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「東学軍の魂を慰めよう」‥‥26~27日に報恩で巫祭; 小鹿島で「悲しい歴史」に会う; 野党 ‥‥大統領訪日批判!   

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 4月22日(火)12時05分38秒
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 福留範昭先生から届いた「韓国の過去問題に関する6記事」を『滝尾英二的こころPart2』の掲示板に掲載します。また、(2)「東学軍の魂を慰めよう」‥‥26~27日に報恩で巫祭 (聯合ニュース)、(5)小鹿島で「悲しい歴史」に会う (オーマイニュース)、(6)野党 「過去事清算なき実用外交は問題」‥‥大統領訪日批判 (ニューシス)の3記事を『滝尾英二的こころ』に掲載します。

 翻訳し記事を届けていただいた福留範昭先生、及び『聯合ニュース』の訳者である森川静子先生に感謝します。

                ‘08年4月22日(火曜日)  午前11時55分

                   人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

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  福留です。韓国の過去問題に関する記事を紹介します。

1) 閑山大捷と倭の水軍の子孫との出逢い (聯合ニュース)
2) 「東学軍の魂を慰めよう」‥‥26~27日に報恩で巫祭 (聯合ニュース)
3) 大阪で「済州4・3民衆抗争」60周年追慕行事 (聯合ニュース)
4) <人々>>慰安婦問題を扱った米劇作家ミューラー (聯合ニュース)
5) 小鹿島で「悲しい歴史」に会う (オーマイニュース)
6) 野党 「過去事清算なき実用外交は問題」‥‥大統領訪日批判 (ニューシス)

2) ******************************************************************************

[聯合ニュース 2008-04-20 08:49]
【「東学軍の魂を慰めよう」‥‥26~27日に報恩で巫祭】


(報恩=聯合ニュース) 朴ビョンギ記者= 忠北の報恩(ボウム)地域を中心に展開した東学運動の意味を振り返り、東学軍の魂をたたえる巫祭(クッパン)が、来る26~27日東学軍の最初の聚会地だった報恩郡長安面長安里と、最後の激戦地だった報恩邑プクシルマウル(チョンゴク・ソンジョク・ヌチョン・カンシルリ)一円で開かれる。

20日、この地域の文化団体「サムギョルドレアサダル」によれば、「人は天だから」という副題で開かれるこの行事は、檀紀4341年報恩東学クッの趣旨を知らせる沙鉢(サバル)通文を手始めに、キリムクッ、シッキムクッなどが続いて行われ、瞑想踊り、農楽、テキョン(伝統舞の一つ)、民謡などの文化公演も準備されている。また、聚会当時の接主会議や東学酒幕が再演され、東学軍の足跡を訪ねる遺跡地めぐりも用意されている。

サムギョルドレアサダルのパク・ダルハン(42)代表は、「『斥洋斥倭・保国安民』を旗じるしに憤然と立ち上がった東学軍の報恩聚会の意味を再確認し、プクシルの戦闘で壮烈に散った魂を追慕するために、聚会115周年に合わせて、クッパンを準備している」、「誰でも参加でき、全羅道中心の東学運動史の中で、見過ごされてきた報恩聚会と戦闘を顧みる機会になるだろう」と語った。

これに先立ち、報恩文化院は、25~26日に報恩邑のペットゥル公園と遺跡地一円で、記念講演、東学クイズ、遺跡巡礼、チャンスン(道祖神)立て、記念公演などからなる第6回報恩東学祭を開く。
                                 <森川静子訳>
5) **************************************

[オーマイニュース 2008-04-21 09:50]
【小鹿島で「悲しい歴史」に会う】

(写真あり)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=047&aid=0001940819

写真  ▲ 小鹿島(ソロクト)を訪れた観光客たち。

(オ・スンジュン記者) 人々は忙しい日常の中でも暇ができれば、失われた自我の復帰を夢見る。それが、余裕と思索の時間旅行だ。余裕と思索がなければ、私たちの人生はどれくらい無味乾燥で、旅行という祝福がなければ、どれくらい人生は悲しい旅程だろうか。そういう面で、旅行は精神的な心の丘であり、思索の海だ。

そこで世間を離れ、人生を顧み、新しい自我を探す修行者の姿を追う喜びも、旅行が与えるもう一つの幸せだ。日常からの脱出、久しぶりの外出、自然への帰依。

先の日曜日(13日)の朝、山や野原に見事に咲いている春の花のすがすがしさとさわやかさを味わうために、あらゆる日常を後にして、ときめく気持ちで旅に出た。

光州(クァンジュ)の代表的な文学団体である文学春秋作家会では、毎年<南島文化のルーツ探し>の文学紀行を実施している。今年の紀行地は、韓何雲(ハン・ハウン)詩人の「麦笛」の詩碑がある高興(コフン)の小鹿島(ソロクト)だ。

日程は、旧全南道庁前から出発して、和順(ファスン)のノリッチェサービスエリアを経て、高興バスターミナル→ノクトン港→高興2景小鹿島)→ノクトン→高興3景高興湾→宝城(ポソン)→和順→光州の順に組まれた。作家会の会員、一般人ら約50名が参加した。

写真 ▲ 哀歓の追悼碑。

写真 ▲ 国立小鹿島病院。


春の花満開の南島への旅行

午前9時旧全南道庁前を出発したバスは、ずっと休みなく緑に波打つ大地の気を横切って、ノクトンへ疾走した。時折車窓をかすめて行く山野の桜、つつじ、レンギョウ、花の芝など、さまざまな春の花香が目や胸を自然の驚異でいっぱい満たして、心の窓をぱっと開け放つ。

高興のノクトン港までは約2時間を所要。昔に比べれば道が大変良くなり、時間が大きく短縮されはしたが、相変らず高興半島は南島の来先端で遠かった。バスの中は、すっかり話の花で熱気が高まっていた。

「今日の文学紀行は、ときめく胸で貴重な私たちのものを見に行くものだ」という金ヨングァン会長のあいさつ、300人近い文学春秋作家会の会員たちの身上明細書を手の平にのぞき見るようによく知っている文学春秋作家会の朴ヒョンチョル理事長の出席会員たちの詳細な紹介、出席会員の今日の出逢いと旅行に対する情感あふれるコメント、餅、果物、飲み物、酒とつまみなど、ふんだんな食べ物が一つになって、旅行の趣を一層かきたてる。

特に、ピアノ、発声練習、詩で胸濡らしながら、残った余生を「皮千得(ピ・チョンドク、詩人)」のように生きたいという、90の老駆にもかかわらず、各種の文学行事にもれなく参加する金ジェミン詩人と、80の年齢にもかかわらず、「テニスと水泳で健康を維持している」という金ハククン谷城郡文化院長の文学に対する情熱と健康管理の秘法、「私の人生の楽しみは、酒を飲むことだ。今日は私の誕生日だ」というソン・クァンウン全南大名誉教授の話術、「出逢いはやさしいが、別れは難しい」というチョ・ヨンイル児童詩作家の因縁観、そのほか、チョ・スウン全南文協会長、イム・チョンジャ元校長先生などの文学の元老たちが聞かせてくれる談や珠玉のような文学の香が参席者たちの乾いた胸に泉のように清水を注いでくれる。文学紀行だけで会える特別な贈り物だ。

爽快に開いた野の春の花香を満喫しながら、途中でサービスエリア一に寄り、午前11時頃ノクトン港に到着すると、まさに600メートル前方に小鹿島がひと目に入ってきた。ノクトン港は大小の腹と観光バスの行列で込み合っており、観光客で超満員だ。港が生きて動いているように気ぜわしい。

写真 ▲ 監禁室.

写真 ▲ 検視室.

写真 ▲ ハンセン病資料館.

ノクトン港から小鹿島までは、午前7時から午後5時30分まで15分間隔で観光遊覧船が運航されている。小鹿島病院専用連絡船、一般用連絡船も、毎日随時運航されている。車を積んで入ることはできるが、島に降りると、小鹿島病院の入口からは徒歩のみの観覧が可能だ。

午前11時25分船着き場で140人余りが搭乗できるカーフェリーの遊覧船に乗って船に乗ると、ロマンチックな海が観光客たちを広い胸で歓迎する。しかし、海の観賞もしばらく、乗船して4分も経たずに、小鹿島に到着した。夏季には、ノクトンの子供たちが泳いで渡ったりもするという島、小鹿島は思ったよりはるか近くにあった。

ハンセン病の院生たちの涙の島「小鹿島」、ハンセン病患者のための国立小鹿島病院がある島としてより有名な小鹿島は、全南高興郡道陽邑(トヤンウプ)小鹿1番地に位置している。島の形が、子鹿と似ているというので、小鹿島と呼ばれる。

小鹿島の船着き場に足を踏み出すと、一番先に見られるのが「国立小鹿島病院」の表示版だ。そのそばに子鹿塔が立っている。朝鮮戦争当時、ハンセン病の院生たちを守っていて、北朝鮮軍に虐殺された病院の職員らを賛える塔だという。

「小鹿島は観光地ではない」という立看板が面目を失う程、観光客たちが休みなく駆せ参じる。私たちの一行が到着した時も、小鹿島の入口から観光客たちあふれていた。観光客は、島の中央にある中央公園までの出入りが許されている。伝染の憂慮からではなく、ハンセン病の患友たちの私生活の保護のための境界だ。

ボランティアメンバーや面会者は、患者地帯まで出入りができるが、観光客は患者地帯に入ることができず、宿泊も禁止されていて、午後6時以前には皆陸地に戻らなければならない。現在、小鹿島の住民は約900人余り.このうち、ハンセン病の患友は約700人だ。残りは、保健福祉部所属の職員と家族で、開放地域で患友たちと別に居住している。

島に穏やかに埋もれている田園住宅は、すべて職員たちが泊まる官舎だ。郵便局から、教会、聖堂、寺院、それなりの村を形成している。規模は小さいけれど、売店も各所に目に入る。青い松の林と目が冷え冷えする程清潔な小鹿島海水浴場の後に瀟洒な小学校もあり、少し前にカフェもできた。

小鹿島は汝矣島(ヨイド)の面積の1.5倍の15万坪程度で、汚染されていない清潔な自然環境と海岸絶景、歴史的記念物などで高興地域の新しい観光名所に浮上している。島の中の住居施設は、国立病院と患者が集まって住む療養院のようなところと個人が暮らすテラスハウスのようなところに分れている。それぞれ病気の深刻さの程度に応じて、暮らしている。

ここは、島全体がうっそうとした山林と海が交わって美しい景色を成しているだけでなく、道路周辺の各所には公園が作られていて、東の海岸には海水浴場がある。景色に優れ、気候も暖かいだけでなく、うっそうとした松林ときれいな砂浜は、エキゾチックな感じを与える。島の南端に、小鹿島灯台があり、各種の医療施設や福祉施設をはじめ、キリスト教、天主教、円仏教などの宗教施設が入っている。

また、癩病患者詩人ハン・ハウンの「麦笛」の詩碑、日本人でありながら、朝鮮人の患者を献身的に世話したことによって小鹿島のシュヴァイツァーと呼ばれる花井善吉院長の彰徳碑など、公園のあちこちに患者たちの痛みを保存する歴史的記念物も立っている。

第2案内所を通って、小鹿島病院と中央公園がある方に歩いて入った。「愁嘆場」という案内文の前で足を止めた。気持ちが自ずと粛然とした。ここは、職員地帯と病事地帯に分けられる境界線で、1950~1960年代には鉄条網が張ってあった。

病院では、伝染病を憂慮して、患者の子供たちを職員地帯にある未感児保育所に隔離して生活させるようにし、病事地帯の両親とはこの境界線の道路で一ケ月にたった一度の面会が許された。この時、未感児童と両親は、再び両側に離れて、一定の距離をおいて目でのみ血縁に会わねばならないこの光景を見た人たちが、「嘆きの場所」という意味で「愁嘆場」と呼んだ。

あちこちが曲がった黒松と海岸路に沿って行くと、国立小鹿島病院の本館の建物が現れる。その向こうにノクトン港と小鹿島を結ぶ1160mの白い連陸橋も見える。子鹿大校だ。昨年の完工を目標にしていたが、工事現場の安全事故によって、今年の10月に開通が延ばされたという。それでも闇に包まれると、色々な照明が近くの海に撒かれて、壮観を演出するという。陸が島に送る一種の和解のメッセージだ。

国立小鹿島病院の歴史は、1916年日本の明治天皇が下賜した基金で設立された小鹿島慈恵医院に始まるが、この病院は当時朝鮮内の唯一のハンセン病専門医院だった。早くから、癩病患者の治療のために建設された国立小鹿島病院は、今は韓国で最も規模が大きく、施設が整っている。

写真 ▲ 美しく造成された中央公園内の絵のような木々.

写真  ▲ 柳韓洋行の木と呼ばれる雪松.

写真 ▲ 見事な桜の花の前で団体の記念撮影.


ハンセン者の悲しい歴史「中央公園」

病院の本館の前に立てられた「哀恨の追慕碑」が目を引く。解放直後、自治権を要求するハンセン病患友84名を竹槍と銃で虐殺して埋めた残酷な現場だ。ここの中央公園は、1936年12月から3年4ケ月の間に延べ人数6万余名の患者が強制的に動員されて、6千坪規模で作られた。

今でも公園の中に入ると、患者たちが直接育てた各種の形の美しい木々と共に、全体的によく整頓された優れた造形が、見る人の感歎を呼ぶ。公園の華麗な概観だけからは、苦痛の歴史を想像できないほど、あまりに美しい姿だ。

公園には各種の花や木じ植えられているが、木々が非常に優れた絵であり、一幅の風景画だ。ここ中央公園には、シュロ、黄金桧、赤松、ヤツデ、茶、いぶき、ひいらぎ、百日紅、雪松、楠、ほお、ヒマラヤシダ、かえで、人の形をした榎などの数百種と500余種の稀貴植物が植えられている。

特に、別名柳韓洋行の木と呼ばれる20億の雪松は100年の樹齢で、100種がのびているが、柳一韓(ユ・イラン)氏が見て、アンチフラミン(軟膏)のふたとして、この松を広告素材に使ったという。

中央公園の入口にある刑務所に行った。現在、建物は空き家となっていて、当時の痕跡だけが残っている。日帝時代に小鹿島仕事をしていて、病気がひどくなってこれ以上働けなくなった院生たちが、ここに監禁された。赤いレンガ建ての刑務所の広場の両側に鉄条網が張られた監獄があって、内側には実験室がある。

日帝時代の院長が、ここに受容されていたハンセン病患者たちを不法監禁して、出監する日には、例外なく強制的に精管手術を施行した監禁室と検視室。この検視室の前には、25才の若さで強制的に精管手術を受けた患者の哀切の詩が残っていて、見る人の心を痛くする。説明によれば、監禁された院生の大部分は、飢え死にさせながら、一部は生体実験をされたという。

実際に実験室案に入ってみると、真ん中に大きな石で作られた白いベッドが置かれて、棚の中には手術道具がまだ残っていて、当時のおぞましい状況を察することができる。

「その昔、我が思春期に夢見た愛の夢は破られ、ここに私の25才若さを破滅する手術台の上で、我が青春を号泣しながら、伏している」。断種手術を受けた患者が書いた号泣の詩を読むと、心が自ずと痛む。


<小鹿島の監禁室の壁にある詩>

何の罪がなくても、不問曲直し、閉じ込めておいて

なぜ、話もできないようにさせ、どうして飯も与えないのか

無念の呼びは、聞く者もないので、ひざまずき主に訴えるに

主のお言葉によって、私が耐えなければならないことを知ります。

私が不信者であったら、この生命の価値がないと

怒りをきっと爆発させただろうに

主によって、私は耐えなければならないことを知ります。

この中で、神経痛で激しい苦痛にあう時

あまりに苦しくて、ふとんの布をはがして、首をくくって死のうとしたが

我が主の慰めてくださる恩恵で、辛抱して生きてきたこと主に感謝します

私たちは反省文を書けと毎日要求されても

良心を偽る反省文を書くことができなかったのです。

(金ジョンギュン、「監禁室」全文); 写真 ▲ 今年10月開通予定の小鹿島大橋.;[昨年2007年10月に小鹿島大橋.は開通している。=滝尾]


6) **************************************

[ニューシス 2008-04-21 15:52]
【野党 「過去事清算なき実用外交は問題」‥‥大統領訪日批判】

(ソウル=ニューシス)  野党圏は21日、李明博大統領の訪日に対し、「過去事を清算しない実用外交は問題だ」と、いっせいに批判した。

自由先進党のパク・ソニョン代弁人は論評を通して、「大統領の未来指向的な対日外交路線を指示するが、実用という美名のもとに私たちの原則と根本価値を阻害することがあってはならない」、「歴史教科書の歪曲問題を具体的な内容なく不問にする態度が、またに「実用」で偽装された原則不在の外交として現れたものだ」と指摘した。

朴代弁人はまた、「両国の間の若い世代の交流拡大のために、'ワーキング ホリデーのプログラム'を大幅に拡大するようにしたが、単純に量的増大だけを採り上げているだけなので、内容がある良質のプログラムにすることができるかはなはだ憂慮される」と付け加えた。

民主労働党のパク・スンフプ代弁人も、「大統領は福田総理と'成熟したパートナー関係'の新時代を開拓していくことにしたが、結論は一言で'過去は問わないで下さい'に過ぎない」、「過去事問題を解決する努力をするために、政府次元で支援することにしたといが、具体的に何を支援することにしたか分からない」と非難した。

朴代弁人は続けて、「日本の外務省が厚顔無恥にも'独島は日本の領土'という内容の広報物をホームページに堂々と掲示していることから解決するべきなのに、全く触れず、在日同胞の地方参政権付与に前向きに対応することを要請したというが、福田総理は何の言及もしていない」、「李大統領は、国民世論を無視して、'経済協力'という名分を前面に出して、日本に過去事の免罪符を与えたのだ」と主張した。

進歩新党イ・ジアン副報道担当者も、「大統領が歴史教科書歪曲などの過去事問題に全く言及しないのは、経済協力のために過去事に蓋をして行こうとするものだ」、「大統領の'無鉄砲'、'小貪大失'の実用精神が怖く、大統領の歴史認識が浅薄ではないかという疑いを抱かせる」と批判した。  (金ソンヒョン記者)


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