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 Ihiro先生の「歴史に関する掲載された投稿」を読んで‥‥ ; 滝尾の「雑感」です。                    

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 2月 6日(水)04時01分5秒
  通報 編集済
 
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 昨夜(2月5日)は、「カラオケ喫茶・浪漫」(経営者・歌手の新宅未奈子さん)のお店に午後8時から閉店の午前0時まで、4時間いて歌謡曲(流行歌)を計17曲、唄いました。それから、歩いて自宅に帰ったら、もうぐったりです。居間の寝台へ外出着のまま、倒れこむこと1時間余、やっと書斎のパソコンを開きました。唄った曲の17曲の詳細については、仮眠後書いてみます。「無常の意識の日本近・現代史のあゆみ」をテーマにした“喜寿から米寿”への「冥土へ行く最後の研究」の一環で、昨夜は「股旅もの」を唄う歌謡の一夜でした。

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 Ichiro先生の  投稿日:2008年 2月 5日(火)21時47分に、「碑」について「‥‥碑のことを考えていたら思い出した。前に書いたかもしれない。大体悲劇のことがおおい。さて、皆さん、終戦の碑ってありましたかね。」と書かれていました。軍都であった廣島も呉も、平和を希求する「悲劇のこと」よりも、「戦争を謳歌した」記念碑が多いのに、実は驚いております。

 「日清戦争時の大本営跡の碑」、「同じく明治天皇の“聖水”記念碑“」が道路のど真ん中にあり、「廣島の連隊の連戦記録を記した碑」や「廣島幼年学校跡の記念碑」、「侵略戦争」の<凱旋門>も残されています。また、宇品港はまた、侵略軍が出港した場所でもあります。

 廣島は、第五師団ですが、Ichiro先生の熊本は、第六師団のあった街です。この第六師団は、近代では、獰猛な侵略軍の主力部隊でした。「教育勅語」が1890年に発布されますが、忠君愛国を国民の究極道徳とした「勅語」を起草した元田永孚の生誕「碑」が、熊本市内中心地のどかんと大きく碑が建てられています。


 加籐清正は、朝鮮侵略で朝鮮の人たちの悲惨な被害をもたらした「張本人」ですが、熊本の各地の「清正の讃美した碑」だあり、本妙寺の境内にも、これは異論が熊本の「愛郷者」からは出るでしょうが、「熊本に」清正に連行されてきて、彼に使えた「朝鮮人」の碑が寺の境内にあります。熊本(肥後)は、極左と極右の人物が多数、排出したところです。廣島と同じで、「軍都」でもありましたし、近世では、「浅野氏」と「細川氏」の違いはあれ、藩主が共通しています。だから「それを顕彰する碑」も多いと思います。

 ヒロシマの平和の碑よりも、探せば「戦争謳歌の記念碑」の方が多いのではないかと、思うようです。広島県福山市のJR福山駅裏にも、「戦争謳歌の記念碑」が林立しています。

「‥‥悲劇のことがおおい。さて、皆さん」のところは、と問われると、「‥‥悲劇のこと」をどのように捉えるかの歴史認識にもよりますが、「マイナーの碑」より、「メジャーの碑」が、案外多いと思うのですが‥‥(笑い)。 最近は歌謡づいている滝尾でした。

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 なお、周防正季(小鹿島更生園)園長の銅像は、戦後(朝鮮開放後)に倒されたのではありません。第5代の西亀三圭園長の時代に、西亀三圭園長によって、戦時中に周防正季園長の銅像は倒されて、「銅製品の回収」とされたのです。

 佐久間温巳氏は、周防正季が愛知医専出身で、後の「名古屋大学医学部」の同窓のせいか、周防正季の朝鮮総督府の京機道の衛生課長から、第4代の小鹿島更生園長になるのですが、上司に弱く患者に強く、多くの入所患者の被害が続出しています。

 周防正季園長は「自我自賛」する人物で、毎月「厚恩感謝日」を定めて、自分の銅像の前で患者を訓示し、結婚する最は「断種」して後、自分の銅像に感謝の礼拝を強制させ、偶像崇拝を拒絶するキリスト教患者にも礼拝を強制しております。そして患者に刺殺されました。

 滝尾英二著『朝鮮ハンセンビ病史~日本植民地下の小鹿島~』未来社、2001年発行、また滝尾英二編・解説『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』全8巻、不二出版など参照。「未来社本」の挿絵の写真には、周防正季小鹿島更生園長の銅像完成の時の「銅像前での写真を掲載しています。この一枚の記念写真かれでも、佐久間温巳氏がいい加減なことを書いているかが、分かるはずです。


 また、ソロクト訴訟の東京地裁での「原告の証言」も参考にして下さい。「黒砂糖看護長」こと看護長佐藤巳代治は、周防正季の養子でした。佐久間温巳氏の書いたものの殆んどは、史料批判を経ない史料や、肉親たちの「証言」に基づいたものが多く、歴史的な客観性を有しないものだと、私は思っております。念のために‥‥。


    ‘08年2月6日(水曜日)午前3時53分

                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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