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島田 等さんを偲んで(18) 雑感を書く ; 広島青丘文庫  滝尾英二より                     

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 9月14日(日)11時53分9秒
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 <島田 等さんを偲んで(18)> 雑感を書く

                    人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

               ‘      08年09月14日(日曜日) 11:44

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 私より一つ年上の1930年生まれの草津在住の沢田五郎さんが、水本静香さんに「書きたい事を書くのが文学ではなく、書かねばならないものが文学だ」と簡潔に言われたといいます(『菊池野』2008年9月号、29ページ)。私が生まれた1931年4月2日は、「癩予防法」(旧法)が制定された年月です。その年の9月18日には、「関東軍参謀ら、満州占領を企てて奉天郊外柳条湖の満鉄線路を爆破。関東軍司令部本庄繁、これを中国軍の行為として総攻撃を命令。満州事変はじまる。」 と『近代日本総合年表・第二版』(岩波書店)には、書かれています。

 それから七十七年の歳月がたちました。そして私自身でいえば、悲惨な戦争を広島の地でいやというほど体験しました。また、敗戦後は、若い力で私は、数多くの人民の戦列に加わり、国家権力などと闘ってきました。そして、歴史研究者として、今まで多くの文章を書いたのは、否、書き続けたのは、何故か、それを沢田五郎さんの言葉をお借りすれば、「書きたい事を書くのが歴史ではなく、書かねばならないものが歴史だ」という同じ心情・信念で今なお日夜、歴史記録を書いています。そして後世の人たちに少しでも伝え残したいという願いがあります。


 卓越した歴史家であるE.・H・カーは、「歴史は、現代と過去との対話である」と、『歴史とは何か』(岩波新書、1962年3月発行)で幾度も繰り返しています。同書の訳者である清水幾太郎は、「はしがき」で、「これは、彼の歴史哲学の精神である。一方、過去は、過去のゆえに問題とのではなく、私たちが生きる現在にとつて意味のゆえに問題になるのであり、他方、現在というものの意味は、孤立した現在においてでなく、過去との関係を通じて明らかになるものである。‥‥‥E.・H・カーの歴史哲学は、私たちを遠い過去へ連れ戻すのではなく、過去を語りながら、現在が未来へ食い込んで行く、その尖端に私たちを立たせる。」と述べています。


 今年8月30日の「ハンセン病の闘いの歴史にともに考えるBBS」の〔1756〕投稿文に、

「‥‥1980年の詩は1980年の時代の中の詩としていつまでも輝いていると思います」とし、また

 「島田 等さんたち「らい詩人集団」の「宣言」(1964年8月)でいう「自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする」こと。「日本の社会と歴史が背負いつづけた課題」である「私たちじしんの苦痛をはねなれて‥‥私たちの生の本質と全体性としてのらい、との対決への志向」は、現在も変わることなく、必要であり、「自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう」という「宣言」は、現在なお、いささかも色あせてはいないと思う。」という拙文に対しては、

「滝尾さんのコンセプトで当時の詩を読まれるときそれは、変わらず輝きを持つものだと思います。」というご批評をいただきましたが、しかし、歴史を「現代と過去との対話として語ろう」としている私には、この一節は、とても違和感がありました、ということを述べておきたいと思います。

 歴史家であるE.・H・カーは、「歴史は、現代と過去との対話である」とし、「過去を語りながら、現在が未来へ食い込んで行く、その尖端に私たちを立たせる」という視点にたてば、この批評は私(=滝尾)の本意とは程遠いものを感じたこともまた、事実です。それは、沢田五郎さんのことばを借りれば「ぶざまな生き方はできない」ということでもあるのです。


 座右の書として私の敬愛しる石母田 正先生著『歴史と民族の発見~歴史学の課題と方法』(1952年3月、東京大学出版会発行)の表紙裏に書いた若いころの書き込みがあります。紹介します。その気持ちは七十七歳になり、病んでいる私の現在でもいささかも変わっていません。

「人間にあってもっとも貴重なもの――それは生命である。それは人間に一度だけあたえられる。あてもなく過ぎた年月だったと胸をいためることのないように、卑しい、そして、くだらない過去だったという恥に身をやくことのないように、この生命を生きぬかなければならぬ。死にのぞんで、全生涯が、そしてすべての力が世界で最も美しいこと――すなわち人類の解放のためのたたかいに、捧げられたと言い得るように、生きなければならぬ。

 このような考えにとらわれて、(パーヴェル)コルチャーギンはなつかしい墓地を去った。」 つづけて、

「わたしは生活というものを形式的に見るようなことはしません。個人関係において、ごくまれには例外を設けることがゆるされると思います。でもそれは、その個人関係が大きな深い感情によって、呼びおこされた場合のことです。あなたは、それにふさわしいひとでした。‥‥パーヴェル、自分自身にあまりきびしい態度をとってはいけません‥‥
 わたくしたちの生活のなかには、たたかいだけがあるのでは、あるのではありません。やさしい感情の喜びもあります。 ― リーダ ― (『鋼鉄はいかに鍛えられたか』)

                    1953年5月3日に

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 今から、55年余前の二十二歳のとき、書き写したものです。昨日、親しい友人からメールで、つぎの五行歌が送られて来ました。「死への準備」をしている私には、示唆の富む五行歌だったので、早速、ご本人の了解を「返信」でもらい、ご紹介します。

血と骨と肉より生(な)れる

永遠(とわ)のいのちは神のものなれば
死の息は
汝に翼をあたえたり

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