スレッド一覧

  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:112/881 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

「らい詩人集団の詩人たち」の詩、島田 等さんを偲んで(第4回); 詩・「こぶしに寄せるうた:表紙の絵に」 境 登志朗 作

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月20日(水)21時00分19秒
  通報
   「らい詩人集団の詩人たち」の詩、島田 等さんを偲んで(第4回)


                人権図書館・広島青丘文庫   滝尾英二

                    ‘08年8月20日(水曜日)20:56


 8月12日(火曜日)の滝尾のホームページの投稿で島田 等さんが、らい詩人集団発行『らい』(創刊号;1964年9月発刊)に掲載された『再発』という可なり長い詩と、「うたわれたことと うたわれなかつたこと」の論考を紹介いたします。(「うたわれたことと うたわれなかつたこと」の藤本松夫さんの事件に関する記述は、十数字ほど省略しました。)

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「うたわれたことと うたわれなかつたこと」 しまだ ひとし
(『らい』・創刊号、10~11ページの後半部分です)。

(承継)らいの詩のテーマをたどつていくと、一つの生活圏との離脱と断絶、そしてそれにともなう動揺と、それへの対処と云う一つの軸があることがわかります。体験の非人間的云つていいこの面は、はやくから患者の詩の主要な場をしめしていました。

 しかし詩を通じてなされたこの動揺への対処が、どのようなものであつたかと云えば、すでにのべた形象の基本的な評価をでない訳で、したがつて問題は、うたわれたものより、うたわれなかつたものの方に多くのこされたと云える。「伝統」をふまえて考える場合、何がうたわれなかつたかと云う接近を合せて行う必要があると思うのです。


 私たちの詩の原型と云う点から、昭和十年以前の作品をふりかえつてみて目立つことは、自然界(季節・天象・植物・鳥・虫)を題材としている作品が圧倒的に多いこと、そしてその自然への感受性と発想は、伝統的な日本社会の美意識の枠の中の、貧しい再生産を出ないこと、この美意識の固定性、通俗性は、文字と文学の方法への自覚を欠落させ、素材と実感、によりかゝる経験主義を根強くはびこらせることにあずかつて力があつたらしいこと、らい体験の特異なきびしさがそれを助長したと云え、基底にはそう云つた美意識をつちかつた生活圏(生産と生活の共同を維持させたところ)の束縛が、作者の形象能力の開発にも否定的に作用をし続けていつたとみるべきでしょう。


 美意識が一つの倫理であり、「正義感・道徳感を離れて考えられない」(田村隆一・現代詩手帳六四・五月号)とすれば、私たちの詩作を支えた世界感の固定性、通俗性であり、それはらいの発生が日本社会の停滞性を支えていた、農山漁村地帯に集中していた事実と対応すると考えられます。

 いわゆるらいの詩のエクセントリックな性格と云われるものは、きわめて現代的な意図と政策の中に、突然まきこまれた前近代的な生活様式と感受性の持主たちの、困惑を反映したものではないでしょうか。


 私たちの美意識の通俗性、閉鎖性は、人間(人事・社会)を題材にとるとき、いつそう自然に働いています。はげしい生全体の動揺ののち、送りこまれ住みつかねばならなかつた小社会の生活を、心情的に順応させ、支えさせるにも、伝統的な美意識が大きな役割をはたしたはずです。

  むさしの原のまん中で
  おいらのすむとこよいところ
  桔梗かるかや女郎花
  秋の草花咲きみだれ
  空には飛行機軽気球
  夜は寝ながら虫の声
  むさしの原のまん中で
  おいらの作(住)むとこ別天地
    (KH生「別天地の秋」山桜・前掲号)

 美意識を介し、私たちのうたを真実から遠ざけて来たものと、私たちにらい体験を背負わせたものの同一性をみました。

 私たちの課題もこの同一性をくぐらずしては、上辷りなものになると思います。私は、処刑された藤本松夫氏の事件をめぐる、TBSの録音構成の中で、藤本氏の母がたとえ自分の息子が無実であろうと、らいとわかつた以上死んでくれた方がいい(註;滝尾は、この「TBSの録音構成」を聞いていないし、また、そのテープの収録録音も、現在まで聞いていません。)と云つた声を覚えています。彼女にそう確信させているものの頑くなさと責任にくらべ、私たちの生というたは、彼女よりきびしく、無知でないと云えるでしょうか。

(付記)私はこゝでらい体験と云う言葉をなんども使用しましたが、私はそれが素材として、直接、詩の中に使われるかどうか、使うべきかどうかを問題として考えているのではなく、私が云いたいことは、私たちの詩のひろがりときびしさを、体験のそれに近づけ、対応させたいながいをのべた訳です。私たちはそれぞれ思想的・宗教的・政治的立場のちがいにかかわらず、体験を共有しているのですから、それぞれの立場からの方法と思考を通じてなされる接近でそれぞれにせまりたいものです。

        ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「こぶしに寄せるうた――表紙の絵に――」 境 登志朗
(『らい』・第18号、1971年3月発行、2~4ページに収録されている)。

 【備考】同冊子の「あとがき」には、「※表紙の画は栗生楽泉園(群馬県)の遠藤定美
さんの描かれたものです。遠藤さんは楽泉園内の同人、小林弘明さんの依頼に応じられたものえすが、御厚意を謝して使用させていただきました」と書かれています。


 おお なんと立派ならい病の手よ、
 おお なんとたくましいらい者のこぶしよ、
 病んでおなじ道程をあゆむ仲間の手と
 瀬戸内海の小島に住むぼくの手と
 群馬は白根おろしの風にたえられた
 きみのこぶしに
 日本のらい行政の峰でかたい握手をかわす、
 共に浸されて仮死状態の手は冷めたくとも
 かさねあった手とこぶしは
 残雪のなかで燃える蕗のとうのように
 早春譜をかなでる。

 きみのそのこぶしは
 きにようきよう うぶ声をあげたものではない、
 10年を20年を
 らいの戦場でたたかいぬいてきた
 百戦練磨の勇者のこぶしだ
 いっぽんいっぽんの指の屈折といい
 肉脱した骨格の稜線をうきぼりにして
 退化したひずめをおもわせる爪たちよ。

 きみはふるさとに妻がいるのかね
 いれば子供を残してきたことだろう。
 それとも ひとり身なのか
 知るよしもないが
 若くしてらいの洗礼を受けたであろうことに
 間違いなさそうだ
 ながい病暦の序章のタクトがふられたのは
 その日からか――。

 きみのこぶしは
 まぎれもなく働く者のこぶしよ
 くにで田畑をたがやし 農閑期には都会で
 現金収入をもとめた出稼ぎの手か、
 あるいは、「赤紙」一枚で戦場に追いやられ
 銃口の引金をひいた無我の手であつたのか、
 いま変形した手にうずくもの
 憤怨は16の菊の紋章にか……

 きみの生立ちはせんさくするまい、
 いずれもらい者は強制収容か
 非情な入所勧告をいつさいならず受けたことだから
 離別の涙にぬれたこぶしは
 らいのみの闘病ではなかったね、
 好むとこのまざるとにかかわらず
 患者が患者を看とる付添を強いられてきたね、
   (いまもなお一部で付添がなされている)
 作業賞与金とひきかえに
 手足の指の欠落をはやめたことは事実だ
 所内運営の安上り政策や行政面で力を
 出しつくしたこぶしよ、
 あの時「らい予防法」改悪のおそれありとみて
 国会陳情に仲間とともに馳せ
 「ガンバロー」突きあげたこぶしは
 まつかにやけてはいなかったか。

 続けてきた作業と治療、
 腕の血管に薬液が流れながれて
 静脈は肉にうもれて菌は死滅
 ながいいくさのすえ
 勝者にのこされたものは
 後遺症のあるらいの手よ、
 こぶしよ、

 遠からずむかえねばならぬ老齢よ
 老後よ
 たれも「老人よ案ずるなかれ」と差しのべる
 手のぬくもりのなさよ、
 らい者のきみの健康的なこぶしよ、
 受難の時代はこれから
 いまこそこぶしは目となれ耳となれ!!
                           ――つくられた断層 (九)――
 
》記事一覧表示

新着順:112/881 《前のページ | 次のページ》
/881