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最近、読んだ雑誌『リプレーザ第06号・第07号』に書かれた・田中 等著「ハンセン病問題の『いま』を語れ!」100~115ページ、「ハンセン病問題の終わりのはじまり」84~93ページを読んで!
人権図書館・広島青丘文庫 滝尾英二
‘08年11月03日(月曜日)19:25
畏友・田中 等さんが『リプレーザ第06号』‘08年5月26日発行、『リプレーザ第07号』‘08年10月31日発行(発行:『リプレーザ第』、発売元:社会評論社、1333円+税)が、たいへん有益であり、かつ興味が多かった。「書評」というつもりではないが、ともあれ、田中 等著「ハンセン病問題の『いま』を語れ!」、「ハンセン病問題の終わりのはじまり」で、私の印象に残った箇所・箇所を以下、紹介しよう。
(1)「新しい終わりのはじまり」 「ハンセン病問題は、基本的に終った。一世紀余にわたって日本『近代』を貫通して、幾多の人びとを苦しめ、おびただしい数のいのちを奪い、とりかえしのつかない惨劇を生みつづけてきたハンセン病問題の歴史の幕が、いま閉じられようとしている。「いや、ハンセン病療養所の『将来構想』がまだ具体的に解決していない」と、そう唱える人が少なからずいるかもしれない。が、しかし、そのことをふくめてハンセン病をめぐる闘いは、ともかくも急速に終息にむかっているものと、僕には思える。」(『リプレーザ第07号』84ページ)
(2)「‥‥‥要するに、ハンセン病療養所の入所者が激減しているので、“空洞化”しちゃあイカンってんで、高齢者や障害者の施設などを併設して急場を乗り切ろうとゆーことなわけだが、さて、困ったもので、“道連れ”にされる人たちはたまったものではない。当該ハンセン病入所者の平均年齢がいまおよそ八〇歳。二〇~三〇年のあいだには、ハンセン病療養所は、近代日本の闇の部分を覆い隠すかのように“消滅”していくはず。‥‥‥なんで、まともにハンセン病者を隔離施設の軛から解放するとゆー論議(と運動)ができないのだろうか? いま、日本の「近代」が生んだ差別・排外主義を総決算せよ! インチキ国家=社会をダンコ解体せよ! いまこそ「国民」一人ひとりの思想が問われているのだ。」(『リプレーザ第06号』編集後記:305~306ページ、田中等)
(3)「問われる“近代百年の計”」 「‥‥‥が、そうはいっても――運動が一定の路線上に終息したとしても――ハンセン病の“近代百年の計”は、それなりにキッチリとなされなければならないだろう。換言すれば、それは歴史認識の深化の要ということであり、また、日本近代史の総決算とでも呼べる課題について明確な総括を行うことの緊要性といってもいい。」(『リプレーザ第07号』91ページ)
(4)「『国民』運動から遠くはなれて」 「‥‥‥官民が一体化したハンセン病市民学会を中心にした『国民』運動の奔流は、だれにも押しとどめられないものとなっており、ここに至って個人的なオブジクションはまったく無力である。にもかかわらず、こうした異見をあえて述べるのは、圧倒的な全体主義的運動(嗚呼、無癩県運動!)が進行していく情況のなかで、自らがその流れに加わっていないことの(良心の)証しをささやかであっても明らかにし、このかん親しく交流していただいたハンセン病当事者の人びとにたいする釈明の一端としておきたかったからなのだ。」(『リプレーザ第06号』110ページ)
(5)「意味の深層を穿て!」 「いずれにせよ‥‥‥ハンセン病問題の運動上のとりくみは、国家権力(厚生労働省)と市民権力(弁護団・市民学会)の歴史的融和によって、いま、基本的に終わろうとしている。が、現状の貧寒な思想的水位とそれに規定された認識論的土台が据えられたままに、この問題の歴史総括論議に終止符が打たれていいわけがない。」『リプレーザ第07号』93ページ)
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