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  「死ぬことと生きること」土門拳著(築地書館、1974年1月発行、26~80ページ<部分>)より            

 投稿者:  滝尾 英二メール  投稿日:2008年10月19日(日)11時37分40秒
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 「死ぬことと生きること」土門拳著(築地書館、1974年1月発行、26~80ページ<部分>)より


 実は、八日前の土曜日の夕刻、「カラオケ喫茶・城」から帰宅するため、「文教女子大前=安佐市民病院前」の停留場でバス待ちしていた。当停留場はベンチが二つ、照明も明るくついていた。停車場」に着いたのは、17時50分。停留場のバス時刻表を見ると、深川経由の自宅の上小田バス停に行くバスは、18時09分しかなく、約20分ほどの待ち合わせ時間があった。

 祇園・横川経由の広島駅行きは多く、18時01分をはじめ18時09分までに3本もあるのに、深川経由のバス少ない。おまけに可部高校や文教女子大付属中高校に通う生徒の帰宅はなく、私は「携帯」の時刻盤を盛んに見ながら18時09分に同停車場へ来る広島交通バスを待っていた。ところが、18時09分に来た「バス」は、手押し車を持って停車場で私を無視して、停留場には停車せず、私の大声で「停車して!」という声を聞いてか停留場から70mほど先に停車した。ところがそのバスの後には、二台の自動車が滑り込んで、来て、バスは後すだり出来なくなった。

 私は、手押し車の柄を握って止まったバスを追っかけて行く途中、脚を滑らして「車道」に倒れた。幸い、倒れた車道には乗用車がいたが、急ブレイキをかけて、車から中年の女性が車道に転げている私を起してくれた。この中年の女性が、そのまま止まらなかったら、交通事故で救急病院へ行くところであった。まだ、いのちがあれば幸いである。交通事故で死亡という事態になっていたかも知れない。その時を想像するだけで、ゾーッとする。

その時の車道転倒で、右手の三本の指からは、地が第二関節のところから吹き出て、チッシュで拭いても、拭いても止まらない。「糖尿病」で、血液が凝結しない薬を服薬しているせいもある。しかし命があったから、三重の島田等さんのふるさとの海上へ、「満十三回忌」に有志の何人かと、どうにか参加出来る。それを喜ばなければなるまい。

 何で、バスは停車場に停車しないで、素通りするのか。明らかに「過密ダイヤ」を会社が、運転手に言った結果であると思う。バス会社の幹部・役員たちは、口では運転手たちに「安全運転」を唱えても、停車時間があり、バス停留場の素通りするバスは、多いことに気づく。これは運転手の問題というよりも、「過密ダイヤ」を容認している行政当局とバス会社の問題といえよう。「福祉バス」が少ないのも問題である。

 左手は、右の医梗塞で麻痺し、利き手の右手は親指と3指が負傷し、残された右手の人指し指だけで、パソコンのキーを打っている始末である。そんな8日前の体験をしたので、以下の土門拳著『死ぬことと生きること』の書かれている内容が、実感として理解できる。やはり、人生経験・体験は読書する上には、必要なのかも知れないと思った。

                    人権図書館・広島青丘文庫  滝尾英二

                     2008年 10月19日(日曜日)11:35


        ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 (前略)‥‥‥もちろん、人間というやつは、なかなか死なないものだという逆の事実もあるだろう。ぼく自身、生命というものの逞しいしぶとさに驚かされた経験も一度や二度ないわけではない。しかし、問題は、生命の逞しさではなくて、そのもろさにあり、死の不測性にある。人間というやつは、いつかどうかして、不意に死ぬかもしれないということが問題だ。

 こどもを遠足に出す日、いつもは十時か十一時でなければ起きないぼくが、自分から朝早く目を覚まして見送ったが、それから夕方帰ってきた姿をみれば、それまでの話なのだが、それはほとんどの親が経験する不安だろう。しかし、遠足にだけ不安を感じるのは、意味ない話だ。毎日毎朝、学校へゆくのも、実は同じ不安があっていいはずのものなのだ。遠足や修学旅行だけが不安で、毎日の登校は安心だという保証がどこにあるか。

ある夏の午後、雑誌社へ撮影の打合せに出かけた。一、二軒まわって、夕方帰ってみると、ぼくが出かけるとき玄関で見送っていたこどもは、奥の三畳間に顔を白い布でおおわれて寝かされていた。枕もとには線香の煙がたゆとうていた。白い布の下には、眠っているような顔があった。しかし、呼べど叫べど、その目は二度と見ひらかないのだった。いつもはぼくの顔さえ見れば必ずニッコリと笑いかけたその唇も、二度とほほえんではくれないのだ。絶対の死が、こどもの全身をつつんでいた。夢にも考えてもみなかった厳粛な事実が、そこにあった。

 数時間前、「ジープ買って……」と、おもちゃの自動車をおみやげにねだったその子の声が、まだ、ぼくの耳に残っているというのに――。

 それは、母親にとっても、同じだ。友だちととんぼとりにゆくというので、洗いたての白いチャンチャンコに着替えさせて出したその子が、それから十五分後に、その白いチャンチャンコに青い藻草をからませて防火用水池に落ちて沈もうとは――。そしてその子が声も立てずに防火用水に落ちたその時刻に、家ではその子の母親はその子に食べさせるつもりで西瓜を切っており、その子の父親はしがない稼ぎのために家路とは逆の方向へとひたすら歩いていようとは――。しかも、その日のまる三年前、その子のおばあちゃんは、自分のかわいい孫が、まる三年後にはそこで死ぬことになるとも知らずに、隣組総出のなかにまじって、その防火用水池を作る土をっせっせと運んでいたとは――。


 人間はなかなか死なないものだと、誰がいおうとも、ぼくは信じない。人間の善意や愛情とかかかわりなしに、死は、不意に、容赦なく襲ってくる。現にぼくたちは毎日街を歩いていて、自分たちのそばを走り去るトラックや円タクに、何度、ハッとさせられているかわからない。駅のプラットホームでも、風を捲いて進んでくる電車に、何度、目まいに似たものを感じさせられているかわからない。いわば、死は、日常不断にぼくたちの一メートルのそばを走り去っている。死と生とは、すれすれに隣合っている。死か生か、二つに一つの厳粛な結果だけが、事実としてぼくたちの生活の瞬間瞬間を決定しているのだ。

                   (以下、十二行は後略します。=滝尾)

           ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 
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