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 「島田 等さんを偲んで」(14回) ~臨床における価値の問題~ 知識人のらい参加(その二)神谷美恵子          (滝尾)

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 9月 8日(月)22時18分6秒
  通報 編集済
 
 「島田 等さんを偲んで」(14回) ~臨床における価値の問題~ 知識人のらい参加(その二)神谷美恵子~ (『らい』第21号、1973年9月発刊より) (上)

                    人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                       ‘08年9月8日(月曜日)22:20


 『らい』第21号の「あとがき」で『らい』誌の編集・発行者である島田 等さんは、つぎのように書いています。

「‥‥先号(第20号=滝尾)の記事『知識人のらい参加―永丘智郎―』のなかに、事実についての誤りがあり先生よりおたよりをいただいた。それにもとずいて訂正記事を出しましたが、誤記をおわびし、先生のご指摘にお礼申します。

 今号の『知識人のらい参加』では、神谷美恵子先生について書かせていただきましたが、実質的に先生の医学上の論文(原著)ぬきにしてこういうものを書くのは、冒険のようでもあり、気がひけますが、しかし“患者による医療論”というものもあった方がよいように思います。

 医療という行為、関係の、一方における当事者でもある患者からの発言が、出版物や学会などにおいてもほとんどないということの方が、問題をふくんでいるように感じるのです。最近は患者にかんする発言も、また患者からの発言も、また患者からの発言も増えてきているようですが、それらにしても医療内容というところの手前で立ちすくんでいるのではないでしょうか。

 らい療養所の中にしても、患者運動は活発なところとして受けとられている面もありますが、その活発さは必ずしも医療(効果)とうまくからみあっているとはいえません。」


 「臨床における価値の問題 知識人もらい参加(その二)神谷美恵子」 しまだ ひとし

「‥‥トラブルはらい療養所における患者の日常と切り離せない。その契機の個別性、瑣末性とはうらはらに、それはしばしば患者の“全人格的”な振幅をしめす。またそれに対応する医療の側の“拒絶反応”もおだやかなものとはいえない。<日常>といい、<人格>といい、日本の医療が体質的にきらいなものであるからである。

 「精神科医の立場は伝道者のそれとはちがい、こちらの考えを説教するのではなく、相手の心の世界を知り、できればそれに通じることばを発見しようとするのが第一の任務である。」(註二)と、医師と伝道者との立場のちがいについて神谷氏はふれていられるが、患者としてはその前に、同じ医師のあいだにみられるちがいについて考えさせられる。

 ここ何年か前からか、新任される医師の挨拶の中で、「患者さんとは医師である前に、人間として接したい」ということばをきくようになったが、医療の場において人間的であることの課題がどんなに重く、今日的なものであることかを、それらのことばは担われているのかどうか。


<医療の近代化とはなにか>

 人間が病むということも、あらためて考えようとするとなかなか厄介な問題らしい(註三)。何人もの学究が著書をかさねてもつきるところがない様子なのは、理解の角度が多様にとれるだけでなく、曖昧であるためという。病気を病気とする(また健康とはなにかという)基準はなかなか設定できないという。学問的な認識はむつかしいかも知れないが、私たちが病んでいるという実感はそんなに曖昧ではない。そしてその感覚はなによりも“人格的”である。人間には“部分的に”病むことはできないのだ。指が指だけで病んでくれたらと、滅多に思いつくこともないほどそれは中枢的である。

 患者は病めば病むほど“全人格的”になるのに、医療は近代化を進めれば進めるほど“反人格的”になるところがあるらしい。『分化』と『専門化』をすすめてきた医療は、いまや『人体部分修理術』といわれ(註四)、『区別された各部分の病気については責任をとれるが、患者全体については責任をもちえない(註五)といわれ、『専門家』とは『小さな誤りはしないが、大きな誤りに近づいていることを知らない人種』(註六)という声もきかれるほど、人間といのちを忘れることで医療は成り立つものでもあるかのようにいわれてきているとき、患者は『生命全体に対する配慮』(註七)をだれに期待したらよいのか。

 いまのらい療養所にそのような配慮が制度化されているとはいえない。逆にそうした配慮への責任を転化し、分散することで、問題解決を図ろうという意図はみられるが、しかし個々断片的にはそのような意志の存在はたしかめられよう。(未完)

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



二、神谷美恵子『人間をみつめて』280頁 朝日新聞社 1971年
三、中川米造『医学概要』(2・病気とは)、『健康会議』1972年12月号
四、大段智亮『看護のなかの人間』59頁 川島書房 1972年
五、中川米造『医学概要』 大段 前掲書59頁所収
六、マルクーハン 大段 前掲書59頁所収
七、大段 前掲書58頁
 
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