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 「らい詩人集団の詩人たち」の詩、島田 等さんを偲んで(第1回)    (滝尾)                    

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月13日(水)19時50分55秒
  通報 編集済
 
「らい詩人集団の詩人たち」の詩、島田 等さんを偲んで(第1回)


                  人権図書館・広島青丘文庫  主幹 滝尾英二

                       ‘08年8月13日(水曜日)19:51


 8月12日(火曜日)の滝尾のホームページの投稿で、島田 等さんの下記のような「<座談会>らい療養所の詩と詩運動」での発言を紹介しました。らい詩人集団同人で菊地恵楓園の詩人西原桂子さんの「カラカラと笑え1笑え!!」の詩の紹介から今回は書いてみます。その詩は、『らい』(らい詩人集団第二号、1964年12月発行)の10ページに掲載されています。

「詩人たち」
島田=最近読んだ西原桂子の「カラカラと笑え!笑え!!」と言う作品は面白かつた。作者は間にあわせの作品だと言つてるそうですが‥‥。この中にはらいと言う重圧も変えることが出来ない日本の社会の伝統的な女の位置をさわやかなものに変える力になうているのではないかと思います。西原さんの詩は高校時代から知っていますが、高校で詩を書いていた人たちの中で彼女は自分の作風を一変できた唯一の人のように思うんです。西原さんも自分の能力をもつと信用してのばしてほしいと思います。


(1)「カラカラと笑え!笑え!!」 (西原桂子)

女の子だつたら
「さいほう」ぐらい
と 男はかんたんに言う
女の子だから
否定したくはないが
女の子であることが
くやしくてくやしくてならないなんて
ひがみ根性なのだろうか

未婚の男 男 の目の前で
一針 一針ぬうなんて
いちばんいやなことなのに
まだか まだか?
早く 早く!
おれ変つてぬおうか
そんなふうにせかせる男は――
レディフアーストでも
女の理解者でも
恋人でも
腹がたつて
腹がたつてならないものだ

それに私も私
そんなことでひがんだり
ヒステリックにわめいたり
あつちに行つたり こつちい行つたり
その上だれもいない所に行つて
ポロポロ泣きながらぬうなんて
なんとずうずうしいことだ

女の子だったら
と 意味ありげにいう男たちの目の前で
シヤンシヤンと手が伸びて
タタターッとぬいあげて
それみろと鼻をあかしてやりたいのに
こんなぐちで
スーッと腹がすくわけでもないのに
ぐずぐずした
腹根性のわるい私よ

さあ こんな私を殺せェ――
生きかえらせろ
そして
カラカラと
笑え!
  笑え!!


【滝尾:註記】西原桂子さんは、結婚されて姓こそ変わっていますが、現在もご健在で、活躍されています。私は、季刊誌『菊地野』を毎号送ってもらっています。桂子さんが、いつまでも、ご活躍されますことを、お祈りしています。


(2)らい詩人集団発行『らい』第3号(12ページ)に掲載された島田さんの詩

「男一匹」 しまだ ひとし  (1965年3月発行)


男一匹
患者は千匹

おれひとりしか支えぬステッキより
舌(べろ)の方がたよりになる
ペタルを踏むように大衆運動を乗りまわせるときは
足の悪いことも忘れる

ライバルの毒を
薬にしようと思つたことはない
治ることとなら自分も治つてみたいが
おれの処方はおれがする

まともなことはできないのが
リーダーたる条件である
下肥(こやし)臭いやつらの影の小さいこと

機をみること男根にならない
<しやけいしゆぎ>のなんたるかは
パンフレットがある

逆さにしても足りないものは足りぬ
一本欠けているからといつて
おれがおれでなかつたことがあるか


(3)らい詩人集団発行『らい』第18号(1~2ページ)に掲載された島田さんの詩
 「ある田唄」  しまだ ひとし (1971年3月発行)

そんなに耳が遠いというわけでもないのに
眼と足が不自由になったじいさんは
話の輪に加わることもなく
ヘツドフオンを耳にあてたまま
ときどき大きな声でひとりごとをいった

つれあいは三十年前に亡くし
活きていれば六十になるという息子は
親の病気を嫌って九州に出たままで
じいさんの育つた中国山地の深い山あいには
もう肉親のだれもいないのだが
じいさんの心はそこにしかなかつた
――わしらの方では十月の六日が祭りで
 祭りの頃になると子供の帽子ほどもある松茸がとれるのだが
 わしはだれも知らんとこを知っているという

<無癩県運動>のカンパニアで
松茸や棚田の里から
じいさんが追いたてられてきてからもう三十年を越えるというのに
じいさんの日々はそこにしかなかった
追いたてられたくやしさを
性根深く喰いこませて
頑固に農民でありつづけるための
十分な歳月を働きづめてきたじいさんには
働らくことでしか守れない自分の所有というものを知っていたから
眼や足の自由を失なつて ベツトに伏せるようになっても
季節ごとの労作を心づもりの中ではかどらせ
ときどきは愚痴や懸念も口走った
ラジオがそれの相手をした。
それにしても
八十を越えて
生来のような頑健さを
じいさんの体つきがとどめているのは
それら日々の労作によるようだった。

病気になってこのかた
じいさんの思いどうりに動かぬまま
世間は変ってしまい
<無癩県運動>のさきがけをきった郷里でも
<里帰り>がはじめられていたが
じいさんはもうその条件も必要もなくしていた。
一日のほんどをベツトに伏つて
そのままでは気に入るものを流したことのないラジオであっても
耳にしているのだが
とりわけじいさんの気に入らぬ<ちかごろの歌>が鳴り出すときなどは
ヘッドフオンを押しやって
わしら方の田唄を口にすることもあるのだった。


 <無癩県運動>昭和十年代当初におこなわれた県下のらい患者一掃運動。鳥取、山口、岡山、愛知県などでは積極的におこなわれた。

 <里帰り>長期隔離のために故郷に帰ったことのないらい療養者に、郷土訪問の機会をあたえようという運動。昭和三九年よりはじまる。

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