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 <座談会>らい療養所の詩と詩運動~現状と問題点~」での島田 等さんの発言についてらい詩人集団発行『らい』第二号より  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月12日(火)05時26分17秒
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「<座談会>らい療養所の詩と詩運動~現状と問題点~」での島田 等さんの発言について

(らい詩人集団発行『らい』第二号(1964年12月発行)1~7ページより


                 人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                    ‘08年8月12日(火曜日)05:20

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出席者=厚木 叡<東京 全生園>、   伊東秋雄<東京 全生園>、
    今西康子<岡山県愛生園>、   塔 和子<香川県青松園>、
    佐々木寒月<宮城県新生園>、  谺 雄二<群馬県楽生園・同人>
    島田 等<岡山県愛生園・同人>、水島和也<岡山県愛生園・同人>、
司 会=せいすみお
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「停滞か、それとも」
島田=現在らい療養所において、作品の書き手が少なくなり、固定していることも、また個々の作品にすぐれたもの、問題を感じさせるものが少ないことも事実ですが、今までにひきくらべ、停滞と言うふうには片づけるのは私は反対です。いま私たちが感じている大きな不満というのは、もつとすぐれたものを書こうというときに感じる不満、欠陥への意識であると思いますので、それを停滞というふうにいいたくないわけです。

「らい体験の虚実」
島田=私たちの詩の欠陥と言う場合、私自身としてはやはり自分の体験の重みと言うものにくらべ、自分の詩がいかにも軽いと言うアンバランスな感じにいつも立ちもどつて来ます。だから、他の人の作品を読む場合も、その人が感動していることの中味、主張したり表現したいものが、作者の生とどうかかわり、どんな比重をもつているのだろうか、と言うことがすぐ気になります。そう言つたこととから、私は自己のせまい身辺以外を感じさせない詩が多いことに不満ですし、それと逆に一足とびに神とか形而上的な世界を志向することにも賛成出来ません。

「詩人たち」
島田=最近読んだ西原桂子の「カラカラと笑え笑え!」と言う作品は面白かつた。作者は間にあわせの作品だと言つてるそうですが‥‥。この中にはらいと言う重圧も変えることが出来ない日本の社会の伝統的な女の位置をさわやかなものに変える力になうているのではないかと思います。西原さんの詩は高校時代から知っていますが、高校で詩を書いていた人たちの中で彼女は自分の作風を一変できた唯一の人のように思うんです。西原さんも自分の能力をもつと信用してのばしてほしいと思います。

「詩運動――そこでの問題は」
島田=谺さんもふれましたが、らい療養所の文学運動が官製的に育成されてきたと言う事情‥‥‥。その中で自立性が出てきたのは、ここ十年以降だと思います。文学サークルとしては、それぞれ二十年三十年と言うのがいくつもあるわけで、例えば長島詩話会は今年で丁度満三十年になります。このようにそれらが崩れもせず、また反対に意識的でもなくつづいているというのは、官製と言うバックが働いているからです。そこでは問題意識とか批判とかおくぐつて、おのごとをみると言う雰囲気とは非常に遠かつたと思います。

現在活動しているサークルが、私たちの過去のあり方をどう意識し、対処しているかと言う点からみると、こういつた意識はほとんどもたずに、別の次元に移つてしまつています。別の次元に移らせるもの、移る必要というのは、私たちの世界が内外ともにひどく変つてきているからあるんだが、その場合でも過去を問わないと言うか、知らん顔をして換ろうとしているんじやないか、それではほんとうに変れないと思います。

「何を書きたいか」
島田=私はここの所、ずうつとらい療養所をテーマにして書いています。らい療養所の中の色々な人間や生活を描くことを通じて、それを深められれば人間のもつ本質的な問題と、世界がもつている問題の核とを、二つとも、二つが一つになつている結節点にぶつかれると思うからです。そのためには今までの主情的な創作方法――主に自分の感覚とか主観とかにたよると言う方法ではだめになつてくるので、私はそこの所を評論を書くときの下しらべのような手続きを合せてやるように心がけています。

 このことは自分の主観を信用しないと言うのではなく、主観のもつアイマイさとか、気まうれな要素に流されずにテーマの基礎を確かめていく‥‥‥このような確かさをもたないと、私たちの詩は一方では伝統的な短歌型に、一方では評論とか、小説とかのもつ訴える力や重さに対比出来ず、どちらも失うと言うことから脱け出せないと思うからです。ほんもののイデオロギーと、ほんものの実感の二つともが要るのが詩だと言うことを、私は最近ますますいやと言うほどい感じさせられています。

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『参考資料』
(らい詩人集団発行『らい』創刊号(1964年9月発行)巻頭ページより)

 「宣 言」

一、私たちは詩によつて自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする人々を結集する。

一、私たちは、私たちの詩がらいとの対決において不充分であり、無力でもあつたことをみとめる。なぜそうであつたかの根を洗いざらし、自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう。

一、私っちは対決するものの根づよさをようやく知りはじめたところである。それは日本の社会と歴史が背負つづけた課題とひとしいものである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たちじしんの苦痛をはなれて対決の足場は組めなから。

一、私たちの生の本質と全体性としてのらい、との対決への志向が、集団の最底限の拘束である。サークルと詩誌をその拠点としよう。

  一九六四年八月                        らい詩人集団


 「同人名」

北河内 清(星塚敬愛園)        せいすみお(長島愛生園)
つきだ まさし(星塚敬愛園)      水島 和也(長島愛生園)
西原 桂子(菊池恵楓園)        黒田 淑隆(邑久光明園)
中石としお(大島青松園)        谺  雄二(栗生楽生園)
沖  三郎(長島愛生園)        小林 弘明(栗生楽生園)
小泉 雅二(長島愛生園)        高田 四郎(栗生楽生園)
しまだ ひとし(長島愛生園)      福島まさみ(松ヶ丘保養園)
島村 静雨(長島愛生園)

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