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ハンセン病問題への年頭への想い 【そのⅠ】 ~ 藤野豊氏の意見のこの不可解さ!~   転載・可=滝尾         

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 1月 6日(日)02時30分45秒
  通報 編集済
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 ハンセン病問題への年頭への想い【そのⅠ】       【 転載・可=滝尾 】


『熊本にかかわる人々』: 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 1月 5日(土) ; 「滝尾先生に刺激されて、書いてみたい。八木先生:講演にこられた時に個人的にいろいろ質問しました。先生は回春病院ところの戦後の話をされましたが、ライトさんを看取った主治医‥‥」云々と。

 本当に嬉しいIchiro 先生のお言葉です。


  それに「喜寿(満77歳です)」の持病を多く抱えた認知症の私と違い、「紙魚さん」=藤巻さんの掲示板から窺える藤巻さんの「ハンセン病市民学会」への<期待と想いの熱情>を痛いほど感じました。また、本年にある「~市民学会・東京大会」を何とでも成功させなければ、という執念ともいうべきものを私は、いたく感じました。「紙魚さん」=藤巻さんは、‘46年生まれだといいます。これからが、働き盛りだと私は思います。藤巻さんは、このように書かれています。


<‥‥文字通り「市民学会」はハンセン病問題における、現在唯一の市民による「学会」です。ハンセン病問題の歴史は長く、絶対隔離の時代、らい予防法反対闘争の時代から国賠裁判勝利にいたる、その様々な局面で関わった方がいらっしゃいます。

 その様々なかかわりの中で学んだことを「市民」の共有の財産として社会に生かし、後世に伝えていくために「有効な組織」であると認識しています。しかし、現在の市民学会のありようは、それとはほど遠いと考えています。それをあぶりだして、現状を変えていくために「現実と遊離した」発言になったかもしれません。>云々‥‥と。


 日常生活が“認知症”で困難で苦しんでいる私です。藤巻さんと違って「~市民学会」に、いささかの期待もかけていない私です。しかし藤野氏の『市民学会年報、2007』の<時評>、および「ハンセン病図書館・友の会」の談話室に<誤解について 投稿者:藤野 豊 投稿日:2008/01/04(Fri)>; と投稿した“藤野 豊”の名前で書かれた一文を、現在まで、ハンセン病問題に、いささかなりとも関わった私として、一言この場を借りて、‘05年10月1日につぶて書房から発刊された季刊誌『飛礫』48号に掲載した一文を紹介しておきたいと思います。


 旧制中学校の歴史の授業で、15歳そこそこの私たち生徒に対して、教師はこう言われたことを、今思い出します。

「‥‥歴史を語る時は、つぎのことを書かなければならない。誰が、いつ、どこで、誰に、何をしたか。その結果は?」と話されました。


「市民学会は活動として、<‥‥一部の学者に任せることなく、回復者も市民もいっしょになってさまざまな課題に取り組んでいこうというのが、この学会の趣旨です。

 「何のために学問はあるのか」、それを再確認するためにも、私たちは、差別の現実から学ぶ、回復者の声に学ぶ、そうした姿勢を貫きたいと考えます>と言っております。ところが、下記の藤野 豊の名で出された掲示には、つぎのような内容が書かれています。


 <匿名の各位へ

 私が『ハンセン病市民学会年報2007』に書いた小論のなかで「現実から遊離した図書館のなかだけでハンセン病を研究するひとびと」とは、図書館のなかで文献だけをつまみ食いして読み、発言するアカデミズムの研究者を指すもので、ハンセン病図書館や友の会を指すものではありません。藤野 豊>


 「主語がない」と『ハンセン病市民学会年報 2007』の【時評】の中の「国立ハンセン病資料館」展示への批判で「‥‥隔離下の患者の苦悩が展示されるが、だれがこうした苦悩を強いたのか、主語がない」と藤野氏は書いています。

 ところが、「ハンセン病問題における“まきかえし”」を論じる藤野豊氏の上記の文のどこに、「現実から遊離した図書館のなかだけでハンセン病を研究するひとびと」の主語が書かれているのか、また、歴史研究者として、「誰が、いつ、どこで、誰に、何をしたか、その結果は?」という初歩的な記述がなされないのか、読んでみて、はなはだ疑問で不愉快な文です。無責任極まりない<ハンセン病市民学会事務局長>たる藤野氏の発言であると思います。


 「ハンセン病問題における“まきかえし”」に対して、具体的にはその内容を、市民学会藤野事務局長は伏せていては、<‥‥一部の学者に任せることなく、回復者も市民もいっしょになってさまざまな課題に取り組んでいこう>というのが、この学会の趣旨ですが、そのに趣旨に沿わないのではないのですか。

 では、拙稿の‘05年10月1日につぶて書房から発刊された季刊誌『飛礫』48号に掲載した「藤野豊氏の<ハンセン病問題>に関する認識と行動への疑問>(『飛礫』48号、136~148ページ)に一部を下記に記しておきましょう。今から2年3ヶ月前に発表した記事ですが、藤野氏からは未だに、その反論や返事などありません。藤野氏の「奇怪な行動」だといえましょう。

 ※註(同誌『飛礫』48号には、藤野豊氏の論考が掲載されているから、『飛礫』編集部から藤野氏に寄贈され、送られています。それ以後、藤野氏は季刊誌『飛礫』には原稿を出さず、『飛礫』編集部との連絡も絶えたと、聞いています。)

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<「最高級の日本酒と高価な肴」を「ある人物」と飲み食いした藤野氏に、その責任はないのか (141~143ページに所収)>


  ‥‥ある人物から『電話では話せない重要なことがある。会って話そう』と、金沢に呼び出された。(中略)私は、夕方の5時40分、金沢駅に降り立った。駅で待っていた彼はタクシーである割烹小料理屋に私を連れていった。なぜか、彼は始終、上機嫌であった。

  小料理屋に着くと、彼は、最高級の日本酒と高価な肴を次々と注文し出した。まずは「飲もう」と飲み始める。(中略)「彼は、厚生労働省の現職の官僚二人の名前をあげ、これはその二人の意向であると明言した。二人の官僚が金沢を訪れ、私に委員を辞退するよう説得せよと彼に依頼したそうだ」という。

 『私の進退は原告・弁護団に預けてありますから、この場でお答えはできません』、そう答え、富山に戻った(ただ、悔やまれるのは、そのときの飲食代である。高級酒や高価な肴が振る舞われたので、私は飲食代の半分を払うと彼に言ったが、彼は『私が払う』とこれを拒み、結局、彼が全額支払った。そのときの費用が彼のポケットマネーなのか、厚生労働省の裏金なのかはわからない)。(156ページ)


 なぜ、このような不当な「ある人物」の発言を、藤野氏自身の口で、その場ではっきりと拒否し抗議できなかったのだろうか。「ある人物」として、その名前を伏せ、かつ、「そのときの費用が彼のポケットマネーなのか、厚生労働省の裏金なのかはわからない」と、「ある人物」に最高級の日本酒と高価な肴の費用の出所を質さず、検証会議が終わった今でもそのことが明らかなっていないのも大問題である。

 藤野氏は実名をあげず「ある人物」としているが、なぜ、「検証会議」の性格・あり様などとも関わる重要な事実を知っていながら、実名をあげず「ある人物」などと曖昧な書き方をするのだろうか。


 会合をもつとき、「会合場所、話し合う時間、懇談テーマ」などを事前に決めておくのが常識であろう。ところが、藤野氏は「ある人物」から事前にこのことも聞かず、自ら居住している富山から金沢まで出向き、金沢駅前で「ある人物」と会い、ただちに割烹小料理屋に連れていかれている。そして「ある人物」から話も聞かないで、最高級の日本酒と高価な肴を次々と注文し出された酒・肴を飲食している。なぜ、藤野氏はそうする以前の諸段階で、席を立たなかったのだろうか。


「ある人物」から話も聞かないで酒をお互いに飲み合ったことを反省せずに、そのときの飲食代を「ある人物」に全額払わせたことのみ、悔やんでいる。こうした一連のことをしでかした藤野氏自身の行為は、いったい何だったのか、という反省まったくみられない。


 藤野氏は、『飛礫44』(2004年・秋号)にも、「‥‥途端に及び腰になり、自らの意見を語らず、敵を作らないようにいわゆる『八方美人』の言動に走る。ハンセン病問題に取り組み、全療協の前では支援の激を飛ばし、一方で、厚生労働省の官僚と密会し、裏取引にのめりこむ。私はこれまで、そのような研究者たちともつきあってきた。

 しかし、もう決別しよう」(134~135ページ)とも書いている。


 藤野氏のこの「いいわけ」ともとれる思わせぶりな記述とともに、藤野氏の最近のハンセン病問題をめぐる言動に、私はたいへんな不快感を持っている。そのことは研究者間に疑心を生み出し「分裂・分断」をもたらすからである。藤野氏は、はっきりと「ある人物」や「そのような研究者たち」の名をあげて批判するべきではなのか。

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<ハンセン病問題への年頭への想い【そのⅠ】の『 熊本にかかわる人々』: 投稿者:Ichiro 投稿日:2008年 1月 5日(土)の「滝尾先生に刺激されて‥‥>に対する私の「投稿」は未完とし、後ほど項を改めて書いていきたいと思います。


 この文は、Ichiro先生のホームページ; および『滝尾英二的こころ』と『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。

                      ‘08年1月6日(日曜日) 午後3時05分


                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二


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