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 「らい詩人集団の詩人たち」、島田等著「ふたたび美意識について」(第5回); 詩・「二十三年目のふるさと」 境 登志朗!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月21日(木)22時34分46秒
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「らい詩人集団の詩人たち」の詩と、島田等著「ふたたび美意識について」、島田 等さんを偲んで(第5回); 詩・「二十三年目のふるさと」 境 登志朗 さんの作品


                      人権図書館・広島青丘文庫   滝尾英二

                          ‘08年8月21日(木曜日)20:56

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「ふたたび美意識について」:うたわれたことと うたわれなかつたこと(3)  しまだ ひとし

 私は創刊号で「美意識を介し、私たちのうたを真実から遠ざけてきたものと、私たちにらい体験を背負わせたものの同一性」についてのべました。(「らい」創刊号11頁)

 私が日本人の美意識の問題に注目するのは、一般的な美学上の関心からではなくて、私たちの詩作品をさかのぼつて読み返しながら、その世界の平俗性におどろき、そしてそのような詩的世界をささえている美意識をあらためて考えさせられるからです。

 この伝統的な日本人の美意識の強靭な普遍性のまえに、私はたちのらい体験も為すところなしといつた形のいまいましさから、いつそう、私はその意識の形成と存在の過程に興味をわかさせられます。


 私がいまのべている日本人の伝統的な美意識というのは、風雅とか、つれずれ、あわれとか、はかなしとかいつた内容のものをさすのですが、そういつた意識が、日本人の美意識の歴史に一貫して存在したものでないことは、今日このことにふれる文献が使つている目録をみてもわかりますが、たとえば唐木順三は無常というテーマの論考を「和泉式部日記」からはじめています。

 記紀や万葉のうたからうける美感は、はかなさとか、無常とかいつた中世以降の感覚とは対照的なものがあり、それだけに私たちは現在、日本的な美感、美意識といわれるものにたいし、それが日本人本来のものという感覚を全面的に、もてないし、むしろそこにはなにか、歴史の偽りといつたような、あるいは歪めさせられてしまつているものがあるのではないか、と考えるのですが、「はかなしから無常へ、そこはとなき無常感覚または無常実態から、てっていてきした無常観(・)へ」(『無常』一〇頁)の日本的心理と思索の跡ずけをこころみたという唐木氏の著作『無常』を読んでも、王朝文芸や、中世近世の僧侶、作家たちのなかに、次第に形成されていつた「日本的」美感、美学というものの時代や社会との対応のなかでの説明にうなずきながら、しかしひとたび当面の関心であるわれわれ=日本の庶民大衆にひきよせて、むしろしばしば、はかなし、無常の美学の創造者たちとは対立的であったかれらの生き方の中に、どのようなモメントがかれらにかの美学の浸透をゆるし、受けいれさせていつたかをたどろうとすると、手がかりを失う思いです。(以下、島田さんの論考はつづく=滝尾)。


 詩を一編紹介s、少し休憩しよう。らい詩人集団発行『らい』第17号、1970年4月発刊の巻頭詩です。1~2に収録された境 登志朗さん作詞の「二十三年目のふるさとで~つくられた断層(九)である。

 望まれて帰郷したのではない、
 思う場所があつての里帰りでもない、
 なんだって俺は いちど捨てた
 ふるさとへ行つたのだろうか。

 ふるさとの古ぼけた生家は
 あのジェーン台風とか洞爺丸台風とかで
 あとかたもなく崩潰してしまつた。
 身内といえば
 兄夫婦がふるさとに住んで、
 とつくの昔に母は他界して
 やもめ暮しの父は 八十の声をきくや
 ぽつきり枯木のように死んでしまつたとか、
 これもあとになつて知つたことだが。

 あの日あのとき
 心のささえを奪われてかたむきはしたが、
 いつかはすべてに別離の受難劇の主役を
 演じなければならぬことだから
 いつも心に杖をあずけておくのだ が。

 小作の家に生まれ
 母の生存をしらぬ俺にはこれといつた
 甘ずつぱい感傷など ふるさとの野道に
 こぼれていようはずもないのに。

 両親の墓参を口実に
 県庁あつせんの二泊三日の
 「郷土自主訪問」の日定を終えたあと
 一行と別れて、
 らいを病んで村人の目と口に追れた
 ふるさとへ足を向けたのだ、
 二十三年ぶりに――

 いま まのあたりみるふるさとはどうか、
 かつては無人駅だつたがいまや駅員が働いており
 国鉄K駅行きの定期バスは発車を待ち、
 国道一号線はまさしく
 すきまなく流動するトラツクの群れ、
 野良着姿の農夫はついぞ見かけないが
 収穫の秋のみのるひとときの間を
 どこへ行つたのだろうか、
 この濃尾平野の一角
 尾張と三河の境界線ぞいの
 農村部落だというのに、
 スーパーの野菜よくだもの売り場に
 むらがる主婦たちのエプロンが白い、

 舗装された県道ぞいの家並みのつくりは
 はなやいだ明るさだ、
 農地をつぶして「トヨタ」の工場がでんと構え、食品工場が建ち、
 まだこれから埋立中のあとから
 いくつかの中・小工場も操業をはじめている、
 家々の鋤や鎌や耕作道具は
 土塊がとられた納屋にねむって働き手を
 待つているのではないか、
 村人の目をおそれながらふるさとを恋うる
 ちぐはぐな感情、
 真昼間の部落はあかるい静寂。

 たまにゆき交う農婦はふりむかない、
 戸口に立つ老婆はいちべつしただけで、
 つっけんどうに拒むふるさとなら
 かまえる姿勢に力もはいろうが
 なぜか ふるさとと言葉をかわす対話を
 みうしなつてしまつたようだ。
 俺がらい者だからか、
 他国ものだからか、
 歩くと汗ばむ太陽光線、
 うれてゆく稲穂と風と豊饒な大地のにおい、
 小学校からながれてくる児童のかん声、
 鉄橋を突ばしる名鉄電車、
 めりこめられるような安堵感は得られないが
 いすくめられるような恐怖感もない、
 ふるさととらい園を結ぶにはあまりにも
 ながすぎた距離。

 あすからまたふかまるであろう
 ふるさととの断絶を
 記憶のカラーフイルムにしかとおさめておけ。
 さくじつのこと人目をさけて熱田の森で
 対面した兄嫁の
 『らいの家系』は村人のなかになお沈潜していることをも――

 
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