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 『よく死ぬことは、よく生きることだ』という千葉敦子さんの最後の著書のタイトルの言を信じて、“よく生きたい”と思います!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 1月10日(木)01時08分21秒
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 『よく死ぬことは、よく生きることだ』という千葉敦子さんの最後の著書のタイトルのことばを信じて、“よく生きたい”と思っています。つまり『よく生きることによって、無常のこの世から私は、消えていくことが出来るのだ‥‥』とも考えています。

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  羞恥心と老化  投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 1月 9日(水)

 <羞恥心と老化について考えてみた。羞恥心は、自我や自尊心の延長に有る概念で、恥となる行動をしてしまった場合に感じるものである。これらでは、社会規範への適応といった行動を促すが、その一方で過度に感じる場合には、行動の萎縮などといった問題を生む。無さ過ぎても害があるし、有り過ぎても困るものである。

 成人になると、性的な場面や社会的な業績、成果といったものにとりわけ関係するようになる。しかしながら慣れ、高齢化、認知症の進行等に関係して薄れてくることもある。>

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 Ichiro先生! ヒロシマの滝尾です。先生の「研究メモ」の掲示板の投稿するということが、どんなに私の日々の生活を充実させているのか、はかりしれません。バスを待つ停留場でも、バスの車中でも、食事中ですら、今晩は、何を書こうかなと考えています。私には、「退屈」という言葉のない生活を幸せにもおくらせていただいています。こうして命がたえたら、どんなに幸せかと思うことがあります。


 私は<喜寿>を満年令で向えますが、肉体が失せた後、「魂」がどうなるのか、未だに判りません。98歳で「老衰死」した私の母親も、晩年にこう言っていました。

「エイジ(息子の名前です)! お前は本をたくさん読んでいるから、分かってるじゃろ。わしが死んだら「タマシイ」は、一体、何処へ行くのかわからん。教えてくれ」と。「‥‥かあちゃん。ぼくも、そのことは分からん。しかし、なるようになるサ‥‥」。


 昨年の歳末の“紅白”でも、秋川雅史さんが「天の風になって」を歌いました。アイヌ民族やネガチィブ・アメリカンの人たちは、タマシイは、自然にかえる=「風になり、鳥になり、雨になってあなたを見守っています」と信じているそうです。

 沖縄久高島の島ひとは、比嘉康雄さんの著書によると、「‥‥人々は、魂の不滅を信じ、魂の帰る場所、そして再生する場所を海の彼方のニラーハラーに想定し、そこから守護力をもって島の聖域にたちかえる母神の存在に守護をたのんでいる」(『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』集英社新書、4ページ)といいます。

 キリスト教、仏教のことは、リベルさんを始め、多くの大研究者がおられますので、この方がたが、死生観のことは語られるでしょう。ただ、私が信じていることは、ただ一つ。『よく死ぬことは、よく生きることだ』という千葉敦子さんの最後の著書のタイトルの「ことば」です(真部昌子著『私たちの終り方~延命治療と尊厳死のはざまで~』(学研新書、2007年7月発行)。

 死んだ母親のことばを“紅白”では、すぎもとまさとが『吾亦紅』で、コブクロが『蕾(つぼみ)』で歌いました。今日私は、市内のCD販売店で、コブクロが『蕾(つぼみ)』のシングル判を2枚も買いました。『蕾(つぼみ)』は、だんぜんよい歌ですよ。

    散り際に もう一度開く花びらは あなたのように
    聴こえない頑張れを 握った両手に何度もくれた

          (作詞・作曲:小渕健太郎、編曲:コブクロ『蕾(つぼみ)』より


 私は、死生観も、歌謡も、羞恥心も「その地域、その文化、その民族」が生み出したものだと思っています。


 二人一組の盃事が終わるとその喜びをカチャーシー舞いで表現する。三線(サンシン)、太鼓、手拍子が鳴り、笑い声が島中にひびく。正月が最も華やぐ刻(とき)である。盃事の間には、殿の中の神女たちによってゆったりとした調子の歌が歌われている。昔は根人(ニーチュ)の盃事のときにつぎの歌が歌われた。

   アガリナーニ、ウチンカティ   (東方に向かって)
   トゥイヤウタティ        (鶏は鳴いて)
   ウプクゥバラヨー        (成女たちよ)
   ウプチンウチアキティ      (女陰をうち開けて)
   ムルトゥヌギムルグルイ     ([交合のさまの意])
   ユティークリーヌナシグヮ    (男の子の)
   ウヌゲサビラ          (誕生を願いましょう)

 本年の1月4日の滝尾のホームページは、比嘉康雄著『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』集英社新書)の一文を紹介しました。だから、作詞:古謝美佐子、作曲:佐原一哉の『童神』が、つぎのように歌われているのです。

    天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
    生まれたるわが子 祈り込めて育て (中略)

    太陽(てぃだ)の光受けて
    ゆうりよーや ヘイヨー ヘイヨー
    健やかに 育て

     (訳:お天道さんの光受けて どうか良い子に どうか何事もなく育ってね)

 ※ 『琉球の風・夏川りみConcrt Tour 2004』のDVDアルバムより。


 石野径一郎著『琉歌つれづれ』(東邦出版)の「肉体誇示」210~211ぺージには、つぎのような一文が書かれてありました。

 「成績は中の上、体に自信があって異性の前に出ると裸になりたくなるし、ブラジャーは嫌い、と告白した女高生がいて、ぱッと服を脱いでボーイフレンドに抱きついた。びっくり仰天した彼はそれ以来彼女の家に近寄らなくなり、遠くからばかり見ている。まるで「奴は露出症さ」といってるみたいな目付だ。

 ‥‥身の上相談の先生‥‥も仰天した。大和ナデシコもかくまで欧化(?)したかと大感激の後で、大所高所から考えて、かくのたもうた。

 「僕にも彼の驚きは解ります」と深呼吸を一つして、「彼は恐怖をおぼえているんですよ。」しかしあなたも露出症ではありませんね。だってきみは性器を見せましたか。――それごらんなさい。いいですか。顔に自信のある人は、その顔を異性に誇示したくなる。肉体だって同じりくつです。あなたは純粋なんですよ。情熱的すぎるんだな。‥‥だが僕は君の正直、好き」といいかけると、

  「それは肉体と精神とどちらの病気?」
  「自己顕示欲が強すぎるというのは病気どころか、君、健康な状態ですよ」
  「先生、話せるわね。お国はどちら?」

    命(ぬち)よりかまさて惜しさある肌も
    里がおみ肌と添ゆらとめば
                    (作:島袋盛敏)


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    嘉例吉(かりゆし)の遊びうちはりてからや、
    夜のあけててだ(太陽)の上るまん(も)

 この歌は宴たけなわの時にうたわれるせいか、読んだだけで血がわきたつのを感じる。ひと夜を遊びほうけて、明けの朝太陽が天高くのぼるまで、心ゆくまま思う存分に遊び続けようというのである。嘉例吉(かりゆし)は私の好きな言葉だ。なぜなら嘉例は読んで字の如く「めでたい」で、それに「吉」をつけて最高にめでたく、つまり「エーワン」なのである。(中略)

 ところが、「うちはりて(打晴りて)」というのはどういうことか、伊波普献説によるとストリップになることだという。宴たけなわになって脱ぎすてて踊るようにもなったら、明日のお日さまを拝むまで遊びぬこうということで、むろん男だけで続く筈はない。ならば、太古にアメノウズメノミコトあり、七〇年代に成人向き映画の氾濫あり、今も昔も変りなし。私は前に恩納村のナビ女がシヌゲ踊を禁じた体制側に歌で抗議した事をかいたが、ここでそれに続けてひと事ふれよう。シヌゲは古代の民間舞踊で、それは男女の「はだか踊」だったということだ。

            (石野径一郎著『琉歌つれづれ』(東邦出版)60ぺージより)


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  Ichiro先生!

 美しい男女のシヌグ踊=はだか踊を、先生の名機(写真機)でばっちりと撮って、「Ichiro研究メモ」に、掲載してください。もっとも、そのシヌグのすばらしさ、美しさに感動されて、手ブレの写真になるかもしれませんが、しかし、そうしたIchiro先生の「ぶれた写真」も案外、面白いかもしれません(笑い)。


 この文は、Ichiro先生のホームページ; および『滝尾英二的こころ』と『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。

                      ‘08年1月10日(水曜日) 午前1時00分

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二


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