スレッド一覧

  1. 下目黒の恐怖の精神虐待魔について語るスレ(6)
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:100/881 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

  島田 等さんを偲んで(10) 「分からないということの先 ~うたわれたこと、うたわれなかつたこと<2>~」; 詩二編

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月28日(木)08時21分43秒
  通報
 

 島田 等さんを偲んで(10) 「分からないということの先 ~うたわれたこと、うたわれなかつたこと<2>~」(らい詩人集団発行『らい』第2号、1964年12月発刊より)


                    人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                     ‘08年8月27日(水曜日) 23:30


  「まあ詩というものをよく知らないから分からないが、あの詩は……自分からこれを
  作つてやりましよう、ということで書いたんじやない。小説の場合だと、自分はとも
  かくこれがqいいたいからというので書くんだけれど……」
  「詩では抵抗というか、社会にたいする不当だという感じはなかつたが、創作の場合
  それがあつたんだな。ともかくこんなところで一生終るんか、ということにたいして
  抵抗感があつたことは事実だ」

 これは今年会結成三十年をむかえた長島詩話会の詩誌「裸形」二四号のなかで、初期に会員であつた人たちにインタビューした記事の一部である。そのなかで、それらの人たちが、詩を書きはじめ、そして詩を離れていつた事情の説明が共通していることと、さらにそのなかで、詩を離れて小説に移つていつた人たちが、詩と小説での創作態度の違いといつたものを問われて説明していることが、また共通している(上掲文)ことがあつて注意された。

 かれらはいずれも、分らないまま詩を書き出し、分らないまま詩から離れていつたといい、一方ではしかも書かずにいられなかつた何か(私はそれを詩でなければならなかつた何かというふうにとりたいのだが)があつたことも、あわせていつている。


 詩が分かるとはどういうことか、ということになると、私じしん分らない一人であるわけだが、ただその分らないということの意味が、自分のテーマをもつとか、テーマにふさわしい方法を意識するとか、つまり何を書こうとするかという意識を抜きにして、書こうとしていたということをふくむとすれば、そこには問題にしなければならないものがあると思う。すくなくともかれらが小説を書こうとするときもつた意識は、詩にとつても必要ではないか。このことは、詩の成立が論理的認識を越えるところに、越えるところをふくんで成立する過程があるとしても、その過程をすこしもそこなうものでない。


 分らないという言葉はひろい広がりをもつているが、そのなかでも、どう書いていいか分らない、何を書いていいのか分らないという作者の姿勢、発想とかかわる段階での分らなさは、しつように、分るようにくい下つていくべきことがらではないか、と思う。

 詩を書きながら分らなさにつきまとわせることは、だれしも経験することだが、なにが私たちに詩(詩作)を分らなくさせているかということについて、私はここ一、二年、詩を書きはじめた人たちのあいだにまじつて考えたことは、詩への入り方、詩を書いてみたいと考えるときの詩のとらえ方に、すでに(三字傍点あり=滝尾)問題があるように思う。それは一方では詩のイメージが固定化されていること(学校教育の中での詩のとりあつかい方にも大きな責任がある)と、それとつながつて一方では、現実ばなれを試みるための手軽な便法として(現実ばなれを要求させるものがいかに多いことか!)、詩が利用されるという事情がある。

 つまり何がかれらに詩を書かせたくするのか、というところへ立ち戻ることをせずに、既製の概念にそつて詩を書いてしまうということ。それらの、詩を誤まらせているもの、あやまらせようとしているものこそ、私たちに詩を必要とさせている根であるはずである。


 だから固定的な詩の概念、固定的な詩のイメージで詩を書くことじたい、分らなさを増殖させることになると思う。

 だから自分のもつ詩の概念、詩のイメージをふりほどいて、もつている固定さにどう気付くksということが大切になつてくると思う。固定的な詩の概念を延長しようというものを――教科書であれテレビのCMであれ、裏返す眼というものが、分らなさにとらわれないことにかかわつて、必要になつてくると思う。

 つまり書きたいことをはつきりさせる手続きを、ぜひとも踏んでみる必要を私は主張する。それは、感動にそのまま言葉を与えることが制作のようにうけとられていることが多い詩の場合であるだけに、必要なことではないか。そうすることで、自分の書こうとしていることがらに、興ざめをおぼえることもすくないとしても、それらのことを意識することも、広い意味で詩作の機能ではないか。

 そうでないと、私たちはいつも感情のあとをなぞるだけに終つて、感情そのもの(全人間的なあらわれとしての)を変えていくモメントを見送っていく――つまり詩作を、美と人間の深化と変革のモメントとしうる機会を生かせなくなるのではないか。

つまりモチーフのもつ可能性をたしかめるという手続きをつうじて、鋭敏だが気まぐれでもある、それだけに自己の可能性と欠けているものに正直な感性の、その感性を動しているもののリアリティ――それは個人的であるとともに社会的だ――に、接近することを助けないか。現実の主体的な(主観的なでない)あらわれである感情の、主観的な側面をぬぐいとることは、私たちの詩の基盤を強固にするための欠かせない条件でないか。


 長島詩話会三十年のなかで、この分らなさの行方は、ある人にとつては小説への推移であり、ある人にとつては俳句や短歌への没入である。そして他のある人にとつては、書くことから離れることであつた。分らなさを、詩を書くことをつうじてかかわりとおした人は――詩を書き出して間もなく死んだり、自殺した人をのぞいて―― 一人か二人ぐらいしかいなかつた。

 詩の分らないさは端的にいつて、私たちをとりまく世界のなかでの、私たちのとりうる位置のあやふさであり、無力さであるなら、分らないのは作者の視点であつて、詩の方ではないといえる。

 だから、詩を分らなくさせているものこそ、詩を必要とさせるものだといえる。分らないときこそ詩が必要だといえる。


 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「根 絶」  くろだ・よしたか (邑久光明園 「らい詩人集団」同人)
    (らい詩人集団発行『らい』第6号、1965年3月発刊、19ページ収録)

  根絶、根絶
  根絶……
  根絶!
  ライの歴史は
  根絶で初まる

  ライ根絶期成同盟会
  奉納

  島の光明皇后社
  の石燈籠に刻みつけた
  印
  朝な夕なに参拝し
  日夜に小便をブッかけた
  やつはだれか
  苔むす象徴は
  今日も明日も
  健在を誇る

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「試 練」  水 本 静 香 (埼玉県在住、菊池恵楓園大所者)

    (菊池恵楓園入所者自治会機関誌『菊池野』第638号、2008年8月発刊、26~30ページ収録の「身辺雑記<2>から、文中詩より:=「某月某日 所沢の並里先生を訪ねる。‥‥築地のガンセンターに‥‥〇六年六月七日入院、九日手術。‥‥病院を退院して再びクロちゃん(六十歳くらいのオッサンが飼い主の真黒のオスの雑種犬)を抱けた時、そのしぐさや体温が生命の動きがありがたくうれしかった。

   「試 練」

  ウィスキー半分も空けて
  御主人様は眠ってしまわれた。
  ボクに
  「待て!」と言ったまま。

  ボク三歳 雑種 オス

  困るのよヨッパライは
  ふだんは
  あらゆる抑圧からの解放だのに
  共生だの連帯だの吹いているのに

  肉は骨の側がいちばんうまい
  残りものにしては超豪華
  皿のスペアリブの肉汁はとろとろ
  試練の時
  「待て!」

  翌日
  ボクは
  片眼に眼帯
  片足包帯
  松葉杖をついていた

                    (埼玉県在住・恵楓園退所者)

     ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
》記事一覧表示

新着順:100/881 《前のページ | 次のページ》
/881