スレッド一覧

  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:118/881 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

  「らい詩人集団の詩人たち」の詩 (第2回)~資料収集そしてその利用も東京中心意識から、「地域分権」の思想の尊重へ ~

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月14日(木)18時50分38秒
  通報
 

「らい詩人集団の詩人たち」の詩; 島田 等さんを偲んで(第2回)~資料収集そしてその利用も東京中心意識から、「地域分権」の思想の尊重へ ~

                  人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                        ‘08年08月14日(木曜日)18:50


私は、ハンセン病資料を含めて、首都というか「東京」や「ソウル」へ各地にある資料を「集中的」に集めて保存するのは、大反対です。

 東京に所在する「大学」に入学した当初、上野の松阪屋デパートで「唐招堤寺」展がありました。「鑑真」像がガラスケースの中に入れられ、光線があてられていました。

 確かに、「鑑真座像」のひび割れまで、詳細に見ることが、出来ました。しかし、果たしてこれでいいのだろうか、とても疑問を感じた若い時代に、思いました。

 「鑑真」像は、奈良のあの風景の中、「天平の甍」のそびえる大金堂の右脇にある小さな「お堂」に入っている、そして大金堂、大講堂の諸仏堂と共に、あの松に覆われた「唐招堤寺」の中でこそ、こころを込めて、まだ「歴史」を思って、拝観するものではなかろうか。しかも「鑑真」像拝観出来るのは、年に一度しか拝観出来ません。

 飛鳥の「桜井駅」近くの古寺。この寺院には、「廃仏棄釈」のあの時代、路上に棄てられた十一面観音像がお堂に安置されています。現在は「国宝」ですが‥‥。この一体の「観音像」を拝観するために、私は寒い2月お寺に、ただこの飛鳥のお寺にある観音像を拝観するために行きました。

 本堂の「うぐいす張りの廊下」を歩いた時、私の足裏の冷たさを四十余年経た今も、それを感じています。それが「古寺巡礼」だと、思っています。巡礼は観光とは違います。


 ハンセン病資料も、それぞれの歴史的景観の中でこそ存在し、資料がそれぞれの地域で
保存の仕方が検討されなければなりません。その保存や利用の方法は、多様ですし、地域
住民や地方行政、運動団体、市民団体などがその検討をすべきです。

 現在は、東京都青葉町にある「国立ハンセン病資料館」に行き、図書館にあうコンピューター で検索端末されたもののみを、「国立ハンセン病資料館」の閲覧室で見られるだけでしょう。所蔵している資料のすべてが検索端末で公開されて利用が可能になっているのですか。そうだとしたら、国家の恣意による「図書館の閲覧の自由」の侵害ではありませんか。

 国立ハンセン病資料館・図書室(概要)の記述された内要を同館の「ホームページ」で見ますと、つぎのように書かれています。

*閉架資料の閲覧
利用者登録(希望者には館内にて随時対応いたします)を済ませた方。
手続き:カウンターにて利用希望資料を請求してください。

*資料の検索
図書室内に設置してある検索端末をご利用いただけます。

*資料の複写
方法:電子複写(コピー機を利用)
料金:有料(B5~A3 いずれも1枚10円)

*利用にあたってのお願い
当室は貸し出しはいたしませんので、資料は図書室内でご利用下さい。

      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 各地域にある「公共図書館」や「大学図書館」には、「国立ハンセン病資料館」の所蔵目録すらありませんし、「相互貸借」や「資料の複写請求」も出来ず、東京都青葉町にある「国立ハンセン病資料館」に行き、はじめて、その地でコピーも可能となっています。


 関東大震災で東京帝国大学図書館に地方から集められた貴重な数多くの諸資料か消失しました。封建制度批判の江戸中期の出羽出身の思想家・安藤昌益著『自然真営道』の原本も、出羽から東京に移されて、関東大震災で東京帝国大学図書館の多くの所蔵資料は、消失しました。「国立ハンセン病資料館」の大震災を予想した対応は、出来ているのですか。

「国立ハンセン病資料館」にあって、各地方から集められた諸資料こそ、その地方に、「国立ハンセン病資料館」は返却して、その歴史的景観の中でこそ、資料は保存され、地域の住民は利用されるべきだと思います。なんでも「東京へ、東京へ」と集められ、東京でのみ、利用というのでは、資料か「閉架」されようと、「開架」されようと、広島の片隅に居住している身体障害で東京へ行けない私にとっては、全く「関係ねー」問題なのです。

 しかも、「国立ハンセン病資料館」の根っこのところは、国から膨大な予算を得ている「ふれあい福祉協会」が実権をもち、人事も予算も、運営も行ない、それに対する強力な反対運動は、なされていません。

 1931年に始まった皇太后節子(死亡して「貞明皇后」と追称)の誕生日前後の一週後は、未だに「ハンセン病を正しく理解する週間」となり、天皇制崇拝意識の上に、ハンセン病政策が行なわれています。こうした「国」のどこを12のハンセン病資料館の国立「分館」して、恒久資料保存の「要望」が出されるのか、私には理解ができません。

「地方分権」で、その地方ごとで、そこの人たちが「知恵」を働かす時代、ではありあせんか。


 私は要望がって、国宗直子さんなど「ハンセン病国賠訴訟を闘った」弁護士や訴訟支援者など5人を小鹿島(ソロクト)訪問の案内をしたのは、2002年3月のことです。その際、同時に放送局のデレクターの人も、小鹿島訪問の案内をしました。

 その頃、私に持病である糖尿病の血糖値は最悪で、小鹿島へ行こうとした時の血糖値は、ヘモグロビンA1Cは、12・8という非常に高い状態でしたので、主治医は「いま、韓国へ行くのなら、あなたの命の保障は出来ない」と言われました。「帰国したら、広島赤十字・原爆病院に必ず入院しますから‥‥」と私は主治医に約束しての訪韓でした。

 最初に放送局のデレクターの人とソウルでお会いし、ソウル駅から小鹿島へ行く「特急・セマウル号」に乗車し、発車して1時間後に私の病状を書き、病状は急変した時の対応を示した場合の処置を話しておきました。放送局のデレクターと入れ違いに、国宗弁護士や訴訟支援者など5人が小鹿島を訪問。その案内をしたのです。「わが身は、この度、たとえ果てるとも‥‥」という悲壮な気持ちだったと思います。


 帰国後すぐに、広島赤十字・原爆病院へ一ヶ月ほど入院しました。


 2006年1月24日(火)午前9時から、1月26日(木)午前11時まで、「小鹿島更生園・台湾楽生院ハンセン病被害者」に対する政府の【救済策】乃至【『補償法』見直し厚生労働委員会の審議】が通常国会で行なわれる時期に向けて、衆議院第二議員会館前の路上で、「謝罪と恨霊への祈り」50時間の座り込みの集いを行ないます、と昨年来、予告してきました。

 ところが、1月19日(木曜日)の早朝以来、国会議員からの連絡、またNHK、『朝日新聞』などの報道により、「日本の植民地統治下の時代に、韓国や台湾など国外のハンセン病療養所に入所させられていた人たちに対する補償問題で、与党は補償額を国内入所者の水準に合わせて1人800万円とするハンセン病補償法の改正案を20日からの通常国会に提出する方針を決めた。


 ‘05年2月の大雪に降った後の日、国会前で厳寒の日でしたが、25時間の「慰霊 の座り込み」をしました。夜明け前の零下に下がったなかでの末割り込みで、2時間余り、体のふるえは止まりませんでした。それらはみな、「こころ」だけではなく、闘う意志を「形」で、つまり、自己の意思を行動で示したものでした。2月3日の衆参両議院は、審議され、全会一致で「改正ハンセン病補償法」は可決、成立しました。


 陽明学者(例えば、大塩平八郎など)と、朱子学者との相違は、「知行合一」するか「理屈」に終わるかだと私は思います。そういう意味で、行動し「形」で示すことは、非常に大切だと思っています。

         ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 『らい』創刊号(1964年9月発行)に収録された「らい詩人集団同人」の詩を、2編紹介します。今日、読んでも、感銘深い詩だと思い、感慨を新たにしました。


(1)「日 記」 (北河内 清)=同人・星塚敬愛園

らいよ
今わたしはお前に
誰よりも
何よりも
親しさをこめて
呼びかける、

私はお前に
名前を奪われたとうらんだ
だが 名前なんか何んだっていいんだ
AであろうとBであろうと
三であろうと一億であろうと
お前が結核菌でもなくヴィルスでもなく
らい菌であるように、
お前に 肉親を奪われたと泣いたこともあつた
のぞみのすべてを絶ち切られたと思つたこともあつた
だが 今 解き放された自分を見出し
まやかしに目がくらむこともなく
私だけのわたしがいる、

らいよ
何よりも
誰よりも
感謝をこめて
今わたしはお前に呼びかける、

「らいよ!」


(2)「告 訴」(島村静雨)=同人・長島愛生園

――かつて
  この道を往く者は帰ることがなかつた
つばきもて追われたものは
生よりもはやく 死を宣告される

やみくもに 死を生きることが
ぼくらに担わされた掟なら
摘み取つて棄てられた花のように
棄てられた場所の
わずかな温もりと湿気を吸い上げて生きてやれ
――ぬかるみのなかに灯をともせ

それにしても
あまりに永い刑期を生きすぎた
――死刑執行人の怠慢か
  法の倦怠か‥‥‥
眼にうつるものみな平和なのに
眼にみえない捕縛がぼくらをがんじがらめに
拘束する
苦はそれよりも重く
日々の混沌を凍らせる

汗が喜びにつながるものなら
ぼくらにおれがない
目的が価値につながるものなら
ぼくらにそれがない

うばつた者が英雄なら
うばわれた者をなんと呼ぼう

ぞろぞろ ぞろぞろひかれていつた彼等
検束されたぼくら
――無罪は始めから解つていたのだ
無力なものが罪人なら
力あるものちから(・・・傍点3字)をおごれ
やがて おまえも裁かれる

ぼくらがおまえを告訴する
光る汗がぼくらのものとなるとき

 
》記事一覧表示

新着順:118/881 《前のページ | 次のページ》
/881