スレッド一覧

  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:273/881 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

  「お宝は、家族は要らないというので、寄贈しようと思う」と言われるIchiro 先生へ; 私の思いは‥‥!      

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 1月26日(土)02時23分49秒
  通報 編集済
  -
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

<お宝寄付します  投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 1月25日(金)22時21分42秒

 自分自身そう高齢とは思わないが、いろいろ集めたお宝は、家族は要らないというので、適当な所に寄贈しようと思いますが、どこがいいでしょうかね。>

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


 敬愛しているIchiro先生のご質問のなので申します。

 私(滝尾)の蔵書は、余命幾ばくもないわが身ゆえ、いまは遠いところにいらっしゃる若い信頼できる方がたにお頼みして、しかるべく図書室か、資料館に寄贈します。中学生時代から敗戦直後の貧しい母親の稼いだお金で買った本や、私にとっては命のつぎに大切なかたからいただいた本の数々もあります。が、だからこそ、<喜寿>をむかえた持病持ちの私ですから、「お宝」を寄贈して一から出直します。


 「原爆の被爆や平和運動」などを中心に、日本の文化や人権の問題の本は、ソウルにある「韓国国立中央図書館」に約1200冊ばかり、私は寄贈しました。「原爆の被爆や平和運動」などの本は、広島市立中央図書館や広島県立図書館などへ行けば広島在住の私は、いつでも見たり、読んだりできますし、平和公園内にある「~資料館」でも「原爆の被爆や平和運動」などは閲覧できるからです。


 私の学問の師匠で、神戸在住の韓先生は「青丘文庫」を須磨の自宅の二階に作られていました。朝鮮関係の図書が厖大にあり、私はせっせとこの「青丘文庫」へ通いつづけたものです。やがて13年前の「淡路・神戸大震災」の時も、西明石から図書が書架から散乱した「青丘文庫」へ徒歩で通いました。韓先生は「青丘文庫」を広島にもつくったらどうか」と提案され、「のれんわけ」してもらった「文庫」が「広島青丘文庫」です。頭に「人権図書館」とはつけましたが‥‥。


 『朝鮮総督府官報』全巻と聡索引は、ソウルの東亜文化社が、1980年代から90年代にかけて99セット復刻されたものも「青丘文庫」の韓館長に国際電話とFAXで東亜文化社に連絡して購入したものです。送料など含めて160万円ほどかかりましたたが、これで「小鹿島(ソロクト)訴訟」は、国の責任=天皇と帝国議会、それに内閣の責任を明らかにできましたし、ソロクトの国家責任を明らかに出来ました。

 ただ、東京地裁の「小鹿島(ソロクト)訴訟」は、被害事実とその責任は認めつつも、2001年5~6月の『ハンセン病補償法』の国会審議に「日帝期の小鹿島更生園入所者のことは国会の場で補償対象として審議されていないので、国の行政補償不支払いは違法とはいえない」、という判決だったのです。


 だから10月25日の判決の当日、「東京地裁の判決は不当であるけれど、国会でも審議しなかった責任もある」という有力国会議員もいて、その直後から「改正補償法」の検討と国会での「補償法」の再審議となり、早急な「慰謝(=謝罪)に基づく補償」が国会で翌年2月3日の衆参両院で成立したのです。

 だから10月25日の東京地裁ソロクト訴訟敗訴直後から、「東京地裁の判決は不当であるけれど、国会のも審議しなかった責任もある」という国会議員もおり、また行政も感じていて、その直後から「改正補償法」の検討が始まり、行政と国会での「補償法」の再審議へ向けての取り組みとなり、結果、早急に「慰謝(=謝罪)に基づく補償」が国会で翌年2月3日の衆参両院で成立したのです。


 原告弁護団」(代表兼事務局長・国宗直子弁護士)とそれに無批判に追随する支援者たちの迷走ぶりの取り組みには、実に目に余るものがありました。2001年6月に制定された「補償法」をそのまなにして、それに基づく「厚生労働大臣の告示」内容に、日本の植民地のハンセン病療養所の小鹿島更生園と台湾楽生院の2療養所を入れよという運動を展開しました。しかも「補償金を即座に支給しろ」という「謝罪に基づいた補償金」の支給を要求した当事者を含む要求を無視している取り組みでした。

 だから、未だに「小鹿島更生園・台湾楽生院の訴訟」の総括が著書として出されないのです。もともと『熊本地裁勝訴判決』やその後の「補償法」成立の経緯、さらに「ハンセン病問題検証会議」の研究結果も、すべてを否定はしませんが、「最終報告書」も問題の多い欠陥の目だった報告書であるのです、九州大学の内田さんや、市民学会の藤野さんが自画自賛していますが、それを信用すれば、歴史の真相究明はできないような代物です。


 余談はさておき、今でこそいいますが、こうした『朝鮮総督府官報』全巻と聡索引などの購入や韓国への度重なる訪問は、「乏しい家庭の財政」をやりくりした妻の支援・協力も実は多く、母親の倒れて「危篤」であることも、ソウルの「国立中央図書館」の公衆電話で初めて知りました。

 母はうわごとを云っていたと言っていたそうです。

「英二は朝鮮へ行って帰ってこないのは、帰る金が無くなったからじゃろう。電報為替で金を息子の英二に送ってやれ!」と、母看取っていた姉に言っていたそうです。そうして得た「お宝」の書籍が、小さな我が家が倒れるくらいあちこちにあり、庭の倉庫にもぎっしりあります。家庭の者たちの犠牲の上に、私の蔵書蒐集はなされたのです。


 これらの思い出の本を手放すのは、娘を嫁に出す父親のように、つらいのですが、『無常の意識を歌う近・現代史日本歌謡史』、それに『無意識の深層心理としての夢と歌謡』の最晩年の研究テーマを、それに幾ばくかの自著を手許に置き、また文庫や新書は、寄贈うけた方が迷惑だろうと思い、我が家に残すことにします。それ以外は手許から離します。


 吉幾三が作詞・作曲した『娘に‥‥』の歌謡のなかで、「‥‥思い出みんな持ってゆけ! 写真一枚あればいい」と歌っています。「‥‥思い出みんな持ってゆけ!」といった同じ感じで、思い出がいっぱい詰まった私の蔵書を、いま手離なそうと決意しました。

「‥‥いろいろ集めたお宝は、家族は要らないというので、適当な所に寄贈しようと思いますが、どこがいいでしょうかね」とおっしゃるIchiro先生のご質問がありました。私の蔵書(お宝)を適当な所に寄贈して、若い研究者にこの「文化遺産」を引き継ぎたいと思います。

 本の寄贈の条件は二つあります。

 ①、この本たちを絶対に「国」の施設の渡さないこと、
 ②、「滝尾の名は書かない図書目録」をつくること。そうしないと「人の命の尊さ」を書いた本たちが利用されなくなるから‥‥。


 この文は、Ichiro先生のホームページ; および『滝尾英二的こころ』と『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。

                  ‘08年1月26日(土曜日) 午前2時05分

             人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二(松江にて)


           ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
-
 
》記事一覧表示

新着順:273/881 《前のページ | 次のページ》
/881