料より低いのが影響した。

                        (2008年6月7日00時09分  読売新聞)

       ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

(2)<社説:高齢者医療 迷走する新制度 一体、どうなっているのか> 『毎日新聞』6月6日の「社説」から:

 一体、どうなっているのか。4月から始まった後期高齢者医療制度をめぐる迷走が続いている。厚生労働省が4日発表した同制度の保険料推計調査で、低所得世帯ほど負担増となった割合が高いことが明らかになった。国会では新制度を維持したい与党が保険料負担の軽減策を矢継ぎ早に打ち出した。

 一方、野党は参院に廃止法案を提出、わずかな審議を行っただけで5日、厚生労働委員会で与党欠席のまま可決した。こういう光景を連日、見せられる国民はたまったものではない。政府も議員も、国会日程や選挙ばかりに気を取られて浮足立っており、肝心の高齢者医療制度の是非をめぐる本質の議論は棚上げにされたままだ。

 厚労省の保険料推計調査で「低所得者ほど負担減となり高所得者ほど重くなる」との説明が事実と違うことが分かった。これは新制度の根幹を揺るがすものであり、「仕組みそのものが間違っていたのではないか」という声が高まることは間違いない。新制度の法案成立から制度発足までに2年あったのに、保険料の調査を行っていなかったのは怠慢であり、そのうえ事実と異なる説明をしてきた責任は重い。今回のモデル世帯による推計調査については「これで実態がつかめるのか」との指摘もある。事実が不明確なままでは制度の是非を論じることはできない。自治体からデータを集めできる限り詳細な実態調査をすべきだ。

 与党からさまざまな負担軽減策が示されているが、負担を減らせば高齢者の怒りが収まると考えているとすれば、本質が見えていない。高齢者はどんな気持ちでそれをみているのか、考えたことがあるのだろうか。「制度設計がおかしいから、与党は慌てて手直しをしている」としか映らない。低所得者への負担軽減策は当然のことだが、同時に75歳で線引きをしたことに問題はなかったのかという原点に戻っての議論こそ最優先にすべきだ。小手先の改善策で高齢者を納得させるのは無理がある。

 一方、民主党など野党にも注文がある。国会日程を考えてのことだろうが、廃止法案の審議が十分だったとはいえない。なぜ「低所得者に負担増、高所得者は負担減」ということになったのかについて政府の従来の説明をただし、制度の問題点についてもっと突っ込んだ議論をすべきだった。その点こそ、高齢者が一番聞きたいことだからだ。週明けに予定されている福田康夫首相に対する問責決議案の参院提出をにらんだ戦略だとすれば、それは高齢者の気持ちとは違う。

 新制度が迷走する今やるべきことは問題点を洗い出し、その上で75歳で線引きする仕組みの是非を徹底的に議論することだ。

                            (毎日新聞 2008年6月6日 東京朝刊)

 

 『ハンセン病:施設の開放促進法案、午後衆院で可決へハンセン病:施設の開放促進法案、午後の衆院で可決へ』(6日毎日夕刊)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 6日(金)20時34分8秒
編集済
   『参考資料』

 【ハンセン病:施設の開放促進法案、午後の衆院で可決へ】(6月6日の『毎日新聞・夕刊~東京版)より

 全国13の国立ハンセン病療養所を地域に開放し、福祉施設などの併設も可能にする議員立法が6日午前の衆院厚生労働委員会で全会一致で可決された。同日午後の衆院本会議でも可決され、参院に送られる。

 可決されるのは「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律案」(通称・ハンセン病問題基本法案)。(1)入所者に利用が限定されている療養所の土地や設備を地域住民や地方自治体にも開放する(2)療養所の医療や福祉の水準を維持するため、国や地方自治体は医師や看護師の確保に努める--などが柱だ。【江刺正嘉】

 (毎日新聞 2008年6月6日 東京夕刊)
 

橋下大阪府知事が発表した財政再建案。その名も「大阪維新プログラム案」; 核問題での進展で北朝鮮制裁解除も官房長官が認識を

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 6日(金)20時06分39秒
編集済
 

 朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチさんから滝尾宛にも下記のようなメールが来ました。「朝鮮および総聯関連情報」です。その中から3記事を『滝尾英二的こころ』と『滝尾英二的こころPart2』の各掲示板に掲載します。

 『日本のハンセン病問題:Wikipediaで分離  投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 6月 6日(金)05時34分53秒 』の一郎先生のご投稿、感謝します。この投稿記事は、『滝尾英二的こころPart2』の掲示板にも掲載させていただきます。ありがとうございました。(滝尾)


 なお、久しぶりに広島の自宅からのホームページへの投稿です。来週には「ハンセン病問題基本法」の衆参両議会の厚生労働委員会、及び総会での裁決がありそうだ、というので、岡山での「自立」のためのホテルでの生活を打ち切り、急ぎ自宅へ帰ってみたら、数出に、衆議院厚生労働委員会で、殆んど説明も審議のないまま、全会一致での裁決で可決されたそうです。

 国民に「基本法」のこのような趣旨・説明や審議を抜きにしたままで成立したのでは、「正しくハンセン病を理解する」という文言が、「ひとり泣き」しますよ。「ハンセン病問題基本法」や『将来構想』が、世論化しないのは、こうした拙速主義ではありませんか。

  まだ、参議院の「基本法」の審議が来週にあると思います。国民に分かりやすい趣旨・説明と審議に期待しています。

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(1)橋下徹大阪府知事が5日発表した財政再建案。その名も「大阪維新プログラム案」
(2)日朝協議、再開へ最終調整 北朝鮮大使、7日にも北京入り(日経新聞 6月5日)
(3)核問題での進展で北朝鮮制裁解除も官房長官が認識示す(赤旗 6月5日)

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                                     ‘08年6月26日(火曜日)午後

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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  朝鮮総聯大阪 国際部のパク・ヨンチです。(転送歓迎です)


(1)橋下徹大阪府知事が5日発表した財政再建案。その名も「大阪維新プログラム案」。 http://www.pref.osaka.jp/kikaku/ishin/ishin_index.html

   それによると私立学校に対する助成金をそれぞれ、小学校・中学校は25%、幼稚園は5%、高校・専修学校に対しては10%カットするとのことです。

  それによると、もともと日本の私立学校に比べ極端に少ない助成しか受けていない朝鮮学校・中華学校などの民族学校への助成も10%カットされることとなり、今でも大変な運営がさらに困難になりことは火を見るより明らかです。

  橋下さんは、「義務教育は望めばみんな公立に通うことができる。私学の付加価値を求めるなら公立よりお金がかかるのは当たり前だ。」(朝日新聞 6.5)と述べています。

  すなわち、「どうせ私立はカネ持ちが通っているし、カネないやつはグダグダ言わんと公立に行っとけ!」と。

  在日朝鮮人や在日中国人にも日の丸・君が代が強制される公立学校に行けということなのでしょうか!

  ほんとに恐ろしい認識の持ち主です。


【(2)日朝協議、再開へ最終調整 北朝鮮大使、7日にも北京入り(日経新聞 6月5日)】


 日本と北朝鮮は国交正常化交渉の実務担当者による協議を近く再開する方向で最終調整に入った。日朝関係筋が5日明らかにした。北朝鮮の宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は7日にも北京入りする予定。日朝の直接協議が実現すれば昨年10月以来で、日本人拉致問題や北朝鮮に滞在する日航機「よど号」乗っ取り事件メンバーの帰国の扱いなどが焦点となる。

 北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議は北朝鮮の核計画申告などを柱とした「第2段階の措置」が大詰めの段階に入っている。北朝鮮は米国によるテロ支援国家指定の解除を求めているのに対し、米国は解除に際しては日朝関係の進展が必要と働き掛けていることから、北朝鮮側は日朝協議に応じたとみられる。


  ※関連 ≪日朝協議、近く開催で調整(朝日新聞6.5)≫
http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY200806050293.html

  ※関連 ≪日朝交渉:7日にも実務担当者協議 拉致問題も議題か(毎日新聞6.5)≫
http://mainichi.jp/select/world/news/20080606k0000m010145000c.html


【(3)核問題での進展で北朝鮮制裁解除も官房長官が認識示す(赤旗 6月5日)】

   町村信孝官房長官は四日の参院拉致問題等特別委員会で、北朝鮮の核問題の進展によっては、対北朝鮮制裁の解除もありうるとの認識を示しました。

 日本共産党の山下芳生議員は、核問題をめぐる米朝協議の動きに触れながら、対北朝鮮制裁延長の閣議決定(四月十一日)のさい、北朝鮮が「具体的な行動」をとれば経済制裁の一部または全部の解除もありうるとした官房長官談話に言及。政府の制裁解除の具体的判断条件をただしました。

   町村氏は、核・拉致・ミサイルの三つの問題について、「一つだけが大きく進んで、一つが残った場合とか、あるいは三つが少しずつ進んだ場合」など、「いろんな組み合わせがあると思う」と発言。必ずしも拉致を含むすべての問題での進展を制裁解除の条件としているわけではないことを示唆しました

 

日本のハンセン病問題:Wikipediaで分離

 投稿者:Ichiroメール  投稿日:2008年 6月 6日(金)05時34分53秒
  滝尾先生 ちょっと広告させて下さい。

今回、蜂谷氏の意見に基づき、協議しましてWikipediaハンセン病は ハンセン病本体と 日本のハンセン病問題 に分離しました。理由は 一般的にハンセン病の知識を得たい人と、今日ある日本のハンセン病問題を理解したい人のためです。現在は、分離による、不自然さを改善する作業が続いています。

 日本のハンセン病問題を スグ 「お気に入り」に入れてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E5%95%8F%E9%A1%8C
 

「基本法」は、”あちらの水(地域社会)は辛いぞ、こっちの水(療養所)の水は甘いぞ”という「経済的隔離主義」の再現である!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 6月 3日(火)14時06分4秒
 

 福留範昭先生から滝尾宛に届いた「韓国の過去問題に関する6記事」とうち、5) 『世界』は韓国をどのように眺めたか (聯合ニュース)及び、6) <米輸入牛肉問題> 市民ら反発「国民に宣戦布告なら抗争開始」 (中央日報)の2記事を『滝尾英二的こころPart2』に掲載します。また、つづけて(2) <噴水台> 卓庚鉉 (中央日報);(3) 光州・全南6・15宣言8周年の記念行事 「多彩」 (聯合ニュース) (4) 法務部、「韓国、集会の自由を制限」という AIの発表に反論 (聯合ニュース) (5) 李大統領、支持率急落21.2%=世論調査 (朝鮮日報)もまた、掲載します。

 岡山のホテル内では、メールの授受も出来ず、ホテルから離れた「インターネット・カフェ」まで、自宅から持参したノートパソコンを「インターネット・カフェ」まで、運んでの各ホームページの掲示板への掲載となります。私の歩行困難に加えて、昨夜は雨中ですので、ホテルから「インターネット・カフェ」までの往復は、どうしてもタクシー利用となります。

 上記の記事のうち(5) 『世界』は韓国をどのように眺めたか (聯合ニュース)及び(2) <噴水台> 卓庚鉉 (中央日報) は『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載します。「歴史事実」や「現実社会」をみる場合、感情論や心情にはしることなく、理性に基づく「各事象の認識」が必要であると思いました。そういう意味で、両記事は私にとって、示唆に富む内容でした。


「ハンセン病問題基本法(最終案;5月25日)の全文を読んでの滝尾の意見を書く必要を感じていますが、しばらくの間、ご猶予をください。基本的には、投稿者:朝潮太郎が、投稿日:2008年 6月 2日(月)09時43分17秒に投稿されている端的な文に同感します。

「‥‥一方、今国会で成立を目指すとされている「基本法」は、
●統廃合阻止は担保しない
●敷地や設備の他への転用を認める
全療協はこれを「最後の闘い」だとしている。
http://6322.teacup.com/takaamami/bbs 」

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 つまり、全療協は、少なくともその一部幹部は、徳田弁護士ら「ハンセン病問題市民学会」の幹部たちも、こもども、ハンセン病問題を「市民運動」としての闘いに終止符をうち、「正しくハンセン病を理解する歴史や現実」は「ふれあい福祉協会」に委託している「歴史認識」で、国立ハンセン病資料館などに一任。

 「あちらの水(地域社会)は辛いぞ、こっちの水(療養所)の水は甘いぞ、ホ・ホ蛍来い!」という「経済的隔離主義」の再現であり、その上、行政に「あとは勝手にやってよ」と、「白紙委任」を出した「基本法」の内容が、幾分かは、地域社会や退所者・社会復帰者への「甘言」の内容はあるものも、基本的には、入所者中心の「弱者=重度障害者・高齢者」への「隔離意識」に基づく内容を貫いて書かれたものだと思いました。


 しかし「差別がある以上闘いは存在」します。集団的な闘いは終焉するでしょうが、個々の闘う人たちに依拠した闘いに、今後とも支援・共闘していきたいと思います。昨夜来の雨も、ここ岡山は降りやまっています。今日は6月3日。あと6日で「永かった“自立”の生活」を止めて、自宅での生活に帰ります。慣れない地域での“自立”困難さと、人とのつながりということを学んだ岡山の生活でした。 では‥‥!

 下記の記事を翻訳し、届けていただいた福留範昭先生、及び「聨合ニュース」を翻訳していただいた森山静子先生に感謝します。

                         ‘08年6月3日(火曜日)正午

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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 福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 「海外文化財還元委」の法案 発議 (聯合ニュース)
2) 「6.3抗争の民間記録、国家で永久保存」<記録院> (聯合ニュース)
3) 安重根義士の遺体発掘、暫定的に中断 (聯合ニュース)
4) 「韓国、集会・デモなどの表現の自由に制限」 <アムネスティ> (聯合ニュース)
5) 『世界』は韓国をどのように眺めたか (聯合ニュース)
6) <米輸入牛肉問題> 市民ら反発「国民に宣戦布告なら抗争開始」 (中央日報)

5) ******************************************

[聯合ニュース 2008-05-28 11:40]
【『世界』は韓国をどのように眺めたか; 『世界』の分析書、『知識人のごう慢と偏見』を出版】


(ソウル=聯合ニュース) ファン・ヒギョン記者= 1946年に創刊されて日本の進歩陣営を代弁した総合雑誌『世界』は、韓半島の問題に絶え間ない関心を示し、韓国の読者たちにもよく知られている媒体だ。

『世界』は、主に韓国の政治状況に批判的な視角を見せた反面、北朝鮮に対しては、金日成主席のインタビューを載せ、定期的に北朝鮮訪問記を載せるなど、好意的な視角を見せた。

韓相一(ハン・サンイル)国民大政治学科教授は、新刊『知識人のごう慢と偏見』(キパラン編集)で、『世界』の創刊号から40余年間に『世界』に載せられた韓国関連の内容を分析した結果、「『世界』が主張する"北朝鮮-善"、"韓国-悪"の単純な論理が、実体や経験に基づいた評価ではなく、理性的判断によったものでもないという点を確認した」と主張している。

1946年から1989年までの『世界』を分析した1章「ごう慢と偏見:『世界』の南・北朝鮮観」では、戦争前の歴史に対して批判的な立場を堅持しながら、真剣に省察してきた日本の進歩的知識人たちが、戦後、南・北朝鮮を眺める視角と北朝鮮に対する評価で、「非理性的で全くバランスを欠いた理由」を問う。

韓教授はこの問いに対して、「理想は持っているが、その理想を日本という場で主導的に実践することができないところから来る無力感や挫折感、欠乏感が、進歩的知識人たちをして、外国、特に韓国のような特殊な歴史的な関係を持っていた国の政治に、過度に関心を持たせ、また南と北に対する理想と現実を均衡的に判断できなくさせた」(142ページ)と答える。

4章「<韓国からの通信>とTK生」では、1972年から1988年まで「TK生」という筆者が『世界』に連載して広く知られた「韓国からの通信」に対して批判的な分析を試みている。

『世界』が韓国の民主化に寄与したと自負するこの連載物は、実は韓国の暗いイメージを極大化しただけでなく、日本の戦後世代に否定的な韓国像を植え付けるのに決定的な役割を果したというのが、韓教授の分析だ。

「通信が、『韓国の強圧政治の実態と民主化のための抵抗者の姿』を伝えたことは否めない。しかし、TK生や『世界』が強調するように、通信が果たして韓国の民主化と人権保護に大きく寄与したのかは疑わしい。むしろ通信は、日本人と第3国人に、韓国があまりにも惨めで陰うつな所であり、韓国人が人間以下の生活を送っているという否定的なイメージを植え付けるのに大きく寄与した」(311ページ)

韓教授は、「日本の進歩的知識人を非難したり、『世界』を批判するためでなく、過去の歴史になった彼らの韓国観を正し、次の世代に正しく伝えるために、この本を書いた」と語った。

                                 <森川静子訳>

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1)独立活動家の子孫など、高麗人100名が初めての訪韓 (聯合ニュース)
2) <噴水台> 卓庚鉉 (中央日報)
3) 光州・全南6・15宣言8周年の記念行事 「多彩」 (聯合ニュース)
4) 法務部、「韓国、集会の自由を制限」という AIの発表に反論 (聯合ニュース)
5) 李大統領、支持率急落21.2%=世論調査 (朝鮮日報)

2)************************************************

[中央日報 2008-06-02 08:28]
【<噴水台> 卓庚鉉】

(イェ・ヨンジュン) 「しばらく黙想に沈んでいた光山が、突然大きな声で歌を始めた。 アリラン、アリラン、アラリで、アリラン、峠を越えていく。絞り出すように悲痛な声であった。トメと二人の娘も一緒に歌い始めたが、すぐ歌声は消えて、嗚咽が部屋の中を埋めた。いつのまにか、四人は肩を組んでいた。」

1945年5月10日夜、日本の鹿児島県知覧の飛行基地の近所の食堂富屋であった実話を描写したノンフィクション『ホタル帰る』(赤羽礼子著、2001年)の一節だ。

光山は翌日には不帰の客となる神風特攻隊員であり、トメは彼が唯一情を感じた食堂を経営するおばさんだった。次の日の朝、光山は予定どおり250㎏の爆弾を戦闘機に積んで出撃し、560kmを飛んで、沖縄海上で25年の短い命を終えた。

「大日本帝国陸軍少尉」光山文博の実名は、卓庚鉉(タク・ギョンヒョン)だった。知覧の飛行場で天皇が下賜した酒一杯に、一機一艦の決意を新たにして命を捨てた自殺特攻隊は計1,036名だった。

その中には、卓庚鉉を含む朝鮮人11名も入っている。卓庚鉉は、見習士官の時期から、朝鮮人であることを明らかにしていたという。彼の霊は靖国神社に祀られ、ときおり日本総理の参拝を受けもする。飛行帽を着用した彼の写真も、神社の一角にある遊就館にかけられている。

先月、卓庚鉉の命日に合わせて、彼の故郷の慶南の泗川(サチョン)に慰霊碑を建てようとした日本人たちがいた。彼らは、慰霊碑建設が韓日間の和解のための小さな出発点になると信じたようだ。卓庚鉉をモデルにした映画「ホタル」(高倉健主演)のようにだ。

映画では、神風特攻隊で朝鮮人少尉の部下だった日本人の生存者が上官の遺品を抱いて韓国を訪れ、最初は頑強に拒否していた遺族たちが遺品を受けとることによって、和解がなされた。

しかし、現実の結末は正反対だった。住民たちと関連団体の反対デモに遭って、行事は中止になり、慰霊碑は撤去された。故郷ですら、卓庚鉉は日帝の協力者に過ぎなかった。

韓・日間の真の和解は、いまだ時が熟していないことを今回の事件は教えている。その前に先行すべき真心の謝罪と赦しのシッキムクッ)清めの行事)がいまだ完結していないためだ。

志願しようが、無理やり連行されていこうが、卓庚鉉もまた歴史の犠牲の羊に違いない。死を一日前にして、不眠の夜に祖国を描きながら、アリランを歌った彼が、翌日「天皇陛下万歳」を叫んで、死の航路へ突進しなければならなかったのは明らかに悲劇だ。

桎梏と狂気の歴史の前で、人間の運命は矮小で脆弱なものだ。卓庚鉉のむなしい死は、それゆえ憐憫の対象として迫ってくる。

                         <イェ・ヨンジュン政治部門長>

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 ハンナラ党のイム・ドゥソン比例当選者‥‥前科隠蔽の追加確認; 「ハンセン病問題・基本法」を読みながら‥‥ (滝尾)  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 5月31日(土)20時53分30秒
 

 福留範昭先生から滝尾宛に「ハンセン病問題」=ハンビット福祉協会・代表であるイム・ドゥソン氏(ハンナラ党から出馬し韓国の国会議員となった)のことに関する昨夜送信しました(5)ハンナラ党のイム・ドゥソン比例当選者 前科隠蔽の追加確認 (ノーカットニュース) の記事が、ホームページの一回の行数をオーバーして2行しか掲載できませんでした。今日、改めて「ノーカットニュース」の記事を全文掲載します。

 前回に引き続いてのハンビット福祉協会・代表であるイム・ドゥソンハンナラ党選出の国会議員の韓国での情報です。それを前回にひきつづき『滝尾英二的こころ』、及び『滝尾英二的こころPart2』の各掲示板へ掲載します。昨日のこのことに関する「5記事」をも参考にされて、充分なご検討をお願いいたします。

 岡山の「インタネット・カフェ」でいろいろとホームページを見ていますと、「ハンセン病基本法」に関する投稿文や情報があります。時間の制約でそれをよっくりと拝読できません。急いで各情報などを3・5インチのフィロッピーに収集しました。ホテルでゆっくりと読みたいと思います。しかし一読して感じることは、当事者とゆっくりと話し合い、その意見に基づかずに、一部の少数者によって、決定がされているもではあるまいか、という懸念をしています。当事者の頭越しでは、今後禍根を残し、ますます「将来構想」が難しくなるのではないかと思います。そうならないことをただただ祈念しています。

 この記事を翻訳しお送りいただいた福留範昭先生に感謝します。また「基本法」に関する情報を提供していただいた皆さまにも感謝します。

           ‘08年5月31日(土曜日)20:47; 岡山にて送信しました。


                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

5)*****************************************************************************

[ノーカットニュース 2008-05-20 21:36]
【 ハンナラ党のイム・ドゥソン比例当選者‥‥前科隠蔽の追加確認 】

(動画あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=079&aid=0001963570


(チェ・スンオクPD) 前科隠蔽が確認されたハンナラ党のイム・ドゥソン当選者が、別の前科を隠した事実が、追加で明らかになった。

CBSの取材の結果、比例2番の当選者のイム・ドゥソン氏は、1979年から暴行、不正小切手取り締まり法違反などで、10件の罰金刑と2件の懲役刑を宣告されていたことが明らかになった。

イム氏は、12件の前科の事実のうち、懲役の前科2件に対して選管委に申告しなければならなかったのに、これをともに隠して、選挙法に違反した。

これに対し、野党圏は厳正な捜査とともに自主的な辞退を求め、ハンナラ党は深刻な違法事実がある場合、指導部が議論するだろうと明らかにした。

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『滝尾英二的こころPart2』の下記の「岡山だより」に、8枚ほど滝尾の岡山での元気な姿の写真が掲示されています。(笑い)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 5月30日(金)19時35分19秒
 
『滝尾英二的こころPart2』の下記の「岡山だより」に、8枚ほど滝尾の岡山での元気な姿の写真が掲示されています。カラオケ喫茶で歌謡曲を唄っている風景です。見て下さい(笑い)。(滝尾より) 5月30日(金曜日) 岡山より



08/05/28 プロフィール>岡山だより(08年05月)
 

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