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 らい詩人集団の「宣言」の思想と内容は、現在の社会でもなお、不変である!  「東風吹かば」に掲載されたご意見に対して  

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 8月29日(金)01時02分20秒
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 らい詩人集団の「宣言」の思想と内容は、現在の社会でもなお、不変である!

                   人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                    ‘08年8月29日(金曜日) 01:00


「‥‥らい予防法が廃止され、裁判で国は誤りを認めました。
いままで差別に苦しんできたそれが患者さんの創作の原点だったと思います。「凧のうた」はそこに位置した詩だと思います。
しかし、裁判以降、これから創られる詩は、今までとは違った詩に当然なると思います。
境さんに、差別とか隔離とかの括りから解かれた新しい詩の領域を開拓してほしいと思います。それが、真に人間回復がなされたことになると思うし、つくられた詩はそれを証明するものになると思うのです。

境さんは今年81歳という高齢だそうですので、老いの厳しい現実があることと思います。それに紛れてしまわない、新しい個我の開拓を期待したいと思います。」


 上記の文は、「東風吹かば」に掲載されたものである。らい予防法廃止や国賠訴訟裁判の結果、国が誤りを認めたことは、差別とか隔離とかの括りから解かれた新しい詩の領域を開拓となるか、否かを、私はこのホームページで論じる気はしない。

 81歳である境さんの壮年期につくられた詩の何篇かを紹介して、その長い人生(人の「歴史」)にとって、過去を「らい予防法が廃止され、裁判で国は誤りを認め」たことで、「差別とか隔離とかの括りから解か」れるかどうか、これは私(4歳年下の77歳ですが‥‥)の過去の経験を振り返っても、そのことは容易ではないと思うし、またそれは必要であると思う。


 島田 等さんたち「らい詩人集団」の「宣言」(1964年8月)でいう「自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする」こと。「日本の社会と歴史が背負いつづけた課題」である「私たちじしんの苦痛をはねなれて‥‥私たちの生の本質と全体性としてのらい、との対決への志向」は、現在も変わることなく、必要であり、「自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう」という「宣言」は、現在なお、いささかも色あせてはいないと思う。

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

(1)「つくられた断層<1> ――わが家の俯瞰図――」 さかい としろう (「らい詩人集団」発行『らい』第3号、1965年3月発刊、8~11ページ収録より)。

  ひとり住まいの父は ことし
  八十になった

  耳も目も大丈夫だが 神経痛で
  たびたび動けなくなるときがある
  それいがいの日は
  野良仕事にまだ でかけるそうだ。

  父は はたちになると すぐ
  貧しい農家の養子に きたが
  妻のほか
  なにもなかつた

  たつた一枚のそれは小さな 畠があつたが
  それは義父・義母の所有物だつた、

  逢妻川横の田圃と境川の畑も ひとのもの
  屋敷の地所と竹藪も 他人のもの

  それらの田畑を地主よりも だれよりも
  精いっぱい可愛がつた
  父と母は 小作農。

  むすめやむすこが継ぎからつぎと 生れて
  女七人男三人の子宝に めぐまれた
  それが母と父の 遺産。
    <祖父母はいずれも八十二の高齢まで
     生きたそうだ>

  こどもが ひとりふえるたびに
  稲田や桑畑を いちまい貸りに
  かりた分量だけ
  ねむりの時間が へずられた、

  働く時間をながくしても
  親と子の生活は いつも日暮れであつた。

  母は四十二のとき 難産で
  医者らしい医者にもかかれず 他界した。
  父はびつくりするほどの 子供らと
  借金をかかえて 妻をいとしむ
  ひまがなかつた、

  びんぼうと 地主が
  母のいのちを うばい去り
  父のがつしりした腰を まげてしまつた。

  いちまいの着物いつぽんのエンピツは
  すべて きょうだいの共有物だから
  上から下へ
  したからうえへと タライ回しされた

  無筆の父は 学問より
  ゼニもうけの大事を
  おんなたちに 強いた。

  続ぎつぎ姉たちはふるさとを 離れて
  住みこみ女中となつた、
  紡績女工となつた、
  カフエーの女給となつた、なつた。
  父の荷もつは少しづつ かるくなつたが

  家のなかは干潟のあとの
  風景になつた。

  義務教育は男」だけに
  おんなは幼なくして 出稼ぎか
  嫁にゆかされた。

  やがて
  女中奉公の姉は 病弱で死んだ、
  女給の姉は おとこにだまされて
  私生子を生んだ、
  その姉も 親子ほどのつがう男のもとに
  とついだが肺病で 死んだ、
  女工の姉はライを病んで 工場を追われた、
  生家は
  死神と貧乏神で いつぱいだつた。

  父は 末つ子の俺が小学校をでると
  またも 木綿糸屋の土地を 貸りてきた
  かりた面積だけ きっちり
  年貢をとりたてられた。

  戦争が日にひにふかまると
  供出米がそれに輪をかけて
  すくない飯米から 甘藷まで
  好のむとこのまざるとに かかわらず
  せんそう屋がさらつていつた。

  かつさらうよう 兄たちを
  戦場にひつぱつて行つたが 父は
  これいじょう名誉なことはないと
  いばつていた。

  昨日まで俺は
  クワやカマを持つていた手に
  きょうは 砲弾や手りう弾づくり
  にかりだされた、
  いくさは果てしなく つかれさせたはて
  俺は軍需工場で ライを発病した。
  軍人の兄も おとうとの俺とおなじ病いになつて帰てきた、
  それでもわが家の性は 存在していた。

  やんでいる きょうだい、
  すこやかな きょうだい、
  ほろんだ きょうだい、
  それはみな
  父の額のねんりんに深かくふかく
  きざまれているはづ、
  父は 黙して歴史をかたらない。

  父は 無学であつたが
  根つからの 農夫だ
  はたらき者だ、
  父の働き量より多くを
  だれであつたか
  いたいほどからだ全体で
  受けおめて知つているはづだが――。

  娘や息子が ふしあわせだつたのは
  父が 弱すぎたのではない
  ひとりぼつちで たたかつたからだ。

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

(2)「色あせた封筒 ――わが家の俯瞰図<10>――」 さかい としろう (「らい詩人集団」発行『らい』第20号、1972年9月発刊、3~4ページ収録より)。

  さだめた場所きめた日時に
  会うことになつているのだ
  が来てくれるこないは あちらまかせ、
  きょう この熱田の社の東門で
  待ち合わせることになっているのだ
  が 姉よ
  三人の姉たちよ、
  いつどんな用件が急におこて
  会えないかもしれないことは覚悟のうえ
  でも、内心は会いたいのだ
  姉たちよ、
  いまこの場にいあわす
  土の匂いのする老いた女は農夫とみた、
  背をあわせて往来に目をくばっている
  行商風の女はだれ、

  “こんにちは”はげた頭をピョコンとさげ
  岡山から来たことを告げる、
  しばし言葉なく
  ただ疑念と安堵の目が交さくする、」
  めくりめく三十幾年のあいだただいちどの交流もなく
  記憶のフィルムを逆回転させるも
  もりあがってくる映像も落涙のシーンもない
  らいを病むものと他家にとついだものとの差異なのか――

  いま真向いに座せる
  明治生れのふたりの姉よ
   おいしいな“おいしいね”すする
  しるこのの味をかみしめる女は、
  あの戦争(たたかい)の日
  B29の盲爆に住家を焼れ 陶器工場も
  破壊されたこと
  着のみ着のまま子らをひっぱって稲田のなかを
  逃げまどったことをかたり聞かせてくれたる
  回顧をとめるまい、
  お米二斗で かるく五千円札がとんでしまう
  怒りを ぶちまけているふたりよ、
  たくさんの子供を生み育て 嫁がせて
  孫がいるという姉たちはともに
  老境にはいったいまも働きつづけている
  女の性(さが)のかなしさたくましさを知るににつけ
  らい者の愚痴はもらすまい、

  ふたたび会いまみえる機会は
  もう訪ずれまい
  二時間あまりの語らいは
  ひとりびとりの人生のなかのひとにぎりの
  歴史のひとこまにすぎないであろうが――、
  別れぎわ
  祝儀とも餞別ともつかぬ封筒を
  手渡された
  いずれも黄ばんだで色あせた封筒にかくされた
  血縁のおもたさにたえてきた女たちの
  顔をみた。

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 以上、二篇の詩をみてきた。長文にわたるので、最後に「私たちらい詩人集団結集の扇動者である、らい園の中で息の長い書き手である」(しまだ ひとし著「つきだまさし詩集『川のない貌』について」つきだまさし(星塚敬愛園)が、『らい』の創刊号(1964年9月発刊)に掲載した『命題』(2~4ページ)の詩を、部分ではあるが、紹介しておこう。

  おれたちは非情さと貴重さにおいて
  歴史でなければならない
  谷一つ向こうの無人駅が文明の入口
  平野の中の一本の煙突が真上に太陽をうちあげる
  おれたちが歴史であるための前衛の祭の準備を始めようじやないか
  つくられた らい
  問いの植民地
  輝かしい命題にもつとも近い
  おれたちは奪われた大きさにおいて
  おれたちはその遠さにおいて
  おれたちは集約的であることにおいて
  おれたちは鏡だ
  部落民がうつる
  朝鮮人が重なる
  ニグロのデモがかすめる
  原爆被災者が加わる
  搾取と貧困が枠をとる
  反映の波長を甲羅と肉の接点でとらえ
  らい は充血する

   ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
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