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 <悪魔の道は善意によって舗装される!(サミュエル・ジョンスン)> 第一回 「~市民学会」の徳田氏や藤野氏らに問う!  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 1月12日(土)03時59分29秒
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<悪魔の道は善意によって舗装される!(サミュエル・ジョンスン)> 第一回 「~市民学会」の徳田氏や藤野氏らに問う!

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                            (‘08年1月12日~13日)

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 私の親しくしていた三宅一志著『増補版・差別者のボクに捧げる! ~ライ患者たちの苦悩の記録~』(晩聲社、1991年6月発行)の扉裏に書かれている<悪魔の道は善意によって舗装される!(サミュエル・ジョンスン)>ということばである。

 この三宅さんの初版第一刷は、1978年8月に発行され、韓国においても著名なハンセン病問題を語る時には、史料としてしばしば利用されて名著である。三宅一志さんは初版第一刷の「あとがき」でつぎのように書いている。

「『差別者のボクに捧げる』のボクとは、単に強制隔離主義者・光田健輔や、彼に繋がる人びとだけをさすのではない。ライ病患者をはじめ、あらゆる障害者、被差別者を排除・抹殺し続けている健常者社会=共同体を構成する人たち全員のことである。すなわち、あなたであり、筆者自身である。あなたが『差別意識など絶対に持っていない』といくら力んでみても、あなたの生活している健常者社会=共同体が本質的に差別構造を前提に成り立っている以上、いつの間にか差別意識にまみれているのである。」(三宅一志著『増補版・差別者のボクに捧げる!』284ページ)。


 今日(1月12日)、皓星社から‘07年12月28日発行のハンセン病図書館友の会・ハンセン病市民学会図書資料部会共編『「将来構想」の歴史に学ぶ~「第二回ハンセン病資料セミナー2007」報告』(定価=500円+税)を郵送で寄贈を受けた。このA5判117ページの冊子によると開催日は、’07年8月25~26日であり、場所は多磨全生園中央集会所である。

 開講の挨拶は、山下道輔さん(ハンセン病図書館主任)が行ない、ついで、オカノ・ユキオさん(『林文雄の生涯』著者)が、森 幹郎さんの「惰眠論の事実」を紹介している。


 改めて書架から森 幹郎著『差別としてのライ』(京都・法政出版、1993年12月発行、303ページ)を取り出し、同書(一編=「ライケア施設の方向」を除いて1954~57年までの邑久光明園の機関誌『楓』に掲載されたものである)を通読した。森 幹郎さんの論考・報告など20論文が収録されている。収録さた「療養所の再編」の指摘が書かれたものは、今日、論議されている「将来構想」を考える上で、たいへん参考になった。


 つぎに「ハンセン病図書館友の会 談話室」のホームページを訪問して、エミさん、紙魚さん、あずきさん、リベルさんのご意見、とりわけ『ハンセン病市民学会年報 2007』の巻頭言である徳田靖之弁護士が書いている内容にかかわって<紙魚さん>の語られる「‥‥そのことは、「新あつい壁」が、初め藤本事件の冤罪を明らかにするとしながら、次第に監督の「死刑に追いやったのは市民の偏見差別」といった一億層懺悔めいた抽象的でなにやら高いところにたったご託宣を伴って「啓発映画」に化けていく中で、藤本さんの「冤罪」は一つのモチーフ、エピソードにされていったことと、どこか通底するような気がする。

 何よりも、被害者に寄り添って事件の真実を求めて行くことに徹する中から、より高次な問題が明らかになりその解決が求められる。すなわち、本当の「啓発」も「最高裁判所の責任の追及」も、冤罪を徹底的に追求し真実を明らかにしていく過程で自ずからなされるもので、決してその逆ではないし手段であってはならないだろう‥‥」と。

 それを受けての<あずきさん>の言われる「‥‥察するに、この最後の1行の前に、1頁ぐらいの文章が有ったのではないでしょうか。紙数の関係で、大幅に削らざるを得なかった。それで、違和感が余計激しくなったのではないでしょうか?

 だとしたら、文章力を鍛えていただくしかありませんね。以前の藤野氏の「時評」にも共通する問題点ではないでしょうか?  支援活動は、あくまでも「支援」であり、「代行者」であるはずです。それがいつのまにか支援者たちが「主体」になったり、支援者の「生きがい」にすり替わってゆくことの危険を感じます」という<あずきさん>のご意見の同感する者である。

 さらに、エミさんの言われる「‥‥私には、この市民学会の「規約」に言う“同じ「当事者」”という言葉と同様、[1138]投稿記事中に引用された徳田弁護士の言う「私たち」という言葉が曲者のような気がしてなりません。
「同じ当事者」とか「私たち」という言葉は、時として、一人ひとりが考える主体でなければならないときに、主体なき集合(≒群集)と化さしめる力として働くこと、あるいは、「個」を放棄させて「全体」へと化さしめるように働くことがあるのではないでしょうか。」というお言葉も、適切なご指摘だと思う。

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 私(滝尾)もこうした「ハンセン病問題」の闘いやそれの棹差す「主体なき融和運動」の歴史の一端にかかわったひとりとして、自戒を込めながら、それらの歴史に学ぶ上から少し長文になるが「ハンセン病問題の歴史に学ぶ」という視点に立った小論を連載したいと思う。以下本日は、その項目と少しの項目の解説のみをあげておきたい。後日、具体的事例で真相を明らかにする。

(1)現在、「ハンセン病違憲国賠訴訟原告弁護団」の徳田靖之氏や、その他の弁護士たちと、それに追随する「支援者」の中には、自国民中心意識と療養所中心意識で、ハンセン病裁判を推進してきた。それは、典型的には、小泉首相の「控訴断念の表明」後の「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」の国会審議における審議過程や、その間の参考人となった原告の国会発言や原告弁護団の言動に具象化されている。

①(滝尾英二著『「ハンセン病問題」は、いまだ終わらず』(季刊誌『飛礫』34号、2002年4月発行、78~85ページ)、②滝尾英二著『ハンセン病問題検証会議への意見書~植民地下朝鮮でのハンセン病政策の被害と責任を明らかにせよ~』(『飛礫』44号、2004年10月発行、100~118ページ)、③滝尾英二著『ハンセン病問題検証会議への意見書~今後の闘いにむけて~』(『飛礫』49号、2006年1月発行、148~160ページ)など参照。


 (2)自国民中心意識と療養所中心意識で、ハンセン病裁判を推進してきた典型は、‘02年1月28日の厚生労働省と遺族・非入所者についての基本的合意の調印である。この点についての滝尾の質問書の対する「ハンセン病違憲国賠訴訟原告弁護団」代表の八尋光秀弁護士の反省をこめた回答をもらっている。ハンセン病違憲国賠訴訟原告弁護団著『開かれた扉~ハンセン病裁判を闘った人たち~』(講談社、2003年5月発行)は、今日的地点で再検討しなければなるまい。


 (3)光田健輔医師のような暴力的で経済外的強制の隔離政策ではないけれど、現在の「ハンセン病療養所の『将来構想』を含む取り組みは、大谷藤郎氏が国立療養所課長~厚生省医務課長~藤楓協会理事長にいたる「経済的隔離政策」の推進であり、現在の「療養所中心主義」は、光田健輔が行なった隔離政策の裏返しであり、これを全療協事務局ら幹部たち、徳田靖之弁護士たち「弁護団」がそれを推進していることを認識しなければならない。


 (4)一昨日私は、<宣言>を紹介した。その中にはつぎの一文がある。「‥‥これ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、この際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。兄弟よ。吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によって、先祖を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何んであるかをよく知っている吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃するものである‥‥」。これは、当事者の闘いの主体論にもかかわってくる。

 <あずきさん>の言われる「‥‥察するに、この最後の1行の前に、1頁ぐらいの文章が有ったのではないでしょうか。紙数の関係で、大幅に削らざるを得なかった。それで、違和感が余計激しくなったのではないでしょうか?

 だとしたら、文章力を鍛えていただくしかありませんね。以前の藤野氏の「時評」にも共通する問題点ではないでしょうか?  支援活動は、あくまでも「支援」であり、「代行者」であるはずです。それがいつのまにか支援者たちが「主体」になったり、支援者の「生きがい」にすり替わってゆくことの危険を感じます」の同感する者である‥‥」と。


 一般会員は、具体的に言ってもらわないと、反撃も闘いも出来ないにではないか。「市民会議」の事務局長である藤野豊氏がけ知っていて、同会員の殆んどは「具体的には」知らせれていない、では広範な「巻き返し」の反撃するこは不可能である。「市民学会」という団体は、「会の幹部たる事務局長が知っていて、一般会員の知れされないで、どうして行動が出来るのでしょうかね。


 (5)「知行合一」としての行為行動・闘いを「ハンセン病市民学会」代表の徳田靖之氏や、同会の事務局長の藤野豊氏は、「『ハンセン病市民学会年報2007』に書いた小論のなかで「現実から遊離した図書館のなかだけでハンセン病を研究するひとびと」を含む「巻き返し」の3つの指摘に対して、具体的に如何なる反撃と闘いを「市民会議」はしてのでしょうか。

 一般会員は、具体的に言ってもらわないと、反撃も闘いも出来ないにではないか。「市民会議」の事務局長である藤野豊氏がけ知っていて、同会員の殆んどは「具体的には」知らせれていない、では広範な「巻き返し」の反撃するこは不可能である。「市民学会」という団体は、「会の幹部たる事務局長」が知っていて、一般会員の知れされないで、どうして「市民学会」としての行動が出来るのでしょうかね。


 同じことが、『ハンセン病市民学会年報2007』の巻頭文を書いた代表の徳田靖之氏にも言える。。自分の闘いをどのようにしたのかの問題である。江戸後期の陽明学者・大塩平八郎(1793~1837)の「知行合一」としての行為行動・闘いに学んでいるのでしょうか。


 思い出すままに5項目について書いた。具体的内容・事実は遂次、書いてゆきこのホームページに掲載する。


                      ‘08年1月12日(土曜日) 午前3時50分

                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二


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