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<「らい療養所の文学運動について」、谺雄二の詩について、さかいとしろう論、しまだ ひとし論の『らい』創刊二〇号記念読者の集いから> 『らい』誌・21号(1973年9月発行)、「詩でなければならないか」4~9ページより (承継)
人権図書館・広島青丘文庫 滝尾英二
‘ 08年10月3日(金曜日) 11:47
「らい療養所の文学運動について」(『らい』誌・21号(1973年9月発行)4~6ページ(於 奈良・交流の家)から (承継)
<しまだひとし論>
徳永 ぼくがらい詩人集団になんかあるという感じをもったのは「宣言」を読んだときです。
ぼくがらい療養所をはじめて訪ねて多くの人々にあい、何を感じたかというと、「もう私たちはいいんです。家の者に迷惑をかけたくないし‥‥‥というのがほとんどだった。そのとき社会復帰運動とか、らいでないぼくらが、らいの人が外に出ることが大事だとかいうことをかなりノボセ調子にいいえたときに、患者さんじしんの多くは「放っていてくれ」といっていた。
そういうとき「宣言」を読んでドキッとした。らいであることを名のりながらこれだけのことをいいうるのは印象にのこるし、ある感動はいまもあります。
その中で「存続する運動体にとっていつも出発点だけがたしかなのである。私たちも詩を書くなかでそのたしかさには閉口する」― つまりなぜ詩を書くかといえば、詩を書くことでらいを強いたものにむかいたい。このままらいを強いたものの中で生きたくないという気持がつよくあるという感じがします。
しまださんは評論も書かれていて、ぼくにとってはしまださんの詩というよりも評論の多くの中で、しまださんの姿勢というものに感動するわけです。それでしまださんがらいでないほど醒めていて、自分をみつめておられるという感じをうけます。
ほかの集団のメンバーが、らいであることの怒りとか、ふるさとを郷愁的に書く部分があるとすれば、あるいは自分の過去を想い出として書くとすれば、しまださんはそういう点ほとんど書かない。軸はらいを強いたものとの競争として自分は生きているという姿勢が印象づよい。
ぼくがらい詩人集団の詩を読んで感じるのは、らいであることはぼくらにとってものすごいある印象だし、詩のある部分というのはつきださんの詩にあるように「らいは比喩のいらない生きもの」として、かなしさであるとか、絶望であるとか、わかれであるとかが非常に印象的なものとしてある。
そういうものを書いた作品は沢山あって、それがらいの詩だという感じがあります。たとえば小島さんのなかには情念的でどろどろとしたいらだちだとか、かなしさのまじったものを感じます。北河内さんは自分の母とかふるさととかを望郷という感じでしか書かれていないけど、そういうふうにしかうたえなくなっている自分というものを逆にそこに読むことができると思いました。
で、らいの人というのはいろんなところでわかれ、離別を強いられてきたわけで、ぼくはセンチメンタルなところがあるからか、やはりそういうものがある感動をどうしても強いる。
(42行を中略します)
しまださんの書かれた中にもあるんですけれど、らいの人間というのは、近代は一人々々の人間に自己を主張し個性とか自己をひろげる方向にあるとするなら、らいというのは全く反対に自己をかかくす、偽名を使うとか偽りの葬式をするとか「無名化」の方向であったのがらいではないかといっていられるのですけど、ぼくもまさにそうだと思うんです。
無名化の中に黙々と生きていくというそのことじしんがXに対するものすごいアンチとしてありうると思うわけです。だのに詩を書かれる多くの人は、無名化を強いたものにうちかとうということで簡単に普遍的になってしまうんじゃないか。
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