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  島田 等さんを偲んで(第八回)~「永丘智郎・書簡」(一九八二年)から、「北条民雄研究」と「川端康成論」の見直しの必要~!

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月26日(火)10時41分53秒
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島田 等さんを偲んで(第八)回)~「永丘智郎・書簡」(一九八二年三月十五日付け)から、「北条民雄研究」と「川端康成論」の見直しの必要について~


                     人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                        ‘08年26日(火曜日) 10:38

 “サークル紹介・らい詩人集団” 「孤独から連帯へ」(転載:「読書の友」第三五八号、一九七〇年一月十九日号より;『らい』第17号=1970年4月発刊、9ページ掲載)の文面から紹介しよう。

資本主義社会では、貧困層が長わずらいした場合は悲惨であり、殊に「政策」として離島に流刑者さながらの運命を強制されたハンセン氏病患者は、らい詩人集団のしまだひとしの連作「日本らい政策」の一部分にものぞいているように辛酸をきわめる。

 不断に襲つてくる失明の恐怖、ゆるやかなテンポでやつてくる死、社会からの断絶感と孤独は、多くの患者を宗教へ向かわせる一方、文学者が長期療養中よく文学をつちかう例のように、北条民雄や明石海人に代表される「癩の文学」の水準の高さには、肉体に背かれた魂のはげしさが秘められていた。

 しかし、孤独な文学は、結局孤独しか産まない。魂たちを闇から光の世界へ解放し、互いに励まし高めあう詩運動を展開できぬものか。

「人類の長い歴史を階級の逞しい手で/くもりのない鏡にしたのはあなただけだ」と党をたたえ、その鏡に映す時「曲つた手、植毛のおれの顔は醜態ではない」(「うつむいては先が見えない」『らい』12号)と認識するつきだまさしが、鹿児島から岡山の愛生園にしまだひとしを訪れ、らい詩人集団の夢の口火に点火した時、彼の内部には「らいの歴史を、日本の歴史まで高めることだ/らいはおれの根拠!/党よ!」という災の自負がうず巻いていただろう。

 六四年八月、集団が全国から参加した十五名によつて結成されると、その綱領ともいうべき「宣言」につきだの災は継承される。それは表明している。

「私たちは詩によつて自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする人々を結集する。」「私たちは対決するものの根づよさをようやく知りはじめたところである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たち自身の苦痛をはなれて対決の足場は組めないから」

 「固執」という誤解されやすい表現をもちいてまで、病気の坐に自己を引きすえようとする姿勢は、この部分だけにとらわれると、セクト的ではないかという批判も出そうだが、他方「宣言」には、らいとの対決に重ねられて、日本社会のさまざまな課題との詩的対決がとられているのである。無論、しまだが言うように、詩によるらい体験の追及、対決とは何かに答えるものは一切ない中で、集団は体験と表現の間に横たわる困難にまず直面しなければならなかつたのである。

「ライにかかつていつどは死んで/きょうまた死んでどうなさる」(「死ぬふりだけでやめとけや」)と歌う谺雄二、連作「つくられた断層」を書き続ける境登志朗、沖三郎、しまだひとし、つkだまさしらは、らい体験を社会的主題によつて貫くことで、自己表現の出現を昇華させた詩人たちである。新薬プロミンの出現でハ氏病の治療が可能になつた現在、園の内外を結合する役割を彼らに期待すると同時に、「らいに固執する」事の検討を望みたいと思う。(三方克)(「読書の友」第三五八号、一九七〇年一月十九日号より)

         ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 さて、島田 等さんは「二つの疾病 二つの自伝」(『愛生』1995年4月号;島田 等 遺稿集『花』53~66ページに収録)の中で、つぎのような示唆に富む記述をされています。紹介しましょう。

「‥‥‥差別は、社会的優者、健常者と、社会的弱者、障害者との間にあるだけでなく、被差別者の間にもあります。」(遺稿集『花』54ページ)

「‥‥‥差別は社会的に根を張るまでには、決して個々の動きだけで形成されるものではありません。現われは個別であっても、それは社会的な多数意志であり、その意志を形成させるものが何であれ、差別者はいつも多数を恃みます。偏見を持つ者にとって「常識」なのです。ひとり歩きする常識です。被差別者は否応なくその常識に対峙させられます。絶え間なく多数者と向き合います。」(遺稿集『花』54~55ページ)

 そして<付録「永丘智郎・書簡」(一九八二年)>が、遺稿集『花』62~66ページには収録されています。その「永丘智郎・書簡」(一九八二年)から、何箇所かを紹介しておきましょう。

「‥‥‥次に『倶会一処』(多磨全生園患者自治会編)などは、書名からおかしいし、内容に至っては新聞の社会面も顔負けという低俗ぶりです。ゆえに、園の内外に“にくしみ”のみをぶちまいたという結果になっています。(中略)そして、必ず北条民雄、川端康成を登場させ、刊行の目的とは離れた編集ぶりで、おまけにそれら二名の評価がまちがっているので、あと味のわるさを倍加させています。」(遺稿集『花』63ページ)

「‥‥‥たぶん、そのときに、北条文学が「生活記録」であるということを明らかにすることができるでしょう。誤って作家扱いを受け、小説を書いていたような錯覚を本人がしていたとしても、彼と同時代人として生きた私には、当時の死へのおびえが生んだわれわれに共通の「生活記録」であるといえる確信があります。(中略)ライ者の自覚も強く所有しながら、時代とともに生き、そして死んだのです。私たちは立場、心情が全く同じであり、ただ、生き残っているのが異っているだけです。おそらく、彼の評伝も書き直されるべき運命にあります。そして、その視点は、生活記録(4字傍点あり=滝尾)の書き手としてです。また、北条研究は、川端康成論からの見直しが必要です。」(遺稿集『花』64~65ページ)

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 らい詩人集団発行『らい』誌に、毎回のように、“いれづみ”人生のような「きき書き」が掲載されている。最底辺を生きてきて、現在、ハンセン病療養所に入所している人々の聞き書きである。有名人だけの生き方でない記録を私たちは、『らい』誌で知ることが出来る。(滝尾)

 
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