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 『愛楽誌~開園十五周年記念号~』(1953年)沖縄愛楽園発行の子どもの作品から(その2)~「作文」と「童謡と童詩」  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月17日(日)18時54分55秒
  通報 編集済
 

<『愛楽誌~開園十五周年記念号~』(1953年11月10日)、沖縄愛楽園発行の子どもの作品から>(その2)~「作文」と「童謡と童詩」~

                        人権図書館・広島青丘文庫  主宰 滝尾英二

                          2008年8月17日(日曜日)18:50

(承継)『愛楽誌~開園十五周年記念号~』(1953年11月10日)の100~103ページの『若竹欄』には、愛楽園の子どもの「作文」が三編と、「童謡と童詩」が四編、掲載されている。今回は、これらの作品のなかから四編を紹介したいと思います。


 今から五十数年前に、これら「作品」を書いた人たちは、現在は六十歳代だと思います。その後、どのような多難な途を歩まれたのでしょう。よければ教えていただきたいと、思っています。


(1)「故郷を偲ぶ」  中一 平 良 仁 雄

 私が病気の為に、故郷と別かれたのは十才の時でした。それは今から三ヶ年前の或る寒い日の事です。お正月を目の前にして、友達との美しい計画もありましたが、病気の為に仕方なく友達にも何もいわないで、こつそり来ました。心の中では本島にすまないと思いつつ、夜が明けたばかりの島のさんばしを、お父さんといつしよに逃げるように出発したのです。

 あれから日のたつのは早いもので、私もこの学校の中学生です。来てぢきは寂しかつたが、なれてくるとお友達も皆んなやさしく病気もプロミンという新しい薬のおかげで、大部よくなりました。しかし三ヵ年も故郷を離れていると何となく家が恋いしくなつてきます。お友達との楽しい思ひ出や、船の中で私を励まして下さつた、お父さんのあたたかい手のぬくみがじーんと胸によみがえつてきます。

 本島に家のあるお友達は夏休みなどよく帰省します。私はその人達の話をきくたびにうらやましく、自分もどうかして一度は家に行つてみたいと思ひました。

 或る冬の夜のことでした。友達も寮のお父さんもひばちのまわりで、あたたまつているときでした。家に行く話をしていたので、私は自分一人ねどこの中でその話を聞いてじつとしていました。自分はさびしい気持がしました。そのときでした、心の中で父に手紙をだして、お正月には家に連れていつて下さいとお願をしようと考へました。

 私はランプをつけて、起きて手紙を書いてよく朝送りました。父からは早速返事がきました。私はなつかしさで封を切るのももどかしく開いて見ると、お前のお願ひならばお父さんが次の船便で連れに行くからまつていなさいと、書いてありました。そのときの喜びは天にでも上るような喜びでした。私はお父さんの来られる日を指折り数へてまつていました。


(2)童謡 「母 恋 し」  五年 上 地 文 子


 月夜の浜邊で泣く千鳥

 親をさがして泣いているの

 私も一人よ、ひとりぼち

 亡き母恋しと泣いてろの

 あの世の母さんいまいずこ

 千鳥よ一緒に泣きましよう

 月のおもての曇るまで


(3)童詩 「か げ」  三年 島 袋 文 子


 小ちやな岩の上にのつて

 じつと波を見つめていt。

 波がゆれると

 うす黒い私のかげも

 ぐらぐら、いくつも

 そこでもうごいていた。


(4)「母 の 日」  保育所中一 宇 良 敏 子


 母の日が近づいた或る日、先生から、お母さんのお元気で、いらつしやる人は赤いカーネーションを、お母さんを不幸にして亡くした人は白いカーネーションを母の日には胸にさすのだということを教へて頂きました。私は、学校から帰つて早速赤い布切れで大小二ツのカーネーションを造りました。母の日が待遠しくてたまりませんでした。

 今年の母の日は、丁度日曜日に当つて居りましたので、安子姉様と光子さんと三名で母へ面会に行きました。いつも十米位も遠くに離れて面会する悪い習慣があるのですが、私はこのことを一番淋しく思つて居りましたので、母の日には思い切つてお母様の胸へ、直接私の造つた大きなカーネーションをつけて上げました。お母様は私がカーネーションをつける間ジット眼をつむつていらつしゃいました。

 私は小さい声で「お母様有難う」と申しました。お母様は嬉しいの悲しいのか私には分かりません。カーネーションをつけ終つてからも暫くの間、お母様は元もまゝの姿勢でいらつしやりました。来年の母の日には、もつと大きなカーネーションを上手に造つて、お母様に差上げたいと思いました。

         ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

【後記】『愛楽誌~開園十五周年記念号~』(1953年)の98ページに、小島住夫さんが短歌二首が掲載されていました。ご参考までに、紹介しておきます。

  断食し日本復帰運動せし大島の悲願愈々かなへり
  隙間より吹き込む風の冷たさに本建築を乞ひつゝ臥し居り

 最近は、パソコンのディスプレーの文字が、二重に見えるよになりましたが、その要因は不明です。誤字・脱字が多いのも、そのためかとも思います。ご容赦下さい。(滝尾)

 
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