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「凧のうた」境 登志朗~島田 等さんを偲んで(第七回)~を読まれた方から感想が届きました。多くの方と共有したいと思います

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月26日(火)06時23分41秒
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 「凧のうた」境 登志朗~島田 等さんを偲んで(第七回)~を読まれた方から、つぎのようなメールが滝尾宛に届きました。ご本人には、ホームページ掲載は、まだ得ていませんが、この詩の感想・意見を多くの方々に読んでいただき、共有したいと思い、紹介させていただきました。よろしくお願いするとともに、メールを送っていただいたこ方に感謝いたします。

                   人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                      ‘08年08月26日(火曜日) 06:09


 境 登志朗さんの「凧のうた」のなかに;
「おのが身をよじり 傷つけても」というフレーズがありました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【滝尾:註記、『らい』25号、1980年2月号より】

「凧のうた」境 登志朗           (「凧のうた」部分)

<凧 凧あがれ
天まで上がれ>

 ― 中略 ―

凧は
終生凧であることに悔いない
といえば嘘になるであろう
凧は
凧をしばりつけてる不法な権力の綱なら
おのが身をよじり 傷つけても
切り離したいのだと
凧は

凧よ!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 己をしばりつけている糸ないしは綱が見えているものは、たとえ「おのが身をよじり 傷つけても」それを「切り離したい」と思うであろう。

 けれど、己をしばりつけているシステムの糸の見えていないものにとってもまた、見えない糸で拘束され規定されていることに変わりないとすれば、己を繋ぐ糸の見えていないもの、ないしは〈権力〉および〈制度〉の綱が見えていないものにとって、己をしばりつけている糸ないし綱が見えていないことの不幸に無自覚でありつづけることは、幸いであるといえるだろうか?

 あるいは、己は繋がれてもいないし、傷ついてもいないという人たちもいるかもしれない。

 それゆえに、もし「おのが身をよじり 傷つけても」という人の痛みに想いをいたすことすらしないとしたら、それをおのが〈自由〉と錯覚しはしないにしても、幸いであるというだろうか。

 〈自由〉とは、また〈幸い〉とは、なんなのでしょう。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 全患協~全療協は、「らい予防法」廃止までは、むしろ〈権力〉に繋がれたままでいることを受け入れた上でそれを逆手にとって処遇改善・生活向上のための闘いを展開してきたように思います。それを今は、〈人権闘争〉という美しい言葉にスリカエて表現しているようですが、その路線は一貫して変わっていないようです。

 いまや、全療協は、厚労省健康局疾病対策課ハンセン病問題解決に関する“出張所”となり果せているのじゃないかしら?

 
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