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 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年 9月17日(水)11時03分19秒
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   埋めなければならない空白

 貧窮と低医療と社会的人格喪失――“ミゼラブル・レパー”のミゼラブルそのもののうち、貧窮と低医療について、戦後の患者運動は着々成果を積み上げてきたと思う。

 物的給付については、すでに一七年以前に「乱救惰眠」論議が交されたように、一国の要援護者の給付水準を越えているという指摘がなされたこともあったが、それは「資本主義社会の生活原則が自助であるかぎり、そして労働力の再生産が商品の消費という形態をとるかぎり、社会保障も社会福祉もまずは経済的所得の保障なり、支給なりという形をとる(註24)」ことの一つの経過でもあろう。

 医療の要求についてはいうまでもない。しかし、「人間がまさに人間であるゆえに」、今日の社会福祉が“その機能としても自覚的にすすめようとしている”という、「所得的援助によるだけでは解決のできぬ場合の非所得的援助(註24)」にたいするニードを、患者運動はどのように自覚し、補償しようとしてきたか。経済的所得の保障や医療要求にくらべ、それはたち遅れていたことは否めない。

 しかしそこには、もっともミゼラブルな核が横たわっているとすれば、私たち患者にとって埋めねばならない空白は、いまも小さくはないことになる。そしてそれを埋めることができなければ、私たちは“被救恤者”として「あらゆる物質的救済や精神的庇護を受ける(註25)」ことはできても、社会福祉からはついに取りのこされたままに終るのであろう。それは表面的な差にもかかわらず、レプロサリアズムの期待ではないか。

 私たちを福祉から遠ざけている“固定された被救恤者層意識”の克服なしに、私たちはこれ以上それに近づくことはできないとすれば、私たちの福祉をめぐる課題、運動にも、当然意識の転換が要請されよう。私たちが被救恤者にとどまるかぎり、「一切の慈恵的行為も、らいの場合においても、矢張受益者の社会的人格者としての向上に寄与すること甚だ少ない(註26)」からであり、社会的人格の向上というような理念からかけはなれたところで、それはのぞめないからである。


 救らい意識の克服

「らい院管理も亦、病者を人間として人格体として考えるべきであり」、患者に「救らいの対象から、社会保障の対象に前進した自覚を持たせることである(註27)」ことを、患者側からいえば、患者も人間であることの主張には、「社会保障の対象に前進した自覚」をみずからに課すことである。

 それは“あらゆる物質的救済や精神的庇護など一切の慈恵的行為も、受益者の社会的人格の向上に寄与すること甚だ少ない被救恤者意識でなく”、「社会保障の対象となったことは、労働大衆とひとしくみなされることでもあり」「その意識内容はあくまでも積極的な労働者意識である(註27)。」

「前近代的な被救恤性のなかに、閉塞固定せられた場面に」「少しも疑義や、人間的な窒息感、もっと具体的にいえば、働く者としての窒息感を感じない限り、新しい内面的な変革は、療養所や恢復者の体験においても成り立っていかない(註28)。」

「少くとも“社会的人格”の意識はつねに社会共存意識であり」、「国民経済基質細胞としての自意識ということは、社会的人格の意識のもっとも原始的なあり方であり」、「世上に如何に正確なるらい学説が流布され、らいに対する社会的圧迫も姿をひそめたと称しても尚かつここに、社会的人格として充分の処遇をうけているか否かについて疑義がある事態があってはいけない(註29)」のである。

 患者自身の中に内在化されたレプロサリアズムとしての被救恤者意識――そうしたものを温存しながら、他に向っては人間的処遇をもとめることができても、それらは私たちの社会的人格の向上をもたらすものとはならない。

“患者はあくまでも労働大衆の一員である”というのは、このシリーズ第一回で紹介した永丘智郎氏の視点でもあった。そして永丘氏も「誤ってわが国医療行政の伝統となってしまった労働者意識の廃絶政策(註30)」を指摘されたのであるが、それを伝統とさせるほど日本の労働大衆に、そのような政策の継続を許させたものの解明は、それ自身大きなテーマであり、私の力の及ぶところではないが、事実認識としてそれは承認できるものであり、現状においても患者の生活意識は、どんな階層に自らが属するのか肯づきかねるものが多いのである。

 救済(救らい)の対象から社会保障の対象への前進にともない、私たちの意識のありようにも変革がもとめられている。社会福祉のさまざまな方法論も、プレイビス(被救恤者)への転落固定をいかに防止し、市民としての、労働大衆としての意識を保持していくことに活動の基盤をおいているのであって、「福祉の根本も家庭と教育にある(註31)」といわれるのも、そこにプレイビスへの転落防止のもっとも確かな基盤があるからである。『癩と社会福祉』がレプロサリアズムの閉鎖的なそれとは対照的に、幅広いフィールドを持とうとする所以である。


 偏見――課題としての実践性

 杉村氏の研究や提言は、これまで述べてきた範囲にとどまらず、さらに多くの側面に言及されているのであるが、それらの中から偏見に関するものにふれてこの文を終りたい。

 偏見は、らいの福祉の実現にとって解決されなければならない大きな問題であることはいうまでもない。しかしその大きさにもかかわらず、その社会的事実や歴史的形成についての厳密な把握、科学的認識の努力はなされていない(註32)。“言葉としての乱用と、実証的理解の貧困(註33)”である。

 いったい現在の偏見といわれる社会的認識は、どのようにして形成され、どのような機会にどのような形で影響し、差別として働くのか。そうした具体的な事実認識や科学的分析なしに、その解消の声を大きくしても効果的な結果を期待できるものかどうか。

 杉村氏は愛媛県下のK村という一つの現場を踏まえて、とくに明治初期からの社会的諸制度――教育制度(学制施行)自治(戸籍、選挙)制度、軍事(兵役)制度などの改革・普及が、地域社会の中でらいをめぐる認識に、「新しく誤謬にみちた社会的評価が加えられ……再体制化されていったか(註34)」を追跡しているが、こうした歴史的な考察の内容などは科学的といいうる数少ない分析であろう。

 むろん偏見の問題はもっとも実践的な課題であるから、事実認識にとどまるものではないが、実践的課題という意味を私たちは一方的に自分に引きよせて考えてはならないであろう。言葉としての乱用の事実が、その反省をもとめているはずである。

「社会復帰を阻害しているすべての因子を、偏見に集約的に帰納させるようなことは勿論不可能である。このことがあたかも可能であるかのような誤謬が、しばしば恢復者の側にあるのではないかと思う(註35)。」

「社会の偏見圧迫というものが、正しい意味でとりあげられるのは、恢復者が、労働者意識をもつことに対する社会的妨害であって、社会復帰阻害の本態は、ここから分析されることもまた可能である。」

「この積極的な、生活意識の機能的な再活動がなく、前時代的な被救恤者人間観にたって、特殊な生活権益の保障を予想したりする限り、正しい社会復帰は永久に考えられない(註35)。」

 私たちはみずからの主張に、広い国民的な理解と支持を期待するならば、“正しい意味でとりあげられる”方向に、私たち自身の歩みを近づける意志と努力を欠かせないであろう。それを欠いたまま偏見の解消をいかに乱発しても、国民の側の「無関心、回避、冷淡、非協力(註35)」は改められないのである。


 福祉の思想

 杉村氏は社会福祉の学問的信念と方法論に立って、多くの課題をかかえていた日本のらい事業にたいして、戦後十余年、持続的な検討提言を続けられた。それらは日本のらい事業にとっても、患者(運動)にとっても貴重な助言であったと思われるが、それに値する反応を受けることなく、現在に及んでいることはすでに述べた。

 しかし、社会福祉がそのこころざしとして、「社会という集団が全体として“福祉的”であり、さえすればといというのでなく……社会の中のひとりひとりの幸福な人生を指すものである(註36)」以上、らいにおける福祉への道で、杉村氏の業績は過去のものになることはないと思われる。

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<註>
1:「恵楓」(菊池恵楓園発行)に連載(一九五一年一〇月~一九五八年六月)された、『癩と社会福祉』をはじめとする、らい園機関誌に発表された論文。

2:杉村春三『癩と社会福祉』第一一回、「恵楓」第一四号
3~22  同書 第一、三、四、五、七、八、一五回
23:たとえば『コロニー問題批判』(「星光」一八六号、一九五六年十一月)のなかで杉村氏は、「医療集中化については、数年以前私は見解を述べたが、らい院からは一笑に付された。ただよく理解されたのは、専門的研究者たちであった。」といわれている。

24:高島進『現代の社会福祉論』ミネルヴァ書房
25:杉村春三『コロニー問題批判』前出
26:杉村春三『癩と社会福祉』第四回
27:杉村春三『コロニー問題批判』前出
28:杉村春三『癩と社会福祉』第三二回
29 同書 第四回
30:「らい」第二〇号

31:森田宗一『国際社会福祉会議に出席して』中国新聞、一九七四年九月四日号
32:こうした重大な課題を放置していたことからも、日本のらい事業は社会福祉など考えていなかったことの側面的実証となる。
33:『癩と社会福祉』第二五回
34 同書 第二五回
35 同書 第二三回
36:糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会
 
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