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国立ハンセン病資料館の「展示内容」の問題性・歴史認識の欠如と、そのことを「ハンセン病市民学会」が関係者に提言していない!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 3月 4日(火)16時31分37秒
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⑤ 『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』「用語解説」(36ページ)には、「‥‥現在、韓国ではハンセン病患者・回復者たちのほとんどは一般の人々と共に生活を営んでいるが、全体の約4割の人々が患者・回復者によって構成される定着村で、1割にあたる約700名がこの小鹿島病院で暮らしている」と書いている。

問題の一、私立ハンセン病療養所の「麗水愛養園」や「大邱愛楽園」の現在の入園者の人たちに対する視野がまったく欠落しているのは、何故か。

問題の二、「‥‥ハンセン病患者・回復者たちのほとんどは一般の人々と共に生活を営んでいる」というが、その「ハンセン病患者・回復者たちのほとんど」の中に、定着村の人たちは入っているのか。「入っている」のなら、『飛礫』48号(2005年秋=2005年10月発行)の「社団法人・ハンピツ福祉協会の林斗成会長」が書かれた「韓国ハンセン病問題関係資料、ハンセン氏病歴者たちにたいする基本的差別の実態」(日本語訳・井下春子氏)の報告文をどのように理解したらよいのか。

問題の三、「入っていない」というのなら、「ほとんどは~」といいながら「全体の約4割の人々が患者・回復者によって構成される定着村で、1割にあたる約700名がこの小鹿島病院で暮らしている」というのは、その合計が5割であることであるにで、「ほとんどは~」というには、間違いではないか。

問題の四、「‥‥現在、韓国ではハンセン病患者・回復者たちのほとんどは一般の人々と共に生活を営んでいる」と書かれているが、ほんとうに「現在、韓国ではハンセン病患者」が一般の人々と共に生活を営んでいるのか。現在の韓国ではハンセン病患者は、全国で幾人おられるというのか。この統計では、韓国のハンセン病患者・回復者の総数は、七千名ということになるが、事実か。滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島』未来社、2001年9月発行の8ページには、国立小鹿島『年報一九九三』の24ページを引用し、推定5万、登録管理者2万2310名をあげている。もちろん、それは十数年前の統計数字である、現在は減少していると思うが、具体的出典を明記されたい。

⑥『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』「凡例」(5ページ)には、「本図録」に用いられる用語として次ぎのように記述されている。

<本展、本図録に用いられる「癩」‥‥という言葉は過去様々な偏見を伴って用いられ患者及びその家族の方々の尊厳を傷つけてきたこと等をふまえ、現在「ハンセン病」‥‥という語を用いているが、当館では固有名詞や歴史的資料を引用する資料、作品など必要最小限の範囲で使用している>と書かれている。

 『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』の10~11ページの「9、私ハライ患者ではありません(未感染児)」、「10、青い鳥―未感染児の哀しみ―」、「11、我らも生きている(未感染児)」と、「未感染児」という用語を、国立ハンセン病資料館は、どのように認識されているのでしょうか。また、「9、私ハライ患者ではありません(未感染児)」、「10、青い鳥―未感染児の哀しみ―」は、『韓何雲詩集』のなかの詩題ですが、韓何雲の詩の内容とは、異なるものだと思います。趙昌源氏と「作品名」の問題を話し合われたことが、国立ハンセン病資料館は今までありましたか。また、「未感染児」という用語の国立ハンセン病資料館としてのご意見をお聞かせください。

⑦ 国立ハンセン病資料館リニューアルオープン記念展『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』や、『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』の冊子には、つぎの記述がある。

「‥‥趙昌源氏(1926~)は、解放後、1961年~1964年と、1970年~1974年までの2度、小鹿島病院で院長を務め、‥‥五馬島(オマド)湾を干拓、300万坪の新しい土地をつくるという大事業の先頭に立ちました。‥‥ハンセン病患者であり詩人の韓何雲(ハンナウン)氏から大きな影響を受け、彼の詩をモチーフとした小鹿島の歴史やそこに生きてきた患者たちの姿を描くようになりました。‥‥」

「‥‥当館では1996年にも趙昌源展を開催しましたが、‥‥趙先生からハンセン病をモチーフにした自作の絵画50点を寄贈してくださるとの話があったことがきっかけでした。
‥‥1999年の資料館6周年記念に「小鹿島の思い出と韓国のハンセン病事情」をテーマに講演していただき、後から送られてきた先生の絵画6点と入所者の作品展を開催しました。‥‥趙先生は小鹿島病院の院長時代から現在まで、ハンセン病患者・回復者たちに変わらぬ愛情を注ぎ、人権回復や偏見差別をなくするための活動を続けるなど先生の思い入れを多くの方に知っていただきたく、再度展示を行った次第です。」

 2003年8月8月の小鹿島で「韓日人権シンポジ-ム」を開催し、以後「小鹿島更生園訴訟申請訴訟」の闘いは、燎原の火のように韓国、とりわけ小鹿島の自治会を中心とし、多くの原告の方がたの闘いは始まった。しかし、この『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』には、そうした影響は、当然ながら反映されていない。はやくこうした問題指摘を国立ハンセン病資料館に連絡するため、未完の文ではあるが、FAXで、連絡し、このつづきは、後刻届けることにしたい。まだ、中途であることを、ご理解していただきたいと思う。

                   (2007年4月21日、15:05    滝尾 英二)

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<国立ハンセン病資料館の「常設展示」内容について意見(その3)、『開館記念誌』の疑問点、『趙昌源絵画展』の疑問点など!  投稿者:  滝尾 英二 投稿日:2007年 4月24日(火)13時34分24秒>

 『趙昌源絵画展 ―小鹿島(ソロクト)の光と影―』と、チラシ「用語解説」、および「国立ハンセン病資料館の「常設展示」内容について意見(その3)

                                2007年4月25日

                       人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾 英二


(三)国立ハンセン病資料館企画・編集『国立ハンセン病資料館・開館記念誌』の問題点・疑問点について


 問題3の第一: 『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』企画・編集は国立ハンセン病資料館であり、発行は社会福祉法人ふれあい福祉協会で、2007年4月1日に発刊されている。A4判で41ページの写真が多数収録された冊子である。その内容をみると

「国立ハンセン病資料館の<常設展示>内容について意見(その2)」の国立ハンセン病資料館のハンセン病問題の認識の誤りの指摘が更に、理解できる。

「展示室II」=「癩療養所 ―出口の見えない隔離―」のはじめの「前文」は、<「恐ろしい伝染病」「家族も血筋と疎まれる病気」「不治の病」―古くより癩は社会から強く嫌悪されてきました。/そのため収容されていく患者に対して、「ひどい目に遭ってかわいそうに」「家族と一緒に暮らして行きたかろうに」という声をかけることはありませんでした。/家族や故郷を追われ療養所に入る患者たちに、私たちがこうした思いやりや温かい言葉をかける気持ちがあれば、これほど残酷な体験をさせずに済んだかもしれません。

 そのように書いたつぎに、<癩の「宣告」と収容>の項目の下に、3枚の写真を掲示している。その1枚は、<家にこもる/患者自宅検診 星塚敬愛園 1935(昭和10)年/病気の家族を隠して暮らす家にも、警察や医師らが訪れて、家にいたいという望みを絶っていった。>という説明文を書いている。

 この写真は、『星座 第一輯 建設篇』星塚敬愛園慰安会、昭和十一年(1936年=滝尾)発行の272ページに収録された写真であるが、その説明文は国立ハンセン病資料館の写真説明とは、異なっている。

 <患者訪問/山間渓谷に蹲居する癩者を訪ね、皇室の御仁慈を伝へ、療養所入所をすゝめる。一人の患者を訪ねるのに一日を要することが稀ではない。/けれ共これによりて世を呪ひしものが皇室の恩化によりて光を見、療養所を知らざりしものが、安住の楽園あるを知りて涙をもて喜ぶさまは我等にとりて最も大いなる慰めである。>と説明してある。

 ここでも、癩の写真説明は、「皇室の御仁慈を伝へ」「皇室の恩化によりて光を見」といった皇室の「仁慈」が、実はハンセン病療養所への強制隔離収容に一役かったという事実を隠しているといえる。この冊子のどこを読んでも、「皇室」や皇太后節子(貞明皇后=死後つけられた名)のことも、書かれていない。(滝尾英二著『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』広島青丘文庫、2000年発行、298ページ参照)。

 同じページには、「本妙寺部落の強制収容 1940年の写真がある。この事件には癩予防協会が大きく係わっている。

 また、「ハンセン病患者をめぐる事件(1951~1962年)にしても、黒髪校事件(1954年~1955年)にしても、「社会の偏見」としての立場からとらえることは、その本質を見誤る。その事件の本質的な要因は行政であり、癩予防協会(後の藤楓協会)である。(拙著『愛生』、『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』などの該当論文を参照)。ところが、この『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』には、一言もこのことが書かれていない。

 問題3の第二: 『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』の「展示室III」として「海外のハンセン病事情」(31ページ)がある。写真として、1.カラウパパ療養所(米国 ハワイ)、2.小鹿島病院(韓国)、韓国定着村(韓国)、4.クリオン療養所(フィリピン)、5.楽生療養所(台湾)、楽山保養院(台湾)の6枚の写真である。

 朝鮮や台湾は、日本の植民地として、日本のハンセン病政策が強行され、クリオン療養所(フィリピン)は、日本占領地域の療養所を占領し、戦争末期には三千名とも六百名ともその人数は不明であるが、多数の餓死者を出した。

 また、「改正補償法」の厚生労働大臣の「告示」でも、「ミクロネアシア(「南洋」)4島のハンセン病施設の入所者が「補償対象」に追加され、2006年2月10日につづいて小鹿島更生園や台湾の楽生院の入所者と同様、日本のハンセン病政策の被害者として、国は慰謝(=謝罪)し、補償金が支給されている。こうした国の施策すら、国立ハンセン病資料館は知らないのか、日本の責任を黙殺している。これは、無知をとうり過ぎて「差別記述」としかいいようがない。

 問題3の第三: 『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』のどこを見ても、優生思想、優生保護法(1948年~1996年)のことが書かれていない。この問題点は既に、この意見書・批判書の(その2)で述べたので、重複をさけて述べない。『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』の「結婚、断種、中絶」(22ページ)をみても、処罰としての「断種」は、植民地であった小鹿島更生園のみならず、日本国内でも行なわれている。

 また、人工妊娠中絶だけでなく、女性が臨月を経て産み落とした嬰児を生きながら殺害(自然死)させられたという事実がある。そうしたことが、『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』ほ記述では、不問にふせられている。滝尾英二著『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』広島青丘文庫、2000年発行、59~62ページ「嬰児とその母たち」を参照されたい。その後も、生きている産んだ子供を生きながらころされたという証言を聞いている。
これにより、いかに多くの人びとが現在なお、苦悩していることをなぜ、不問にふすのか、国立ハンセン病資料館の責任者・担当者にききたい。

 問題3の第四: 『国立ハンセン病資料館 開館記念誌』の「展示室II」の「療養所の衣食住」(17ページ)で、食のことが書かれていない。特に、アジア・太平洋戦争末期には、飢えとのたたかいであった。滝尾英二著『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』広島青丘文庫、「戦争末期の療養所の子どもたち」(100~116ページ)を参照されたい。とりわけ、宮古南静園と沖縄愛楽園は食料難による栄養失調状況はひどく、それによる死亡者は多かった。このことが、「展示室II」の「療養所の衣食住」(17ページ)で、まったく述べられていない。

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【追記】国立ハンセン病資料館、厚生労働省健康局の疾病対策課、社会福祉法人ふれあい福祉協会、ハンセン病市民学会、小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団には、国立ハンセン病資料館の展示(=「近代ハンセン病史の歴史事実とその責任所在」をまったく無視し、これまでの運動や研究の成果を排除した内容の諸展示)がなされていることを連絡しました。しかし、国立ハンセン病資料館は、依然として、改められることなく、そのまま「展示」がつづけられています。

 また、いまだに国立ハンセン病資料館、厚生労働省健康局の疾病対策課、社会福祉法人ふれあい福祉協会、ハンセン病市民学会、小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団からも、問題指摘をして、その指摘を文書で送った滝尾のところには、音沙汰なしです。

 5月13日から、第3回ハンセン病市民学会の交流集会が、群馬で開催されようとしています。ハンセン病市民学会は、「現在版」の癩予防協会であり、藤楓協会の様相を深めてきています。

 第3回ハンセン病市民学会の交流集会に集まり、また、東村山市青葉町のある国立ハンセン病資料館を見学される方がたは、いま一度、滝尾の『滝尾英二的こころ』の掲示板に掲載してあるハンセン病市民学会の藤野豊事務局長の今年3月30日の「南洋群島」パラオの訪問後の調査報告内容の問題性、そして、国立ハンセン病資料館の常設展示室(3室あります)および、特別展示室の絵画展にみられる「小鹿島入所者」への偏見・差別意識をひろめるおそれのある展示の疑問点などを指摘している『滝尾英二的こころ』掲載しております私の諸指摘をご覧ください。

 これをぜひ、お読みいただきたいと思います。

 また、私の友人である田中等さんが、季刊誌『リプレーザ』創刊号に、「ハンセン病問題はどこへいく? 総括論議のための七つの断想」をまた、『リプレーザ』2号に「もうひとつのシマ―ハンセン病療養所について私が知っている2~3の事柄」を書いておられます。この田中等さんの論考も、ぜひご購読してください。リプレーザ社の電話番号とFAXは、050-1008-1753 です。メールアドレスは、ripresa0211@yahoo.co.jp です。よろしくお願いいたします。

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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